第1話 最愛の存在

 不満だったわけではない。不安も無く、安定的な日々で、今日は唐揚げにしようかしら、それくらい自然に私は五歳の息子を殺した。


 確実に息の根は止めた。見開かれた目はもう何も見ていない、体温は徐々に冷たくなっている。手を握っても握り返さない。


 息子からしたら惜しいだろうか。死んだのだ。テレビで見たことがある。報道を前に様々な人が、子どもが可哀相、残酷、人でなしというのだ。


 でも彼らの方が私にとっては不思議だ。人は必ず死ぬ。それが早いか遅いかだけだ。

 今日は息子の為に唐揚げを作ろう。特売ではないもも肉だ。誕生日おめでとうという気持ちを込めて私は唐揚げを揚げた。今日は主人が出張で息子とパパの帰りは遅いと愚痴ぐちを言うはずだった。電話でお話ししようね。


 息子は死んでしまった。もし今日、洗濯物干しを最初にしていたら死ななかったのか。回覧板を読まないでいたら死ななかったのか。

 私は様々な可能性を考慮こうりょして、どのような可能性をかんがみても息子が死なないという選択肢は無かったと断定した。悲しいことだ。


 命とは簡単に失われる。揚げた唐揚げの味見をしよう。息子の誕生日だ。


 ふと旅に出ることにした。やってみたかったこと。巡礼じゅんれいだ。何を祈るのかよく分からないが、旅をすることに決めたのだ。

 天国に行ったであろう息子へ何かで祝いたかった。息子も新しいことをするのを歓迎するだろう。


 何を持って行くか考えた。人間を解体してゴミ袋に捨てるのは女性の私には難しい。そもそも処分することを考えなかったのだ。一人だけの息子、死してなお愛していた。息子の誕生日で作った唐揚げを食しながら、何も食べない息子を傍らに置いて私は腐っていく息子と主人の帰りを待つ。


 すると主人は何を思うだろう。悲しみか悔やみか怒りか。親は息子が殺されて何を思うか、私は非常に興味があった。


 しかし、それはリスキーな行動選択だ。怒った彼が私を殺すかもしれない。給料を稼いでくれる男と結婚したのに愛してもいない男に殺されるなんてまっぴらごめんだ。


 私は私を愛してくれた息子に殺されたい。


 この場合、私がこれから取る行動は世間でいう逃亡に当たるのだろう。出来れば息子を連れて行きたいが、泥の様に溶けていく息子を連れていくことは出来ない。長い旅路だ。死だってあるかもしれない。


 私はどれを持って行くかと悩んだ。生を意識させる小さな生殖器か、結びを切ったへそか。


 途中で腐ると嫌なので比較的簡単に取れた歯の七本を持って行くことにした。この為に買ったわけではないのだが、ペンチは買っておいて良かった。


 死んだのに血は出た。生前の程ではないが、赤黒く鉄のにおいがした。死んだのだから、麻酔無しで歯を抜いても苦痛はないはずだ。


 歯は洗って、私はそれらをこの日の為に用意したわけではないジップロックに入れて、荷物の準備を始めた。待ちに待ったという程計画的ではないが、息子との旅行が出来る。思い出を持って行こう。


 息子が初めて描いた両親の絵、家族三人分の手形、今の携帯に三人の集合写真があったはずだ。


 これはあの主人と一緒に買った携帯だ。前の目覚まし時計代わりの携帯を持って行こう。中には家族で行った北海道旅行の写真が保存されていた。

 さて、最後の記念撮影だ。これで私は息子の一部を置いていく。

 

 息子の一部の横に寝転がって写真を撮った。口だったものから血が流れていたので、そのへんにあった雑巾でそれを拭いた。タンス預金の百万円と小さなスーツケースに荷物を詰めて、主人に息子に旅行へ行くと但し書きをした。


 早朝、雨が小降りだった。一番列車に乗る為に家を出た。息子と行けなかった温泉に行こう。でも五歳の子どもが温泉を好きかどうかは分からない。

 大人の勝手気ままで温泉街をウロウロしてもいいものか。


 まぁいい、今度アンパンマンミュージアムにでも連れて行こう。


 ちょっといい旅館を取ったのと息子に言った。返事は無かった。歯に言っても無駄か。これなら私との切れ目のへそをえぐりとれば良かったのか。


 旅館が貸してくれたトートバッグに小銭と息子を入れた。湯めぐりというものがあるらしい。

 たくさんあると管理も大変だろうな、そう思いながら湯を出ては休憩し、湯に入り、休憩した。

 湯にたくさん入ればいいというものではない。湯あたりするとたまらないので、早々に旅館へ引き返した。

 そう言えば主人がいつ帰るか把握していない。予定表だけ連携した前の携帯。Wi-Fiに繋いで見てみると明日だ。但し書きに息子の幼稚園の迎えに行くようにと書いておくべきだった。

 息子はいつも迎えに行くと園の吉永先生に抱き着いて帰りたがらない。可愛い息子だ。吉永先生には少し嫉妬する。

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