監獄からの脱出

「おかしいでしょ!! 雇い主を踏み台にするなよッ!!」

「雇い主っていうなら、もっと快適な仕事環境を用意しろよォォォッ!!」

 メディエットの双翼剣『ダブル・ダウン』の一本が独房の壁に突き刺さっていた。その片翼を引き抜くため、メディエットはアレックスを足場にすると決めると、彼女はアレックスの両肩に足を置き、壁に両手を添えて立ち上がった。彼女の行動は器用だったが、踏み台にされたアレックスにとっては迷惑この上ない話だ。自分と同等かそれ以上の重量を全身で支える羽目になったのだから。

 幼い両足がフルフルと震え、メディエットが壁から片翼を引き抜くまで耐えなければならない。

「アレックス。お前はどう思う」

「何がさぁ……?」

 唐突の問いかけに、アレックスは頭上を見た。しかし、すぐに視線を逸らす、そんな少年の頬が少しだけ紅潮していた。

「『ディ・アブロ』を盗んだ奴の事だ。私はトールと戦ったからわかる。操り人形にすら私は勝てなかった」

 アレックスにはその言葉の真意が理解できなかった。

「何が言いたいのさぁ……」

「あのトールという、魔鉱機士。生前はきっと、もっと強かったはずだ。そんな相手を誰ができると思う? 『ディ・アブロ』を護送中だったんだろ? 何時も以上に周囲に警戒の目を張り巡らせていたはずだ」

「それじゃぁ、メディエットは魔鉱機士以上がこの街に潜んでいるっていうの? もしかしてランディスを疑ってるんじゃない? それなら違うよ~、たぶん……。あの人、お金の事しか考えてないし。街で災害でるの一番嫌うんだ」

 アレックスは踏ん張りながら、濁った声で答えた。

「ランディス支部長の事は考えてもいなかった。根本的におかしいんだ。本来自由に使えるはずの人間が罪を犯すのは」

「じゃぁ、メディエットは誰を……。疑っているわけ……さッ?」

「身内だ……」

「えっ……?」

「この街では、運よく、魔鉱機士以外が、マジェスフィアの護送にかかわっているらしいじゃないか」

「あぁ。それのこと……。取り決めがあるんだよ。機士側が好き勝手やるのも体裁悪いでしょ? だから危険物資の搬出入は、街と協会からそれぞれ人員を出す決まりになっているんだよ」

「その人員というのはだれなんだ?」

「警官隊だよ。彼らがマジェスフィア協会と協力して、『ディ・アブロ』を大陸横断鉄道まで運んでいたんだ」

「そうか。ベイカーも警官隊だったな」

「ベイカーさんを疑っているの?」

「あぁ。その通りだ。私は事件の捜索資料に目を通した時から、ベイカーが怪しいと睨んでいたんだ」

 メディエットの言葉にアレックスの表情が曇った。アレックスは思索にふける。ベイカーは確かに警官隊の一員だ。だが彼は警官隊でも位が一番低い巡査だったはず、護送にかかわることなどできただろうか? それこそ、厳重な警備を潜り抜けて『ディ・アブロ』を手に入れるなど不可能に思えた。だが、壁に突き刺さる翼剣に手を伸ばすメディエットには、この事件の裏側が見えているようだ。

「初めからおかしいと思っていたんだ。最初の事件でベイカーの前に現れたジョーカーはトールで間違いない。だが、運が良いのかトールから逃げ切っている。鼠が猫から逃げるようなものだ。それも3夜連続。ありえないッ!!」

 戦ったからこそ、メディエットはその確信を得ていた。

「それは、だって同僚をおとりに使ったからじゃないんですか?」

「考えてもみろ、初日は『クロンダイク』の一振りで二人を一瞬で殺しているんだぞ。それに市街地に並ぶ家屋の屋根に軽く飛び乗る男だ。そんな身体能力の持ち主が、恐怖でへたり込んだ警官を見逃すはずがない」

 力むような声でメディエットはそう言うと、石壁に深く突き刺さった翼剣のグリップを掴んだ。しかし、水晶壁でできた翼剣の刀身は思いのほか深く刺さっており、ケガを庇い動くメディエットの力では引き抜くことが出来なかった。

「もう、そんなに動かないでって。僕、限界近いんですから……ッ」

「そんな事を言われてもだな……」

「だったらマジェスフィアのトリガーを引けば良いじゃないですかぁッ!!」

 険しい表情が閃きに晴らされていく。メディエットは翼剣のトリガーを引き、その刀身から青い輝きが放たれた。水晶壁の刀身に魔法の力が宿ったのだ。その切れ味は鋭く、翼剣は勢いよく壁を裂いて落下し始めた。

 自然な重力により地面に吸い寄せられる翼剣を手に何とかバランスを保とうとするメディエットだが、グラグラと動く足場に、ついにバランスを保つことが出来なくなり、体制を崩してしまった。メディエットの弱った握力は翼剣を虚空に解き放ち、アレックスの両肩にはメディエットの体重全てが集中。ついに、耐えきれず、アレックスは独房の床に背中を打ち付けた。

 アレックスの視界に翼剣の青い刀身が映り込む。

 ――ジャキーーーン

 その剣は勢いよく落下し、アレックスの頬をかすめて独房の床に突き刺さった。

「……ヒッ!!」

 アレックスの声が震えた。一方、メディエットは自身も空中を舞っていた。メディエットは落下するなか、ケガで軋む身体を何とか翻し、片手と片足を床につけ、なんとか自身の体重を支える。

「クッ……」

 落下の衝撃がメディエットを襲い、その痛みが顔に浮かび上がった。しかし、その痛みさえも彼女の強さを際立たせていた。

 アレックスはそんなメディエットの表情をまじかで見つめる。今まで以上にメディエットの顔が近くにあった。

 透き通るようなメディエットの茶色い瞳に、ドキドキとした胸の高鳴りを感じていたが、それが声として出ることはなかった。

「すまなかった」

 メディエットの声は無味乾燥的なものだったが、その言葉には彼女なりの謝罪の意味が込められているようだった。

 そして、床に突き刺さった翼剣のグリップを再び掴むと、力強くトリガーを引いた。

「戦えば分かる、普通の人間がトールから逃げるのは無理だ。逃がしたのなら別だがな」

 青白く光る水晶壁の刀身からは、羽虫が耳元を飛び回るような小刻みな音が響き、その音に悪寒の覚えたアレックスは思わず両耳を塞いだ。

「大丈夫か?」

 メディエットは、未だ床に倒れ込むアレックスに向けて、片手を差し出した。アレックスは驚いた表情を浮かべながら、メディエットの手を掴んだ。メディエットの手はグローブ越しにヒンヤリとした手の冷たさが伝わり、一転、ハッと醒めた表情で口を動かす。

「うん、大丈夫」

 メディエットに腕を引っ張られ、アレックスは立ち上がった。その姿をメディエットは確認すると、力強く鉄扉の方まで歩くと頑丈な鉄扉の中心へ翼剣の刀身を突き入れた。

 美しい透明な剣は、水面に石を沈めるかのように鉄と交わり、その身体から青白い光を放った。その光は鉄板を揺らし、その幻想的な光景に、アレックスは思わず言葉を失った。物質硬度を無視して物体を切り裂くその動作は、目の前の現象が物体を切るよりも、それが水底に沈むように見えた。

 目を見開き驚きの表情を浮かべるアレックスの前でメディエットは鉄扉に突き入れた翼剣を徐々に動かし始める。刀身は何の阻害も受けず、滑るように鉄の壁を切り裂いていった。

「うそぉ……」

 アレックスの顔全体が驚きの色で染まった。目の前で起きている現象が、信じられないほどだった。トールの持つ「クロム・ダイク」とは全く逆の特性、

同じ破壊という名の現象なのに『ダブルダウン』のそれは、幻想的で美麗だった。

「凄いだろこのコイツは」

 ――凄いなんてものじゃない……。

「このマジェスフィアは代々、ダナン家に受け継がれていたものなんだ。コイツの前の持ち主は。私の実の姉だった」

「……えっ?」

「……姉さんはもういない。グリードリバーで私を庇って、青い炎に飲まれたんだ」

「そう……。だったんですか」

「……厳しくて、強くて、優しくて。私はそんな姉さんに憧れていた。姉さんの隊は私を残して全滅だったよ。今も生きていたなら、支部長くらいにはなっていたんじゃないかな」

 メディエットの辛い過去に触れ、アレックスの心にいたたまれない気持ちが広がった。

「姉さんの背中を追って、ここまで来たけど。同じグリードリバーの生き残りに殺されかけるとはな。だが…ホッとしているんだ。同じ戦場で生き残ったトールがこの恐慌の首謀者じゃなくて。魔鉱機士は皆、その胸に信念を抱いている。悪を滅するという信念だ。だから許せない。トールをあんな風にした奴を」

 その熱い思いを聴いて、アレックスはメディエットの傍まで歩み寄ると、彼女が剣を握りしめている手に自分の手をそっと重ねた。メディエットの手は傷からくる痛みによって震えており、その細やかな振動がアレックスの手に伝わった。

「大丈夫ですか。メディエット。手が震えてるじゃないですか。僕が支えますから」

「恩にきる……」

「ハハッ。メディエットがそんな人で安心しました。街酒場でイカサマなんてするから。凄い人が来たんじゃないかと、戦々恐々でしたよ」

「すまない……。三日間何も食べれなかったんだ」

 自責の念に駆られるメディエットの横で切り裂かれた鉄扉が音をあげて崩れ落ちた。

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