誕生日パーティーの過ち 3
パーティーも終盤に差し掛かって、ライオネルはエイミーに誘われて邸の庭にある温室へやって来た。
温室には大きなブランコと、それからティータイムを楽しむためにテーブルセットが置かれている。
今日のパーティーでは温室を使う予定がなかったからか、飾り付けられてはいなかった。
温室のガラス張りの天井からは月明かりが差し込んでいて、温室の中を青白く照らしている。
光魔術で灯りを灯そうかと考えたが、月明かりがあまりにも幻想的で美しかったので、ライオネルは魔術を使うのをやめた。エイミーも同じ考えなのか、魔術を使って灯りをつける気配はない。
月の青白い光と、それから暗くインクで描いたような影を落とす草木、そしてその中に浮かび上がるテーブルセットの白と、明るいブラウンのブランコ。
二人座っても余裕な大きなブランコの上には、マカロンのような可愛らしい丸いクッションが二つ並べられている。
エイミーは吸い寄せられるようにブランコに近づいていくと、クッションを一つ抱え持ってブランコに座った。
エイミーが座ったので、ライオネルも白い椅子に腰かける。
「あー……楽しいパーティーでよかったな」
エイミーが何も言わないので、沈黙に耐えかねてライオネルが言うと、エイミーは大きな目をぱちぱちとさせて、それからこくりと頷いた。
「はい、楽しかったです」
エイミーのそのあたりさわりのない返答に、ライオネルは少なからずショックを受けた。
ここのところ妙におとなしかったエイミーだが、誕生日パーティーの日にはいつもの彼女に戻るのではないかと心の中で思っていたからかもしれない。
二人きりになればきっと、いつものわけのわからないモモンガ語でライオネルを翻弄し、抱き着いて、毎年のように「誕生日だからキスしてください!」とこれまたわけのわからない自論を展開しはじめるのではないかと。
毎年、「誕生日プレゼントは別でくれてやっただろう!」とエイミーのキスのおねだりを退けるのが恒例になっていたから、きっと今年も同じだろうと、ライオネルは思っていた。――思いたかっただけかもしれないが。
先ほどまで楽しそうに笑っていたのに、今のエイミーの顔には笑みはない。
何故だろう。何故――エイミーは笑わない?
エイミーはクッションを意味もなくいじりながら、何かを思案するように視線を落としている。
今日のエイミーの格好が、いつもよりも大人びているからだろうか。目の前の彼女が急に知らない誰かになったような気がした。
ひっそりとした夜の空気に流れるこの沈黙が、なんだか嫌だ。
何か言わなくてはいけない気がする。言わなければ、取り返しのつかないことが起こりそうな、そんな嫌な予感を覚えるのだ。
「……エイミー」
「殿下」
カラカラに乾いていく喉から絞り出すように彼女の名前を呼べば、エイミーの声と見事にかぶった。
互いに譲るように黙ればまた沈黙が落ちて、ライオネルは小さく「なんだ」とエイミーに続きを促した。
ライオネルは別に、何か伝えたい言葉があったわけではないからだ。ただ沈黙に耐え切れなくなってエイミーの名前を呼んだだけなのだから。
エイミーはクッションをぎゅうっと抱きしめて、足先で少しだけブランコをこいだ。
キィ、キィ、と規則的でどこか音楽めいたブランコの小さな音がする。
「……殿下、お話があるんです」
「ああ。なんだ?」
ブランコの小さな音に耳を傾けながら、ライオネルは静かに問い返した。
夜のしじまに、エイミーとこんな風に静かに言葉を交わしたことはない。
静かだからなのか、夜だからなのか、薄暗いからなのか――その全部なのかもしれないけれど、胸の中に妙な感傷が沸き起こって、それがライオネルを落ち着かなくさせた。
エイミーはきゅっと唇を噛んで、それから意を決したように顔を上げると、まっすぐに大きな青い目でライオネルを見つめた。
「殿下……わたしたち、お別れしましょう」
「――っ」
ライオネルは息を呑んだ。
ドクンと大きく心臓が音を立てて、そのまま大きく早く鼓動が打ちはじめる。
キィキィというブランコの音が、自分の心臓の音で聞こえなくなった。
「……なにを、言っているんだ……おい、モモンガ……」
自分でも、何を口走っているのかわからない。
動揺して、頭の中が真っ白になって、心臓だけが妙にうるさくて――ライオネルはわけがわからなくなった。
どうして自分はこんなにも動揺しているのだろうか。
ずっとずっと、エイミーから婚約の解消を持ち掛けられるのを待っていたはずだ。
今のこの状況は万々歳であって、動揺することじゃない。
そうだ。
ずっと待っていたのだ。
これでいい。
これは計画通りだ。
これでこの人間なのかモモンガなのかわからない意味不明な生き物から逃げられる。
――これで、いいはずなのに。
「殿下――」
「何を言っているんだお前!」
気づけば、立ち上がって叫んでいた。
これは望み通りだ。望み通りなのだと心の中で何度も自分に言い聞かせようとするのに、ライオネルの口は止まらない。
「ふざけているのか? これは王命の婚約だぞ。そう簡単に解消できるはずないだろう! お前、どうかしたんじゃないのか? ああわかった! 風邪を引いたときに頭がやられたんだな! だったら俺がお前のとこの主治医よりも優秀な医者を派遣してやる! ああ、ウォルターはどうだ? あいつは優秀なんだ。だから――」
だから、今まで通りの意味不明なモモンガに戻れよと、ライオネルは叫びそうになった。
寸前で飲み込んだが、動揺はまったく収まらず、むしろさらに混乱して、ライオネルはがしがしと頭をかきむしる。
「殿下、わたしは……」
「うるさい!」
ライオネルは、続くエイミーの言葉を遮った。
「うるさいうるさいうるさい! お前、なんなんだ! いつもいつも鬱陶しくて意味不明なくせに、急に物分かりがよくなりやがって! 俺を揶揄っているのか? そうなんだな? そうなんだろう? それともあれか? ああそうか、あのときの約束を俺が無視しているから拗ねているんだろう! だったら今すぐあのときの賭けの報酬をくれてやる!」
ライオネルは大股でエイミーに近づくと、ブランコの背もたれに両手をついて、その中にエイミーを閉じ込めた。
「でん――」
驚いて目を見開いたエイミーの唇を、自分の唇で素早く塞ぐ。
エイミーが息を呑んだのがわかった。
唇はすぐに離そうと思っていたけれど、エイミーがかすかな抵抗を見せたせいで頭に血が上って、抑えつけるようにして口づけを深くする。
体にぎゅっと力を入れて硬直していたエイミーは、突然、ハッとしたようにライオネルを力いっぱい突き飛ばした。
「や!」
不安定なブランコの背もたれに手をついていたせいか、エイミーに押されてライオネルはよろめき、たたらを踏んでその場にしりもちをつく。
だが、転んだことよりも、エイミーに突き飛ばされたことの方が――拒まれたことの方がショックだった。
しりもちをついたまま、ライオネルは茫然とエイミーを見上げる。
エイミーは今にも泣きだしそうなほどに、大きな瞳をうるうると潤ませていた。
(……泣くほど、嫌だったのか…………)
ライオネルはもう何も言えなかった。
キスしろと騒いで抱き着いてきていたエイミーは、もうどこにもいないのだと、エイミーの顔を見て悟ったからだ。
今のエイミーは、ライオネルにキスが泣くほど嫌なのだ。
よろよろと立ち上がる。
そして――
「もういい」
これ以上エイミーの顔を見ていられなくて、ライオネルは泣き出しそうなエイミーを一人温室に置き去りにしたまま、逃げるように出て行った。
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