目指す生活

三鹿ショート

目指す生活

 今月もまた、生活に必要な最低限のものを除いた金銭を手渡した。

 恰幅の良い男性が笑顔を浮かべながら金銭を受け取ったことを確認すると、私はその場を後にした。

 どのような仕事をすればこれほどまでに大きな自宅を建てられるのだろうかと考えていると、彼女が声をかけてきた。

「そろそろ、時間です」

 首肯を返し、自動車に乗り込む。

 やがて、彼女が運転する自動車は、とある建物の前に停車した。

 彼女と共に建物に入り、挨拶をしてくる人間たちに頷きながら、目的の場所へと進んでいく。

 地下室の前に立っていた屈強な男性は、私に対して恭しく頭を下げた後、扉を開けた。

 室内では、椅子に縛り付けられた一人の人間を、複数の人間が囲んでいた。

 揃って挨拶をしてくる人間たちに頷いた後、椅子に縛り付けられている人間の髪の毛を掴み、顔を上げさせる。

 何度も殴られたためか、顔面は腫れ上がり、鼻は折れ、歯が何本も抜けていた。

 だが、意識はあるために、私は相手に問うた。

「そろそろ、隠した金銭の場所を明かす気にはなったか」

 その言葉に、相手は緩慢な動きで首を横に振った。

 私は相手の髪の毛から手を放すと、周囲の人間に向かって頷いた。

 それを合図に、人々は手に刃物を持ち始める。

 そして、椅子に縛り付けられた人間の両手足に刃物を当てると、同時に動かし始めた。

 未だに元気が残っていたのか、地下室に悲鳴が木霊する。

 血液が室内を染めていくが、己の行為に躊躇いを覚える人間は存在していない。

 無表情で仕事をこなしていく部下たちを目にしながら、これならば今後は私がこの場所に存在しなくともやっていくことができるだろうと考えた。


***


 私は、あらゆる悪事に手を染め、金銭を得ていた。

 借金を返済しようとしない人間の肉体から使い物になるような臓器を取り出して売ったこともあれば、その様子を撮影した映像を売ったこともある。

 私が管理をする土地において、無断で商売をした人間の目の前で妻や娘を陵辱させ、全ての権利を放棄させたこともあった。

 私の商売を止めさせようと画策する人間が現われれば、その人間の自宅に、切り落とした両親の首を送りつけたことも憶えている。

 それらのような行為を繰り返した結果、私の名前を聞いただけで小便を漏らす人間が現われるほどの力を得ることができた。

 しかし、私は何時までもこの地位にしがみつこうとは思っていない。

 私には、目指している世界が存在しているのだ。


***


 高い壁の向こうに行くことが出来る権利を得ることができた私は、現在の仕事を彼女に引き継がせることにした。

 笑みを浮かべたところを見たことがない彼女は、私の言葉に困惑した様子を見せた。

「本当に良いのですか。今やこの世界において、あなたと肩を並べることができるような人間は存在していないのです。それを手放すなど、勿体ない」

「構わない。私は、物騒な世界に長居しすぎたのだ。隠居するということも考えたが、この世界には私に対して恨みを持った人間の数があまりにも多い。だからこそ、誰にも邪魔をされることがない平穏な生活を送ることができる壁の向こうに行くことを決めたのだ」

 高い壁の向こうの話は、誰もが知っている。

 其処に向かうためには、気が遠くなるほどの金銭が必要だが、それを支払ってしまえば、何の苦労も心配も無い生活を送ることができるのだ。

 金銭を稼ぐことに対する意欲を強めるための計画らしいが、今のところは、大金持ちだけが体験することができる状況である。

 金銭を得る方法がどのようなものであるのかは不問だったために、私はその生活を得るためだけに、努力を続けてきたのだ。

 私の意志が強いことを悟ったのだろう、彼女は深々と頭を下げると、声を震わせながら私のこれまでの仕事ぶりを労った。

 彼女と顔を合わせたのは、これが最後だった。


***


 壁の入り口を管理している恰幅の良い男性に案内され、私はその扉の前に立った。

 男性は扉の鍵を開けながら、

「扉を抜ければ、戻ってくることはできません。本当に、良いのですか」

 その言葉に、私は首肯を返した。

「思い残したことなど、何も無い」

 男性はそうですかと呟くと、扉を開けた。

 長い通路の先に、小さな光が見える。

 私がその光に向かって歩き出すと、扉が閉まる音が聞こえてきた。

 だが、私は振り返ることなく、歩み続けた。


***


 其処では、奇妙な世界が広がっていた。

 建物らしい建物は何もなく、ただ空間が広がっているだけだった。

 その内部において、至るところに痩せ細った人間が転がっているのだが、いずれの人間の頭部には、帽子のような機械が装着されている。

 一人の人間に近付こうとしたが、あまりの異臭に、思わず後退りをした。

 見れば、小便や大便に加え、精液のようなものまでが放出されていた。

 掃除をする人間は存在していないのかと思い、周囲に目を向けたが、動いている存在は私だけだった。

 歩き回るが、やはり私以外に生きている人間は存在していないようである。

 やがて、倒れている人型の機械を発見した。

 その機械は、動いていない人間たちに装着されていた帽子のような機械を幾つも持っていた。

 使用方法を記載していると思しき説明書を見て、私は納得した。

 帽子のような機械は、その人間が望む世界を映しだし、同時に、その感覚も得ることができるということだった。

 だからこそ、快楽に溺れた人間が目立っているのだろう。

 大金を支払った結果に得られる生活の正体に、私は笑いが止まらなかった。

 現実逃避のために、帽子のような機械を装着したが、故障しているのか、何の反応も示すことはなかった。

 あまりの馬鹿馬鹿しさに私は大声で笑い続けたが、やがて、それすらも馬鹿馬鹿しくなってしまい、口を閉ざした。

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