リリーと馬車

「あのっ、すいませんこんな事になってしまって。もし事件のことを話していただけたらなと思ったのですけど、私一人ではマジェスフィアをうまく使えないんですよね。もう少ししたら旦那さまが帰って来ると思いますので、一緒に紅茶でも飲んで待ちましょう! ねっ! ねっ!」


 四輪の馬車が静かに止まり、車夫が車両の窓を開けた。日の高い空から降り注ぐ光が馬車の窓ガラスを透過し、車内で独り言をつぶやいているリリーに光が差し込んだ。


 ミニチュアの白亜の城。アレックス市長の公邸に着いたのだ。リリーは車夫の声に驚き、一瞬だけ背筋が震えた。それでもすぐに自身を落ち着かせ、車両の扉を押し開けると、市街で捻った片足を気遣うようにゆっくりと馬車から降りる。そして、振り向くと車夫に深々と一礼をし、少々ぎこちなく足を動かして公邸の扉に手をかけた。


 馬車の車夫はそんなリリーの姿が気になったのか。少女の背中を不思議そうに見詰め、引き留めた。


「お嬢さん。いったい車両の中で誰と喋っていたんだい? 乗せたのは君一人のはずだがね」


「――!」


 車夫の言葉に、リリーの背中がもう一度震える。


「ごめんなさい……。揺れ心地がよくって、うたた寝してしまったんです。きっと寝言を呟いてたのかな……わたし……」


 車夫は首を傾げた。寝言のわりには口調が整っていたからだ。仕事柄うたた寝をする相手は珍しくない。真夜中を走る日なんかは乗客の寝言を聞く事もしばしある。だがここまでハキハキとした口調で寝言を言っていた相手は初めて……。いや、実際は今日だけで二人目か。


「いやね、こんな事を聞いたのはさぁ。君の前にベイカーという元警官を病院まで運んだんだがね。熱でうなされているのか、口から出る言葉が暴言だらけで参ったんだよ」


「はぁ……」


 事件の真相をまだ知らないリリーはその話を聞いて、純粋に気の毒に思った。


 その傍らには険しい表情を作る見えない友人が静かに佇んでいる。


「まあ、気持ちはわかるさ。妻も吹き飛ばされた瓦礫で怪我をしてね。大した怪我じゃなくて良かったんだが。ベイカーは災難だったな。車両の中に血痕が残ってただろ、腹にナイフのような石片が突き刺さって血を垂れ流していたからね。お嬢さんは足の捻挫だけで運が良かったと思うよ。今日はそんな日さ。マジェスフィアが事件に使われると悲惨な惨状を目の当たりにする事が多々ある」


「そうですか……。奥さんのこと、お気の毒に思います……。早く事件が解決すると良いんですけど……」


「確かに今回は時間がかかっているねぇ……。こんな時はさぁ、怪人『ジョーカー』が現れていつも事件を解決してくれるっていうのに」


「車夫さんは、本物のジョーカーに会った事があるんですか!?」


「あるとも。前に現れたのは1年前だったかね。『ジョーカー』が現れる日は死者に会える。私の時は死別した双子の娘に会えた。感謝しているよ、あれが幻でもね」

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