エイミー・カニングにつける薬なし 2

 それは、エイミー・カニングが五歳の四月のことだった。


 興味を持ったことは何でもさせるというカニング侯爵夫妻の教育理念のもとのびのびと育っていたエイミーは、朝から意気揚々と庭に出ていた。

 というのも、今日、王子様が来るというのである。


 この時国王夫妻は、七歳のお披露目と同時に王太子になるライオネルの婚約者選びに躍起になっていた。

 何事もなければ次期王になるライオネルの婚約者は、家柄が家族の思想など、いくつもクリアしなければならない項目がある。

 国王夫妻や大臣たちが何年も吟味に吟味を重ねて候補を五名まで絞り込んで、ようやく本人たちの顔合わせを行い相性を確認しようという運びになったのがこのころのことだった。

 そしてその五名の中に、重鎮カニング侯爵の娘エイミーも名を連ねていたわけだ。


(王子様ってどんな人なのかしら? 絵本の中みたいにキラキラしているのかしら? 楽しみだわ!)


 三日前、父からこの国の第一王子ライオネルが遊びに来ると聞いたエイミーは、三日かけて王子の歓迎方法を考えた。


 何と言っても王子様だ。

 叔父様や叔母様が遊びに来る時のような並みの歓迎方法では失礼に当たる。


 考えに考えて考えすぎて思考が明後日の方にぶっとんだエイミーは、最終的に、王子様を歓迎するために庭に落とし穴を掘ることにした。


 ここで問題だったのは、エイミーは五歳にしては優秀な子で、家庭教師から簡単な魔術の扱いも教えられていたという点だ。

 どうせなら大きな落とし穴を掘って驚かせようと考えたエイミーは、魔術を用いて、大人がすっぽり入るほどの巨大な落とし穴を掘った。

 落とし穴を掘り終わった時点で「歓迎」から「驚かせる」へ思考が移動したエイミーは、さらに落とし穴をわからなくさせるために魔術を用いて蓋をして、周囲の芝と同化させた。

 そして、よくよく見なければ大人でも気がつかないだろう完璧な落とし穴を作成したエイミーは、意気揚々と王子様の到着を待ったのである。


 もしエイミーが落とし穴を掘ったことに侯爵夫妻や二つ年上の兄が気づいていたら、落とし穴は急いで埋められたことだろう。

 しかしライオネルを驚かせたい一心のエイミーは、もちろん両親や兄にも内緒にしていた。――それが、悲劇を生むことになるとは、もちろん気づかずに。


 午後になって、両親と兄とともにそわそわしながら玄関前で待っていると、王家の紋章の入った黒塗りの馬車が到着した。

 母である王妃に手を引かれて馬車から降りてきたのは、キラキラと輝く金髪に紫色の瞳を持った、とても綺麗な男の子だった。


(絵本と一緒!)


 ライオネルを一目見た途端にエイミーは踊り出したい気分になった。


(この王子様がわたしの旦那様!)


 旦那様どころかまだ婚約者「候補」であるだけなのだが、ライオネルの「キラキラ」感に一目ぼれしたエイミーの脳内ではすでに彼に嫁ぐことが決定した。


(未来の旦那様には、しっかりおもてなししないと!)


 エイミーは母親の手を放しててってってっとライオネルに駆け寄ると、覚えたてのカーテシーで挨拶をした。


「はじめまして、ライオネル殿下。エイミー・カニングです」


 何十回と練習した挨拶に、まず感動したのは王妃の方だった。


「まあ、素晴らしいカーテシーだったわエイミー。賢い子だとは聞いていたけど、本当に賢いのねえ! しかもとっても可愛らしいわ!」


 次に、王妃のあとから馬車を降りてきた国王も、にこにこと笑うエイミーに心をぶち抜かれた。「モモンガみたいに目が大きくて可愛らしい子だな」

 エイミーは子供のころから顔立ちだけは群を抜いて愛らしい子で、たいていの大人はエイミーの笑顔にいちころだったのだが、それはどうやら最高権力者である国王夫妻にも当てはまったようだ。

 頭の回転の速い子供だったエイミーは、それをそのまま「笑えば大人は機嫌がよくなる」という方程式に当てはめて、あちこちに愛想を振りまいて回っていたので、社交界ではカニング侯爵家の娘は天使だと噂されていた。その噂はもちろん国王夫妻の耳にも届いていて、おかげでエイミーは、この時すでにライオネルの五人の婚約者候補の中で群を抜いて国王夫妻に気に入られていたのである。


 それが後々のライオネルの悲劇を招く結果にもつながるのだが、もちろんこの時のライオネルが気づいているはずもない。

 愛らしい婚約者候補に出迎えられてまんざらでもなかったライオネルは、笑顔でエイミーに手を差し出した。


「ライオネルだ。よろしく、エイミー」


 玄関先で簡単な挨拶を終えた後で、国王夫妻とライオネルは、ティーセットが用意されているサロンへ通された。

 兄は勉強の時間なのと、エイミーとライオネルの顔合わせには無関係なのでそのまま自室に上がる。

 エイミーは目の前に用意されていたお菓子を、せっせとライオネルに取り分けた。


「殿下、このタルトはとっても美味しいです。それから、こっちのクッキーも!」

「うん、本当だ、美味しい」

「でしょう?」


 さっそく仲良くなった子供たちに、国王夫妻も侯爵夫妻もホッと胸をなでおろす。

 というのも、ライオネルは少々気難しい子供で、初対面の相手にはなかなか心を開かない傾向にあったのだ。

 それがどういうわけか、エイミーとは初対面にもかかわらず気を張った様子はない。


「エイミーとライオネルは相性がよさそうだな」


 すっかり打ち解けた子供たちに、国王がまずそう評価を下した。

 王妃がおっとりと微笑んで追随する。


「ええ。エイミーはとても可愛らしいし、いいんじゃないかしら?」


 大人たちがすでに婚約話をまとめようとしていることもそっちのけで、エイミーはおままごとの延長のような気分で、ライオネルのお茶を勧めたりお菓子を勧めたりして楽しんでいた。


(殿下が旦那様旦那様旦那様)


 頭の中はすっかりその単語で染まっている。


(こんなにキラキラした王子様がわたしの旦那様。わたしの人生はバラ色!)


 絵本に書かれていた「人生はバラ色」という言葉の意味はいまいち正しく理解できていないが、きっと薔薇のような華やかな人生になると言うことに違いない。


「エイミー、殿下に庭をご案内差し上げたらどうかな?」

「はい!」


 五歳児には退屈だろうと、父がそれとなく退出を許してくれたので、エイミーは元気よく返事として立ち上がった。


(そうよ、お庭よ!)


 せっかく掘った落とし穴である。ぜひライオネルにびっくりしてもらいたい。

 エイミーは乳母のマルソン夫人とライオネルとともに庭に降りると、散歩をするふりをして落とし穴の場所を確認した。

 落とし穴は庭の真ん中に掘ってある。

 何故なら庭師のおじいちゃんが昨日から東の方の花壇を触っていることを知っていたからだ。白髪頭の庭師がうっかり落とし穴に落ちたら大変だからである。


「お嬢様、殿下、あまり遠くへ行ってはいけませんよ」


 マルソン夫人がそう言って少し離れると、エイミーはさっそくライオネルの手を引いた。


「殿下、こっちです! こっちに行きましょう!」

「わかったからエイミー、そんなに手を引っ張るな」


 エイミーに手を引かれてたたらを踏んだライオネルが、エイミーが行こうとする先へ素直についてくる。


(あと四歩、三歩、二……)


 エイミーは慎重に落とし穴の位置を確認して、そして――


「殿下! 今日はいらしてくれてありがとうございま――す‼」


 ドーン‼


 エイミーはここぞというタイミングでライオネルの背中を突き飛ばした。


「うわあああああああ‼」

「きゃあああああああ‼」


 ライオネルと、それからマルソン夫人の悲鳴が庭に響き渡る。

 けれども、ライオネルはきっと驚いて楽しんでくれるはずだと思い込んでいるエイミーは、わくわくと落とし穴に落ちた彼を覗き込んだ。


「殿下どうですか? わたしが掘ったんですよ、すごいでしょ?……って、あれ?」


 落とし穴の中からライオネルの反応がなくて、エイミーは首を傾げた。


「殿下ぁ?」


 ――どうやらライオネルは、落とし穴に落とされた衝撃で気を失ってしまったようだった。



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