第13話 マリは優等生である

 学校が始まってから一週間。

 俺とマリは聖ガブリエル中高一貫校に通いだして、楽しい時間を共にしていたのだ。

 桜の季節も終わり、緑の木に変われ果てた時期。俺たちは学校を楽しんでいた。

 俺が観察したところ、マリは優等生だ。いろんな質問にも答えられているし、みんなにも頼られている。

 例えば、今の授業は数学だ。

 数学担任の遠藤先生から、教壇に呼び出されることがあった。


「はい! マリさん。ここの数式を与えてください」

「はい!」


 マリはスラスラと数式を黒板に書き上げる。

 それも正しくて、誰もが目を疑うハイレベルの問題を解き出したのだ。

 因数分解の共通因数を導き出せたのだ。

 中学でも習うものだが、高校になってから難易度が高くなった数学だ。


「よくできました! みなさん。マリさんに拍手」


 おうう!

 と、拍手喝采が行われる。

 マリもちょっと照れたかのように、ありがとうございます、とお礼をしながら頭を下げる。

 謙虚な彼女はみんなに好かれているのだ。

 英語の授業の時も、前田先生に呼ばれた時は素晴らしい発音を発しながら英文の作文を読み上げた。

 前田先生から涙が出るほど、素晴らしい発音だと彼女を褒め出したのだ。

 体育授業も素晴らしい成果を出している。

 体育で女子がバレーボールの授業が行われた。

 彼女はパスをスパイクで相手のコートに打ち込んだ。

 綺麗なスパイクで得点を得るのだ。

 女子からも「すごい」と褒められるのであった。

 男子からは高嶺の花と称される。

 マリは文武両道なのだ。

 勉強もできる、スポーツも万能。さすがは英才教育を受けたものだと、俺は感心する。

 だが、完璧のような彼女も苦手なものがある。

 それは国語の授業だ。


「ハルキさん。このぶたきさんという人はどういう読み方ですか?」

「ぶたき?」

 

 気になった俺は彼女の本を見る。

 そこに書いてあったのは、石川啄木だ。

 思わず俺はぷ、と笑いを出してしまった。


「マリ。この人の名前はぶたきじゃないよ。啄木と読むんだ」

「へえ。そうなんですね! 日本語は難しいです」

「確かにな。日本人でも日本語をうまく使うことはできないしな」

「でも、この人の詩は美しいです」


 マリはそういうと、ひとつの詩を読み上げる。


「はたらけど、はたらけど、なほわが暮らし楽にならざり。じっと手を見つめる」


 有名の詩だ。

 働いても働いても楽にならない、じっと手を見つめることになる悲哀な歌だ。庶民の苦しみをう訴えたひとつの歌。

 マリは涙を流しながら、その歌を繰り返すように読み上げた。

 どうやら、この歌が好きらしいのだ。

 俺は彼女が泣いている姿を見て、心を打たれた。

 彼女はきっと、いい君主になれるはずだ。

 彼女の父は首相だ。彼女もいい政治家になれる。と、俺は密かに思ったのだ。


 そして、その日の放課後。


「マリさん! 一緒にボーリングに行こう!」

「はい! 喜んで!」


 マリは今日も誘われた。

 駅前にあるボーリング場の遊び場に誘われたのだ。

 いつもの光景だ。放課後、マリは誰かに誘われる。毎日までにはいかないが、2日に一回は誘われて行く。

 彼女も断ることなく、愛想よく、行くのであった。

 俺というと、彼女が行くのを見守っていたのであったのだ。

 何せ、俺はぼっちだ。人と懐くことはない。

 だが、この日は珍しく、マリが俺に声をかけてきたのだ。


「ハルキさん! 一緒にボーリング行きましょう!」

「俺はいいよ。喫茶店の助けがあるから」

「でも……」

「楽しんできな」


 俺はそういうと、荷物をまとめて帰る支度をする。

 マリは何か言いたそうな顔をするが、俺は彼女の顔を見ないように教室を出た。

 その悲しそうな顔を見てしまうと、俺まで罪悪感を感じるから正直やめてほしいと言いたかったのだ。

 だが、マリにも悪気はない。彼女は俺と一緒に遊びたかっただけなのだ。


「ちょっと待ちなさい!」

「ん?」


 丁度昇降口に出たところ、俺は呼び止められた。

 誰かと思うと、そこには瑞希が仁王立ちで立っていたのだ。

 なんだ、この幼馴染は、と俺はちょっとイラつきながら足を止めた。


「なんだ、瑞希。俺は忙しいんだ」

「店は暇でしょ?」

「仕込みが忙しい」

「言い訳をしない!」

「……はい」


 幼馴染の目は鋭い。

 マリのように甘くない。俺が逃げるところを捕まってくる。

 瑞希には俺をしっかりと首根っこを掴んで、逃がさないようにする。

 彼女から逃げるのを観念すると、瑞希はもう、と鼻を鳴らした。


「なんで、彼女と遠下げるの?」

「ん? なんのことだ?」

「とぼけないで。マリよ。マリのこと」

「ちっ」

「今舌打ちしたよね!?」

「気のせいだ」

「バッチリ聞こえたんだけど!」 


 ああ、面倒臭え。

 この幼馴染は面倒臭えな。

 どうして、俺を噛みつこうとするのだろうか。


「帰りながら話してもいいか?」

「いいわ。今日、わたし。部活ないから」


 瑞希はそういうと、自分が手にしているヴィオラを俺に見せる。

 彼女は管弦楽部だ。ヴィオラを担当している。

 昔から、彼女は音楽が好きだったのだ。俺の真似をして、ヴィオラを演奏することになったのだ。

 でも、俺は途中で音楽をやめてしまった。だから、彼女と隣で演奏することはないだろう。

 

 帰りは一緒なので、俺たちは一緒に同じ電車を乗る。

 

「で、なんでわざわざマリを避けているのよ」

「その話か」

「当たり前よ。あんたがマリの婚約者なんでしょ?なら……」

「瑞希。この世界には二つのタイプの人間がある」


 瑞希が何かを言う前に俺はそれを遮る。

 彼女が言いたいことは大体わかる。なぜ、俺はマリを見捨てているのか。

 いや、違う。彼女を見捨てなんかいない。

 国語の授業も、わからない日本語があったら俺は横からサポートする。

 小さな紙切れでひらがなを書き出して、彼女に渡す。

 彼女が読み上げられるようにするのだ。

 

「人の上に立つものと人の下で働くものだ。これは昔からあるもので、古代ギリシャから成立しているものだ」

「何が言いたいの?」

「マリは人の上に立つものだ。俺とは違う。俺は上に立つものを支えるものだ」

 俺はため息をしながら、鞄から本を

 その本は国家論だ。著者プラトンだ。丁度、その内容を語っているところだ。


「そんなものはカッコつけだよ」

「俺はそう思わない。この世界を見てみろ、瑞希。この世界は二つに分けられているのは明白だ」

「バカみたい」

「そうだ。俺はバカだ」


 俺はそういうと、瑞希は何かしら、不満な表情を作り上げる。

 けど、何も話すことがなく、瑞希はゴモゴモと口籠る。


「これじゃあ、マリさんが可哀想だわ。婚約者に捨てられるなんて」

「彼女は俺より強い。首相の娘だぜ? 俺みたいな喫茶店の息子とは違う」

「マリさん。人に取られるよ?」

「……それが運命なら、受け入れよう」

 

 俺の目線は本の国家論にあった。

 でも、心はなかったのだ。

 心の底で、マリが誰かに取られるんじゃないか、と焦っている。

 彼女が誰か知らない男と隣に歩いているのを黙って見ていられないと思ったのだ。

 

……俺は心の底からマリを愛していたのだ。


 ページを進んでいないこところに気づかれたのか、瑞希はあーあ、と大きな声をあげてから、こう言う。


「じゃあ、わたし。マリを頂こうかな」

「女のお前が?」

「いいじゃん。LGBTQ」

「タイはそのLGBTQは進んでいないぞ」

「本気にした?」

「していないけどな」


 思わず俺たちは笑い合った。

 瑞希がマリをき気にいるだなんて、珍しい。

 でも、彼女に相当気に入られるなんて、マリも人柄がいいのだ。

 瑞希は顔が広いまではあるが、気に入られるのは別な問題。

 俺が知る限りで、瑞希が好んだ人はそこまでいないのだ。

 ページをぱらっと、捲ると、瑞希からまた声をかけられる。


「ねえ、春樹」

「なんだ?」

「また、ヴァイオリンを始めない?」


 俺は本を閉じると、瑞希の瞳を覗き込む。

 彼女は期待な目で俺を見つめている。それは一緒に舞台に立ちたい心意気だ。

 でも、残念だ。俺はヴァイオリンをとっくの昔に捨てた。

 母さんが死んでから、俺はその楽器を捨てた。

 試しに演奏してみたけど、下手くそで、誰もが嘔吐するリズムになっている。

 だから、俺はこう答える。


「ごめん。瑞希。俺はもう、ヴァイオリンを演奏しない」

「おばさんが死んだから?」

「そう、俺にはそのヴァイオリンを弾く意味を失ったんだ」


 弾く意味を失ったものに火をつけることはできない。

 金輪際、俺はヴァイオリンを弾くことはないのだ。

 

「ごめん。変なことを訊いて」

「いいさ」

「気長に待っておけ」

「ええ。気長に待つわ」


 俺たちの会話を最後に、電車は最寄駅に到着する。

 俺たちは下車し、改札口を出た。

 それから、俺は瑞希と別れて、スーパーに寄り、買い物をする。

 今日の夕飯はカレーだ。

 人参、玉ねぎ、じゃがいも、牛肉を少数買い出しする。

 ポイント2倍デーなので、卵も買い出しする。

 明日の朝には一人一つ使うのだろうし、卵は何個あっても困らない。

 買い物を済むと、俺は喫茶店ラッセルに戻ったのだ。

 父さんは雉丸と遊んでいた。猫じゃらしで、雉丸を走らせていたのだ。

 俺はそれを見ると、ため息を一息吐き出してから、厨房に空き出したカレーの材料を冷蔵庫におく。

 着替えてから、カレーの仕込みに取り掛かる。

 カレーがグツグツ鳴ったところで、俺のスマホから振動する。メッセージが一件、入ってきたのだ。

 差出人は瑞希だ。

 なんだろう、と思いながら、内容を読む。


瑞希:マリちゃんとデートしなさいよ!


 全く、何を考えているんだ。この幼馴染は。

 言われなくても、今日の埋め合わせをするつもりだ。

 俺は素早く返事を返した。


俺:それなら、もう考えている


 すると、返事が素早く帰ってくる。


瑞希:それなら、よかったわ


 俺たちの会話はそれだけにして、終わった。

 俺は喫茶店の経営に戻った。

 父さんは相変わらずサボり、雉丸と遊んでいる。

 この中で雉丸と仲がいいのは、父さんだけだ。

 なぜだろう?

 

 丁度、太陽が傾いたところで、マリは帰ってきたのだ。


「ただいまです!」

「おかえり。マリ」

「いい匂いです! 今日の夕飯はカレーですか?」

「ああ。カレーだ」

「やった〜!」


 と、どこか喜ぶように言うと、机で待機する。

 俺はカレーを注ぎ、マリに渡す。

 マリは喜んで、完食したのだ。


 ああ。こう言う小さな幸せがいい。

 

 大きな幸せは俺は願わない。

 こういった幸せで十分なのだ。大きな幸せはいらない。なぜならば、大きな幸せは不幸を呼び寄せるからだ。

 と、俺はそう思ったのだ。

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