第二話 仲間
一時間半程運転をして、明は小さなログハウスの前で車を停めた。――『ディケンズ』だ。格子窓がついた古びた木の扉の横に『ディケンズ』と書かれている看板を見て、ここがいつもの溜まり場である事を明は確認した。特に目立つ風貌ではない喫茶店ではあるが、明にとっては妙に落ち着く店だ。
明は『ディケンズ』の扉をゆっくり開け、中に入った。その後ろから健二たちが入ってくる足音が聞こえる。カラン、カラン。アンテーィーク調の錆びついた鈴の音と共に漂う芳しいコーヒー豆の香りが明の鼻を満たした。
「相変わらず良い匂いだ」
と明は思った。明がカウンターを見るとその奥では、マスターの村井 雄三(むらい ゆうぞう)が食器についた水滴を一つずつ丁寧に拭きとっていた。
「おかえり。何を飲むかい」
村井と目があったかと思うと村井が声をかけてきた。村井は確か六十台半ばであり、学生時代に初めて出会った頃に比べて口髭には白い髭が多く混じっていた。
「俺はミックスジュース。お前らは」
明は健二達に尋ねた。
「えーと、僕もミックスジュース」
「ワイはコーヒー。ホットで」
「俺もホットコーヒーやな」
それぞれが注文した事を確認してから、カウンター席が五席と四人掛けのテーブル席が二つといった店内をすり抜け、店の奥にある隠し部屋の扉を開けた。
そこには三人掛けの鋲打ちがされたチェスターフィールドの革張りの茶色いソファーが二つと同じ二人掛けのソファーが二つ、それらに挟まれた四角い大きなテーブルが一つ並んでいた。その横にはサッカー盤が一つ用意されている。通常は落ち着く部屋であるはずが、先程の健二の言葉を引きずっていた明は何処か居心地の悪さを感じていた。
ドカッという音を立てて、部屋に入って来た正太がソファーに座った。
「ふうー、やっと帰ってきたぜ」
「せやなー。やっと一息つける」
と正太に続いて入室した港がその向かいに座った。
「さて。っと。健ちゃん。辞めるって話、もう少し聞かせてや」
と恐る恐る部屋に入ってくる健二に港が話を切り出した。明が車の中でずっと考えていた話だ。明は港の隣に腰掛け、大きく足を組んだ。
「うん。ええっと。僕、皆んなとの仕事を辞めたいんだ。『鳶(とんび)の反乱』を抜けるよ。子供が出来たんだ」
健二は居心地が悪いのか立ったままだ。その唇は震えているのを明は確認した。健二が必死の想いで言葉を繋いでいるのは分かっている。だが、こればかりは健二を簡単に許す事は出来ない。
「健二。子供が出来たのは分かった。だけど、今まで一緒にやって来たじゃないか。それを急に辞めるのかよ。女が出来た、子供が出来たってだけで俺達から離れて行くのかよ」
明はそれまで心の中で燻っていた事を健二にぶつけた。
「皆んなの事は大切だよ。親友だと思ってる。だけど、生まれてくる子供はきちんとしたお金で育てたいんだ」
健二は今にも泣き出しそうな顔をしながら、明に弁明をした。
「それは俺達の金が汚いと言うのかよ。そんな風に思っていたのかよ。確かに俺達、『鳶の反乱』は犯罪グループだ。だが、そこまで汚い金を稼いでいる訳ではないだろう。完璧な悪ではないと俺は思っている。それは健二も分かっているはずだ。人に暴力を振るようなこともしていない。マスターから案件を受注して盗みや詐欺を働き、成功報酬という形で収入を得ている。俺たちの収入にならなかった部分はマスターが上手く処理をして全国のボランティア団体等に匿名で寄付をしているんだ。俺達は言わば義賊だ。それを健二、お前は汚いと言うのかよ」
――「しまった。揚げ足を取るような物言いをしてしまった」と明は思ったが、放ってしまった言葉を取り戻す事は叶わず、そのまま健二を見据えた。健二は泣き出しそうな顔になっている。
「まあまあ、明も落ち着きなって。健ちゃんの気持ちも分かるやろ」
港が両手を広げて二人の間に割って入った。
「そうや。ワイだって健ちゃんが辞めるのは寂しいぞ、明。そうやけど、一旦整理してみ。仲間に彼女が出来たんや。それに子供も出来たんや。こんなに嬉しいことが二つ一緒に起こったやで。こんなええことはあらへん。そうちゃうか」
正太がそう言ってきた。正太が言っている事は明にも分かっていた。本当は明自身にもこんなに喜ばしい事はないというのは分かっていた。だが、素直になれない自分がいた。いつも大事に思っていた仲間が抜けるんだ。易々と諦める事は出来ない。ただ、その気持ちだけがずっと心に引っ掛かっていた。明はそれを今の時点ですっきりさせたいだけだ。素直に健二の背中を押してあげるためにも。
「健二、一発だけビンタさせてくれ」
「え、うん」
バチン。明は健二の頬を力強く叩いた。そして、そのままぐっと抱き寄せて健二の肩を抱いた。
――「健二、ごめん。痛かっただろう。本当は俺、寂しかったんだ。お前の、辞めるって言葉で何処か遠くにお前が行っちゃう気がしてよ。子供、良かったな」
明はやっと心の底から言いたかった言葉が言えた気がした。
「痛いよ、明君。でも、ううん。ありがとう。明君。僕の方こそ皆んなに相談出来なくてごめんね」
「ははっ。いいんだよ、仲間だし、俺達は親友だろ」
「そうだね」
健二の目から涙が流れたのが見える。明自身も頬に暖かい雫が流れるのを感じた。
「よし、それじゃ。健二の新しい門出を祝ってあげないと」
港がパンっと手を叩いて言った。その後ろでは正太がマスターにコーヒーではなくて、酒にするようにお願いしていた。それを聞いたマスターが渋々注文を受けていた。
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