第三話 祝い酒
マスターの村井が金属で出来た丸い盆にナッツとビールを四つ載せて持ってきた。
明はそれを両手で受け取って、すまねえと頭を下げた。その後、明はナッツとグラスはテーブル横のソファーに座っている健二と正太に渡し、残りのグラスを手に取るとサッカー盤の近くで立っている港に配って、踵を返して空いているソファーに座り、最後のグラスを左手で掴んだ。
「ったく、コーヒーを入れていたところで注文を変えるのだから。もう、豆を挽き終わっていたところだったんだぞ」
村井がむっすりとした表情でそう言った。
「すまねえ。マスター。俺達の仲間の祝いなんだ。仲直りの酒の場でもある。許してくれ。コーヒー代は払うからさ。そうだ。マスター、健二に子供が出来たんだよ。びっくりだろ」
明は村井にに健二の事を知らせた。
「ああ、先程オーダーを変える時に正太に聞いた。しかし、健二、よかったな。お前に子供が出来るとは思わなかったよ。それもここにいる奴らよりも一番最初にだ」
村井が健二に目を向けた。その隣では正太が頷いている。健二は
「ええ、マスター。僕もです」
と言った。
「しかし、俺はそういうことはてっきり港が最初だろうと思っていた。少し前に良い感じの彼女がいたんじゃないかい。ほら、ここにも何度か連れて来ていたじゃないか」
村井が港を見た。
「久留実の話かい、マスター。あいつとはもう終わったんや。俺は確かに彼女を愛していたよ。結婚したいとも思っていた。ただ、俺はあいつの期待に応えられる自信がなかった。あいつは子供を欲しがったんや。だけど、俺はあんまり胸を張れる仕事をしている訳やない。それに、皆が生きにくいような腐った世の中や。生まれてくる子供にこんな世界みせられない。殊更愛する彼女との子供にはな。そういう気持ちがあって俺はあいつの気持ちを断った。上手く久留実には伝えらんなかったな。別れる時にかなり怒られたな」
港は右手で髪を掻き上げて少し前の彼女を思い出しながら、村井に応じた。明は村井もズケズケとプライベートの事を詳しく聞くもんだと思った。
「マスター、港の痛い思い出をほじらんといてや」
正太は明と同じ事を思ったようで村井にそう言った。
「ああ、すまない、すまない。これでオーダーを急に変えたのとおあいことしてくれないか。さあ、ビールが温くなっちまう。飲め」
「はは、そうだな。マスター」
明はそう言ってマスターが持ってきたビールを飲んだ。健二、港、正太もそれぞれグラスを手に取ってぐっと口に押し当てて天井を仰いでいる。ぐびっとビールが喉に染み入る。
「かーっ。うめえ」
明がそう言ったと同時に一同も同時に唸っていた。
「なあ、正ちゃん。俺にナッツ取ってくれへん」
離れたサッカー盤の近くにいる港が正太に甘えている。
「自分で取れって」
正太がナッツを食べながら、面倒な様子で手を振っている。
「港君、僕が取ってあげるよ」
健二がそう言ってナッツを小皿に取って港に渡した。
「やっぱり、健ちゃんは優しいな」
そう言う港がにっこりと笑っている。
「そういえば、港君。さっき、ちょっと聞きたかったんだけど、マスターに言っていた内容で子供にとって未来に希望が持てないのじゃないかってことを言っていたと思うんだけど、その事、僕もそう思うんだ」
健二が港に言った。それを聞いていた正太が
「おいおい、健二も港の元カノの事を深堀するんかい」
と言って苛めている。健二は
「いや、僕もずっと考えていたことなんだ。初めて出来た彼女との初めて出来た子供だけど、今の世の中は学生時代に一生懸命頑張っても最後の就職活動の所で挫いちゃうとどうにもならない世の中だし、なんとか見つけた就職先でも給料が伸びていくなんてことはないじゃん。それをカバーしてくれるような政治でもない。それは僕たちも分かってて、僕たちは躓いてしまったから『鳶(とんび)の反逆』を立ち上げて、詐欺や盗みを行って、そこで得た利益をマスターを通してボランティア団体とかに還元するようになったんじゃないか」
と腕を組んで考えるようにしながら言った。
「そうやな。本当に希望も何もない世の中よな」
港はナッツを頬張りながらそれに大きく頷いている。
「なんや、港の傷に塩を塗るんやなくて、真面目な話やったんか。俺もその事には同意するぞ」
と言いながら正太はビールをグビグビ飲んでグラスを空にしてテーブルに置いた。
「ああ、なんか真面目な話にしちゃったね」
健二が言う。明は、どうにかこの真面目な雰囲気をガラッと変えたくなった。健二に取って『鳶の反逆』に居られる最後の時間であると同時に健二が子供が出来た事に対する祝いの場でもあるのだ。何か気の利いたことはないかと考えを巡らせた。そうすると一言、流れるように言葉が出てきていた。
「--だったら、こんな世の中俺達で変えようぜ。今度はきちんとした方法で。ほら、例えば、俺達で世の中を変えるような政治家を立てようぜ」
何を言っているんだ。明は自分の心の中でそう思った。また適当な事を言ってしまった。と思ったが、周りを見ると皆の目が輝いていた。『鳶の反逆』を立ち上げたあの日と同じように。
「それ、いいかも」
健二がぽつりと言った。
「なんや、面白そうやな」
正太がむくりとソファーから立ち上がって言った。
「なんか、それ、ワクワクするやん」
港がそういいながら明の肩を揉んで来た。
「それだったら、僕、もう少し皆と一緒にいたい」
健二がそう言う。明は皆の反応が思いの他上々だったため、テンションが高くなった。
「じゃあ、決まりだな、俺達で変えようぜ。まずは政治家探しだ」
そう言って、明はガッツポーズをしながら立ち上がった。
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