第16話 マリの音楽は世界を救う

 とある昼休み。

 俺はいつものように弁当をもち、トイレの中で食べた。

 別に俺は友達がいないからって、一人寂しく感じはないのだ。

 ぼっち最高! 一人生き最高なのだ。


「ふう。ご馳走様」


 手を合わせてから弁当をしまう。

 俺はトイレを出ると、誰も会わないように足音を消す。

 一人でトイレで食べていることがバレたら、恥だ。ぼっちが生きる道は難しいのだ。

 だから、トイレ選択も重要だ。俺は部活が行われていない、旧校舎のトイレを選択していたのだ。

 

「ん?」


 と、俺は異変に気づく。何か音はするのだ。

 こんな時間に、ピアノの音がするだなんて、俺は少し不思議に思えた。

 ピアノは音楽室から流れ出ている。

 綺麗で洗礼されたリズムに、心地のいい音。

 ……バッハのカノンだ。

 昔、俺はこの曲が大好きだった。なぜならば、母が好きな曲だからだ。親の影響で俺はこの曲を好きであった。

 でも、今は好きではない。

 母が他界して、俺は音楽のやる気を失ったのだ。

 ヴァイオリンすら埃がかぶるほどのものだったのだ。

 そして、腕も落ちている。

 きらきら星でさえも、よく演奏することはできなかったのだ。

 俺は後ろ向きな考えをしながら、恐る恐ると音楽室を覗き込んだのだ。

 誰が、そんなに綺麗な演奏をしているのだろうと、知りたかったのだ。

 扉の隙間から目玉をこじらせると、そこにはピアノを演奏しているえ天使がいた。

 彼女は黒く長い髪に、肌は白く、顔は整っていて、出るところはちゃんと出て、引っ込んでいるところは引っ込んでいて、羽があれば天使と錯覚するほどの美しい美貌。

 ……マリだったのだ。

 どうして、彼女がピアノを弾いているのだ?

 と、俺はそう疑問に思っていると、彼女の演奏は終わったのだ。


「誰か? そこにいるのですか?」


 しまった! 長居してしまった。

 と、俺は慌て出すが、ここで逃げても彼女にバレると思ったので、俺は観念し、普通に扉を開いた。


「あ、ごめん。わざとじゃないだ。ただ、音楽が流れたから気になって見にきたんだ」


 と、俺は情けない言い訳を口から走らせる。

 なんで、こんな言い訳しかできないのだろうか?

 もっとマシな言い訳はないのだろうか? 褒め言葉の一つ、彼女に言うべきだ。

 俺は自分を責めていると、マリははにかむと説明する。


「あ、いいえ。怒っているのではありませんよ。ただ、ちょっと恥ずかしいのです」

「恥ずかしい?」

「はい。ハルキさんに聞かれるのはちょっと恥ずかしいです」

 

 マリは真っ赤な顔になり、どこかかしこまるように仕草をしたのだ。

 あまりにも可愛いさで俺は思わず本心を滑らせる。


「マリにピアノの才能があるなんて、初めて知ったよ」

「そんなことないですよ。子供の頃から練習したので、弾けるのです」

「でも、ピアノを続けているのは偉いと思うよ。俺なんか、ヴァイオリンを辞めてしまったし」

「え? ハルキさんはヴァイオリンを弾けるのですか?」

「昔はね。今はもうダメダメだ」


 俺は苦笑いをしてから、マリのところに歩いていく。

 

「で、どうしてピアノを演奏しているんだ?」

「実はわたし、ボランティア部の活動で孤児院のピアノの演奏することになったのです」

「なるほど」


 俺は納得する。

 マリは先週からボランティア部に入部したのだ。心優しい彼女は、人助けになれるようにと願ってこの部に入部したのだ。

 たまにボランティ活動で帰りが遅い日もあったのだ。でも、俺は心配していない。この平和な日本でボランティア活動をするのはいい心かけだと俺は思った。

 そして、この聖ガブリエル中高一貫校のボランティア部は他の学校と同じだ。

 名前の通りいろんなところでボランティア活動をする。

 確か、今は孤児院で色々と活動をしているのは聞いていた。


「ハルキさん」

「ん?」

「ヴァイオリンの演奏を聴きたいです」

「下手くそだよ?」

「それでもいいのです。わたしハルキさんの演奏を聞いてみたいです」


 マリはにっこりと笑う。

 本当に俺の演奏を聴きたいらしいのだ。

 俺は自分が下手くそな演奏で恥をかきたくはないと思う。でも、彼女の期待を背くことはしたくはないのだ。

 収納しているヴァイオリンを一つ選び、手にとる。

 テストに一本の線を弓で弾いてみる。

 いい音が鳴らした。このヴァイオリンはメンテされている。自室に眠っているヴァイオリンとは大違いなのだ。

 俺はヴァイオリンを構えると、マリは目を輝かせていた。

 そんなに期待するほどのものじゃない、と内心そう呟く。

 そして、俺は弓を弾いた。

 きらきら星を演奏すし出す。

 最初はリズムにあって、涼しい音が鳴らしていたけど、徐々にリズムが狂って、異音が響いていた。

 そんな異音に腹を立てた俺は演奏をやめた。


「ごめん。下手くそで」


 俺はマリに謝罪をする。期待に応えられなかったことには謝罪をしだしたのだ。

 けれど、マリはそんな下手くそな俺を責めることはなく手を叩いてくれた。


「いいえ。素晴らしい演奏でした」

「下手くそだよ」

「最初の方は良かったじゃないですか」

「……でも、うまく演奏できたのはそれだけだよ」


 自分に苛立った声を発する。

 俺はヴァイオリンを辞めてしまった。母さんが死んでからやる気が湧かないのだ。

 だって、ヴァイオリンを褒めてくれる人は母さんしかいないのだ。

 誰も俺を褒めてくれない。俺のヴァイオリンは底辺なのだ。


「ハルキさん」

「なに?」

「一緒に演奏しませんか?」


 マリの提案に俺は目をぱちぱちとする。

 彼女は何を言い出すのか、俺の演奏は先ほども聞いたように下手くそなのだ。

 だから、彼女と共演すると彼女の音が乱れてしまう。


「できないよ。俺」

「わたしがリードします。そうすればテンポを維持できるでしょう」


 マリはそういうと、ピアノに立ち向かう。

 指を鍵盤に揃えて、俺の方を見つめる。

 まるで、一緒に演奏しよう、というような仕草をする。

 ……仕方がない。彼女の優しさに付き合うか。


 1、2、3……


 マリはきらきら星を演奏する。

 俺はその後を演奏する。マリのテンポに合わせて、弓を弾いたのだ。

 マリが演奏するピアノは魔力があり、俺のテンポを崩さずにいられた。耳を傾けば、そこにはマリのピアノの旋律が並んでいる。

 その魔法はキラキラと輝き、音が踊るようなテンポになっていたのだ。

 やがて、俺たちは演奏を最後までする。

 俺はテンポを乱すことなく、異音を出すことなく、最後まで演奏することができたのだ。


「できた……」

「はい! おめでとうございます!」

「できたよ! マリ!」

「はい!」


 俺は自分がきらきら星を演奏できたのが嬉しく感じた。

 昔、当たり前に演奏できたのが当たり前な曲が今でも演奏できるのは嬉しく感じた。

 心が満たされたようだったのだ。

 自分の手を見つめる。震えが止まらなかった。

 俺はきらきら星を演奏できたんだ、と心から叫ぶ。


「じゃあ、難易度を高くして、カノンを演奏しましょう」

「え? でも、俺は初心者だぞ?」

「わたしがリードします。失敗したら、また最初から演奏しましょう」

「……わかった」


 俺はヴァイオリンを構える。マリの合図を待つ。

 

 1、2、3……


 マリは演奏する。俺はそれに続けて演奏し出す。

 けれど、初歩的に俺は失敗する。異音を鳴らしてしまったのだ。


「あ……」

「大丈夫です。もう一度最初からやりましょう」

「うん」


 俺は頷き、またもマリの共演を待機する。

 マリはピアノを響かせる、俺も後から弓を引く。

 今度は順調に弓を引き、旋律が流れ出す。

 でも、途中で戦慄が途切れて、異音へと変われ果てる。

 俺は弓を弾くのをやめた。


「ごめん、マリ。俺は弾けないよ」

「そんなことはありません。わたしが先導します!」


 キーンコーンカーンコーン。


 マリは励ますと、予鈴が鳴り響く。この予鈴は休憩が終了する10分前のお知らせだった。タイムリミットであったのだ。

 俺は弓とヴァイオリンを鞄に仕舞った。


「ごめん、マリ時間切れだ」

「あ、はい」


 マリはしゅんとした表情を浮かべる。

 俺と共演できなかったことがそこまで悲しかったのか、ちょっと罪悪感を感じる。

 その罪悪感を払拭するために、俺はマリを励ます。


「マリ。共演なんて、いつでもできるさ。今日はここまでにしよう」

「はい……」

 

 マリは眉をひそめてから、ピアノの蓋板を下ろした。

 さて、次は数学の授業だ。早く教室に戻って、授業の準備をしないといけない。

 俺はそう思うと、ヴァイオリンを元の場所に置くと、扉の方へとやってきた。

 すると、マリは俺を呼び止める。


「あの、ハルキさん」

「ん? なんだ?」

「来月。ボランティア活動で孤児院でピアノを演奏することになったのです。もし、良かったらハルキさんも一緒に演奏しませんか?」

「え……」


 その誘いに俺は戸惑った。

 だって、俺の演奏は下手くそで、バラバラで、汚い旋律を生み出す。

 そんなやつと共演したいだなんて、思うはずがない。

 でも、マリは涙を流しながら、俺を誘う。


「わたし! ハルキさんと一緒に共演したいです!」

「でも、俺は下手くそだぞ」

「構いません。あなたと共演できることがわたしの願いです」


 マリは自分の手を胸を抑えると、俺に微笑む。


「さっき聞いてわかりました。ハルキさんの旋律は優しさがあります。だから、あなたと共演したいのです」

「……」


 俺は黙り込んで考える。

 ここで否定するのもできる。でも、否定したら俺の人生は何も変わることはない。

 いつものように起床し、就寝し、勉強し、喫茶店の経営をする。それだけの人生だ。音楽という心踊る旋律はとうの昔に葬った。

 だから、俺はこのヴァイオリンの演奏をしないのだ。


「……マリ」

「はい」

「俺、何もできないよ」

「練習すればいいのです。音に迷ったら、わたしがリードします!」

「失敗するかもしれないよ」

「その時は子供達が笑って許します」

「足手纏いになるかもしれないよ」

「わたしが支えます」


 一言に一言返すマリに俺は屈服する。

 俺は天に仰ぎ、そして尋ねる。

 

 ……母さん。俺はどうすればいいのだ。


 俺を褒めてくれる人はいないのだ。俺は音楽をするモチベーションがない。

 それでも、俺の音楽を支えてくれる人がここにいる。

 音楽を冒涜した俺は……音楽の世界に戻っていいの?

 

 数秒間の沈黙。俺は答えを見つける。

 

「……マリ」

「はい」

「やろう……」


 俺はマリの方を眺めると、彼女は涙を流していた。


「わ! マリ泣いているの?」

「はい! だって、ハルキさんと一緒に共演ができるのです! わたし、すごく嬉しいです!」


 涙を拭いながら、語るマリ。

 その仕草で俺は心の底から誓った。

 だから、これから毎日練習だ。俺はヴァイオリンの練習をする。

 来月に向けて、孤児院の演奏に向けて全力で走るのだ。


「それで、ハルキさんにもう一つお願いがあります」

「今週の日曜日。一緒にコンサート見に行きましょう」


 マリはそういうと、はにかむような笑みを作ったのだ。

 今週の日曜日。俺たちはデートをすることになりそうだ。


 


 






 






 






 

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