悲劇 ―3年前―

――3年前


 俺は海という景色を知らない。だが、雄大な地平を埋める砂浜は知っている。細く長く生い茂る白樺の森と純白の砂、それが砂浜だ。夕焼けの時、赤く鮮血の色に染まり、沈みゆく太陽と共に闇夜と同化する。この風景が俺にとっての海だった。風が吹くと、砂粒が舞い、遠くの山々が霞むこともあった。それが俺の心の風景だ。


 俺の故郷は、魔鉱石ばかりが採掘される小さな村だ。魔鉱石には特殊な魔力が宿っており、その力は奇跡にも似た力を生み出す。この魔鉱石は、マジェスフィアと呼ばれる特殊な魔法工学機械を動かす動力源として重宝される。これによって、鉄道は地表を唸りを上げ走り、闘いの場で雷を呼ぶ魔法が輝くのだ。だからこそ、魔鉱機士たちは、この奇跡の力を求めて、村々を渡り歩き、土地という土地を買い叩いていた。


 俺の住んでいた村も例外ではなかった。山間にひっそりと寄り添うその村は、かつて山を切り崩し、巨大な風穴を創り出した。何十年もの間に切り出された鉱石の破片は、地表を覆い尽くし、白銀の砂が広がっていた。太陽が昇ると、その砂はほんのりと白く輝き、光を反射して肌を焼くほどの熱を発生させる。一歩踏み出すごとに、熱い砂が足の裏をくすぐり、空が焼けつくような夏の日には、地面からの熱波で周囲が揺らめくこともあった。


 しかし、そんな辺境の村の暮らしでも日々の生活に困らなければ俺は構わないと思っていたのだ。だが奴らはそんな静穏すら簡単に踏みにじる。俺たちはこの土地の所有者ではない、魔鉱機士の連中が「出て行け」と言えば、それで終わりだ。ただ、それだけなら良かった。


 忘れられない日がある。突然訪れた魔鉱機士の大群。奴らは何の前触れもなく、村に押し寄せた。奴らの目的は鉱脈に隠れているとされる反乱分子の処分が目的だったらしい。鉱脈に広がる魔鉱石の悪用を恐れた魔鉱機士は、村から俺たちを追い出したのだ。子供たちが遊ぶ広場、老人たちが語り合う木陰、すべてが彼らの手に渡り、かつての平穏な暮らしは一変した。

 振り返れば、あの日の夕焼けは特別だった。紅く染まった空に、何かの終わりを告げているようだった。


 戦争というものは須らく悪だ。それは俺が目の当たりにした戦場での惨劇から得た結論だ。


 反乱分子と魔鉱機士たちの戦いは地獄の業火のように燃え上がった。村の周辺は悪夢の舞台と化し、かつての静寂は叫びと血しぶきの交響曲に塗り替えられた。奇跡の力を秘めた魔鉱石の戦いは、人間の理解を超える残虐さで展開され、肉体と魂を削り取っていった。


 魔鉱機士たちは、魔鉱石を動力源とするマジェスフィアを操り、反乱分子たちを追い詰めた。魔法のような光を放つ剣が肉を切り裂き、空を舞う機械が地上を焼き尽くした。反乱分子たちも、信念に燃え、機械の恐ろしい力に立ち向かい、死と隣り合わせの戦いを強いられた。


 戦場は、地獄そのものだった。魔鉱石の力が創り出す奇跡は、死と破壊の美学に変わり、人々の血と汗と涙で暗い色彩を描いた。戦士たちの顔には絶望と恐怖が同居し、沈む瞳には狂気が宿っていた。地面は戦いの痕跡と死者の遺体で覆われ、木々は戦火で焼け焦げ、灰と化した。


 魔鉱機士の非人道的な立ち振る舞い。奴らは容赦というものを知らない。


「さぁ進むんだ」

 赤々と揺らめく空が終末を予感させ、炎に包まれる故郷を背に、ベイカー・ホープキンスは家族を連れ、戦火から逃れるべく大陸横断鉄道の駅へと足を運んだ。小さな娘の手を握りしめ、妻の横顔を見つめながら、彼は紛れもなく危機的な状況の中で、横柄な態度をとる魔鉱機士に問いかけた。

「あのぉ……。俺達はこれから何処へ行けばいいんですか?」

「そう言った質問は、大陸横断鉄道の駅員に聞いてくれ。我々はあなた方の行き先に関与しない」

 機士たちはみんな偉そうだった、自分たちだけが選ばれた存在だと過信している様子だ。彼らは誰が魔鉱石を採掘していたのか忘れたのかと、ベイカーは皮肉に思った。

「あなた……。これから何処に行くのよ。メルティだってまだ小さいのに」

 ベイカーは妻の心配そうな眼差しを受け止め、少し顔を歪めた。ベイカーの隣で、彼の妻クローディアは、凍てついた吐息を漏らした。

「どうするっていってもなぁ……。仕事がなければ暮らしていけない。何とかするから、心配しないでくれ……」

 ベイカーの手の中で、小さな娘メルティの手が小刻みに震えていることに気が付いた。その細い指の震えは、明かな不安と恐れをベイカーに伝え。家族を守る重圧がベイカーの胸を締め付ける。そんな中でも、ベイカーは優しく手を握り返し、娘を安心させようとしたが、小刻みな手の震えが止まることはなかった。

「なぁ……もしも、だがな……。サンディル辺りに行けたなら、新しい土地で、もっと良い暮らしができるんじゃないかなぁ」

 ふとベイカーが呟く。大陸横断鉄道の駅まではまだ遠い。鉄道で移動するにも目的地を決めておかなければと思ったのだ。

「……サンディルなんて大都市よ? 大丈夫なの? 私達みたいな田舎者を受け入れてくれるかしら?」

「大丈夫だとも! 都市で仕事を見つければ、メルティを学校にだって行かせてやれる。もう、村に縛られた暮らしをする必要はないんだ」

「でも……」

 未来への確信を偽装する励ましも、ベイカーの足取りを軽くすることはできなかった。数百もの村人が大陸横断鉄道の駅へと行列を作り向かっていたのだ。それは、戦火からの逃避行であり、未来へが霧に包まれたかのような不確定な道の象徴だった。ベイカーも、現実から逃げられないことを痛感していた。しかし、自身に付いてくる家族への深い愛情が彼を突き動かす。少なくとも娘だけはこの厳しい現実から守りたいという強い願いが、彼の胸に響いていた。

「パパ……寒い」

「父ちゃんの手は冷たいな。母ちゃんの手はもしかしたら暖かいかもしれないぞ」

 駅に着いたら、暖かい飲み物でも用意してやろうと心に誓いながら、ベイカーはメルティの頭を優しく撫でなでた。メルティはベイカーの言葉の通り、ふと母見ると、母の暖かい手を探した。クローディアは手を差し伸べ、娘の小さな手を握りしめた。母の手の温もりに、メルティの顔にはほんのりと安堵の笑みが浮かんだ。

「そこの荷馬車! どうした? 積載量過多なんじゃないのか? あまり馬車馬を虐めてやるなよ? 役畜は貴重なんだ」

 村へと続く山道。ベイカーたちは道の隅を進み、中央では重火器を積んだ荷馬車が速度を上げていた。その荷馬車の車夫たちはどれだけ急いでいるのだろうか。そして、どれだけ焦っているのだろうか。ベイカーはそんな疑問を心に抱きながら、前方からやってくる短足馬たちを見つめた。それらの馬たちはみな寒さに震え、自分の体の何倍もある荷車を引かされ、舌を垂らした口から白い吐息をまき散らしていた。長い道のりに疲弊しながらも、それでもなお機士は馬の背中に鞭を入れていた。

「あぁ、問題ないだろう。目的地は目と鼻の先だ。このまま行くさ。」

 「パパ? お家の方で何をやっているの?」

 小さな娘の顔が、自分たちの家だった方角を見つめる様子が、ベイカーには胸が痛かった。彼女はまだ五歳で、戦争の恐ろしさを語るわけにはいかない。

「おい? 村の方、光ってるぞ? あれはなんだッ!!」

「馬鹿野郎、手綱を離すなって!」

「あっ……」

 突然の叫び声と共に、ベイカーの視界にぼんやりとした機士の横顔が写り込んだ。その直後、浴びるような閃光が視界を真っ白に覆い尽くし、耳に金属が裂ける音が響いた。前方から差し込む閃光に驚いた短足馬が暴れ、荷台を大袈裟に揺らす。荷物の過剰な積み込みによって引きつけられたロープは、時間の経過と共に腐食した金属の留め金を力強く打ち砕いた。


 ベイカーは危険な音と迫り来る危機感に反応し、咄嗟に身を伏せた。だが、妻と娘はどうだったのだろうか。二人は確か、ベイカーの後ろを歩いていたはずだ。彼が生きているのであれば、一体誰が降りかかる災難に巻き込まれたのか。


 否応なく不安に襲われるベイカーの足下に、路面を伝い流れる深紅の血が写り込んだ。その光景に、彼の心は冷たい恐怖に打ち震えた。

「おい、大丈夫か……」

「うっ……」

 震える眼が徐々に焦点を取り戻し、恐怖に震えるベイカーの肩に、一人の機士の分厚い手の平が乗っかった。彼は咄嗟に顔を上げた。周囲を取り囲む人々たちは、皆、口元を手で覆っている。

 ベイカーは振り返ったが、背後に二人の姿はなかった。代わりに、地面に滲む深紅の血が、崩れた積み荷まで伸びていた。まるでベイカーの手を握るかのように。

「クローディア……。メルティ……。おい、返事をしろよ……。俺の声が……。聞こえないのか……」

 ベイカーの声は失意に震えていた。そんなベイカーに対して、機士が問いかける。

「大丈夫か、あんた?」

「あっ……!?」


 ――積載物は、何だ? こいつらは一体何を積んでいたのか? 何を必死になってやがった? ふざけるな、ふざけるなよ。いくら何でも酷すぎる仕打ちじゃないか!


「積み荷に押しつぶされたのって、もしや――」

 気が付けば、ベイカーの拳は機士の顎を粉砕していた。その衝撃的な光景を目の当たりにした機士の仲間たちは、彼を一瞬で取り押さえた。鋭い鉄格子の向こう側で、留置されたベイカーは冷たく妻と娘の死を告げられた。


 クローディアは娘メルティを庇い、その瞬間に命を失った。メルティもまた、重い積み荷に押しつぶされた際の深刻な傷から回復することはなく、三日間の間、生と死の境界を彷徨った末、母の元へと旅立った。


 悲しみと虚無感に満ちたベイカーの心は、一つの事実に引き裂かれた。息を引き取るその瞬間まで、メルティの手を握りしめて安心させてあげられなかったことが、彼の胸に深い傷を残した。

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