監獄

 グリードリバーで使用されたマジェスフィア『ルールブック』は、もっとも忌み嫌われるものだった。すべての機士の能力を奪い、新たな制約を行使する。そして、加えられた制約は、この土地で力を行使するもの達に確実な死を与えていた。

 マジェスフィア協会の反乱分子が始めた戦争は、機士の存在を揺るがした。彼らは禁忌とされていたマジェスフィアを起動し、ごく少数ではあったが、大勢の機士をこの世から葬り去った。そんな戦いの中に一人の少女はいた。


――3年前

 

 青白い爆炎に飲まれて消えゆく一人の女性の後ろ姿を見つめながら、少女は声の許す限りに叫んだ。その言葉がもう届かないことを理解していても、叫ばずにはいられなかった。炎に飲まれて消えていく姿、二度と戻らぬ戦友との永遠の別れに、頬を伝う涙は白銀の地面へと落ちた。そして、地面に拳を打ちつけた。白い砂が飛び散り、鮮血の触れた大地は深紅に色づいた。


 グリードリバー、戦闘が常となったこの土地では、ほんの一瞬の気の迷いが命を奪う。それは泣き崩れる少女も例外ではなかった。「私が気がつけなかったから、少しでもあの人の足を止めてしまったから。だからあの人は私を庇う為に――」

 無力感に打ちひしがれ、少女は弱々しく顔を上げた。


 白銀の世界に現れた黒い人影が、無言で少女の目の前に立ちはだかった。むろん、少女の命を奪うためだ。その人影の手には、黒い銃が握られ、冷たい指が引き金にかかっていた。

「やめて、それを使ったら。あなたも死んでしまうわよ――」

 この土地で敵の声に耳を傾けるものなどいない。心からの忠告すら霞に消え、躊躇もない冷たい指が、黒い引き金をゆっくりと押し込んだ。

 直後、青い炎が引き金を引いた者から吹き上がった。

「だから……。いったのに……。どうして、誰も聞いてくれないの……。」

 青い炎はやがて破壊の衝撃と共に炎の牢獄を作り、少女を飲み込んだ。無力な結末に膝をつき、炎が大気を焼き尽くす中で少女は、自分の死を覚悟した。


 そんな時だった。大カラスの羽のように巨大なコートを着た大男が少女の前に立ちはだかったのだ。

「あなたは……誰?」

 少女のか細い声など、男の耳には届かないようだ。男は羽のようなコートを炎にさらしながら、強く叫ぶ。

「――ジョーカー――それが名だ――。一次的に――、全ての者を蘇らせる。ああ、ここで死んだもの全てだ」

 少女の前で男はそう名乗りを上げると、一枚のカードを取り出した。大火が迫りくる中、漆黒のコートで炎をはじき飛ばし、取り出したカードを前方に突き出す。その動作に呼応するように、周囲を取り囲んでいた青い炎は人の姿を取り戻すように形を変え、閃光と共に消え去った。そして、炎が消えると同時に、少女は地面に倒れ込んむ、安らぎに包まれた表情を浮かべながら――。


「……ここは?」

 深い夢の中で、今はもういない戦友の声を聞いた。グリードリバーで青い炎に焼かれ消えた者たちの声。懐かしい響き。

「……屈辱だ……。情けをかけられたのか……」

 メディエットは頭痛に揺らぐ頭を持ち上げる。そして、まだぼんやりとした視界で周囲を見渡した。


 周囲は洞窟のように薄暗く、四方は石壁に囲まれていた。しかし、明かりは確実に差し込んでいた。真上を見上げれば、青い空と太陽の陽射しが見えた。メディエットは自分が幽閉されているのか気になった。


 ズキズキと軋む身体は、持ち上げる度にガラスで引き裂かれたような激痛が走り、そのつど苦痛に顔を歪ませる。腰を曲げて体を起こすと、それまで身体を覆っていた白いシーツが軽く音を立てて床に落ちた。

 それによって、メディエットは初めて自分が素朴なベッドの上に寝かされていることに気が付いた。ベッドは木製の骨組みと木の板で作られており、寝そべっていた木板には赤黒い血痕がべっとりと付着していた。嗚咽を覚える色に、メディエットは自分の身体を確かめた。


 『クロンダイク』の雷撃を受けたような気がした。それゆえ、自分の身体が原型をとどめていることに驚いたのだ。むろん、体力には自信があった。機士になって以来、毎日重い双翼剣を腰に下げて走り回っていたのだから。他の女性と比べても、さらに男性と比べても、自信を持って戦うことができる。しかしその自信も、トールという同じ機士に打ち砕かれた。

 悔しさに滲む表情を浮かべ、メディエットは自分の身体を確認する。体にできた擦り傷を触るたび電流のような刺激が体中を駆け巡り、自身の骨に大きく亀裂が入っていることを痛感した。しかし、外傷はそれほど深くない。それだけでなく、体中にできた浅い傷跡には、薬を染み込ませたガーゼがきちんと巻かれ、包帯で固定されていたのだ。とても、素人の手当てとは思えないほど丁寧な応急処置の後。しかし、一人きりの部屋で閉じ込められ、傷を手当てしてくれた人物を特定することは難しかった。


 メディエットは途方に暮れながらも真上に視線をやった。微かな光がランプのように点滅している。あそこまで登れば外へ出られるかもしれない。だが、身体が重くて、それはほぼ不可能だと感じた。

 彼女は深い溜息をつき、しょうがなく正面を見つめる。眼前には分厚い鉄の扉が立ちはだかり、素手では絶対に開けられない。もし扉が格子状であれば、鍵穴を弄り外へ出られるかもしれないが……。


 ベットから立ち上がり、思案顔のメディエット。しかし、ほんの一瞬、彼女を包み込んでいた微光が衰え、反射的に先程見上げた天井へ視線を送った。何かがこの部屋に落ちてきている。

 その影は次第に大きさを増し、一度何かを掴み飛び跳ねると、そのままメディエットが寝かせられていたベッドを真っ二つに引き裂いた。その衝撃でシーツの埃が舞い上がり、部屋中が灰色に覆われた。


 視界が濁る中、彼女は手で空気を振り払った。だが、ここは密室だ、埃の逃げ場は地面しかないのだ。濁った空気と散乱した室内を見つめて、メディエットは項垂れた。

「……新手の処刑か」

 もし夢の中の声が彼女を起こしてくれなければ、今頃はベッドもろとも真っ二つになっていたかもしれない。そんなことを考えつつ、落ちてきた物体に視線を向けた。

 ベッドに落下した直後から、それが物体ではなく人間であることは分かっていた。何かをつかむような器用な動きで、サラサラとした黒髪をなびかせて落ちてきたからだ。しかし、問題はその人が誰なのかよりも、無事なのかどうかだった。相当な高さから落下してきていたし、何かにつかまって落下の勢いを殺す動作をしていたようだったが……。

無表情で、落ちてきた人物の安否を確認するために覗き込んだとき、メディエットは思わず声を上げた。

「アレックス!!」

「……あれっ。……メディエッ……ト?」

 思いがけない再会にアレクスは目を見開いた。トールが作り出した奈落の底、その場所にはメディエットが囚われていたのだ。

 トールのどてっぱらを蹴り飛ばし、その反動で奈落に落下したものの、二つの障害物がどうやらアレックスを守ったらしい。一つは壁から突き出た突起物、もう一つは先ほどまでメディエットが横たわっていたベッドだった。アレクスは尻を強く打ったものの、大きな傷はなく、腕を痛そうに振ってはいるものの、ほぼ無傷といってよい状態だった。

「あれっ、キミ死んでないよね? 急にグオーとかいって襲ってきたりしないよね? 操られてなんかしないよね?」 

「バッバッバッバッバッ! バカな事を言うな! 縁起でもない!」

「あっ、ごめんごめん。僕の早とちりだったみたい。だってトールの奴がさ、メディエットと同じ運命を辿るがいいとかいうもんだから、てっきり死んじゃったんだと思ったんだよ」

 急な再会に戯けるアレックス。

 メディエットはそんな小悪魔のような表情を見つめ、淡々と言った。

「それよりアレックス、ここはどこなんだ?」

「落ちてきた僕に、それを聞きますか?」

「知ってるんだろ? リリーが廃墟のことを広場で教えようとしていたからな」

「一応、知ってるけど。どうしようかな~」


――ゴチン


メディエットの拳がアレックスの頭を叩いた。彼は、目頭に熱を感じながら頭を押さえる。

「痛いじゃん!!」

「状況を考えろ、アレックス! 今、ふざけてる場合じゃない」

「だからって、雇い主を殴るなよ」

「なっ! 雇い主だと……」

「そうだ。僕が予算を組んでマジェスフィア協会にお金を渡しているんだから。僕はキミの雇い主さ」

 そんな事は無い。そうな思いたくない。気を失う前の苛烈な戦闘がメディエットの脳裏を過ぎる。そして、怒りは沸き上がり。メディエットは、感情を爆発させた。

「雇うならもっと真面な奴を雇ったらどうなんだ!! 私はキサマが雇った魔鉱機士に殺されかけたんだぞ!! この街の機士があんな冷徹な人間だったなんてな、驚きだ!!」

 苛立ちからメディエットは叫びを突き刺した。その声は、狭い室内を駆け巡り、アレックスの表情から笑顔をかき消す。無邪気な笑顔の消失。怒鳴られたから、叱られたから。そんな些細な事では無かった。

 アレックスが笑顔を消したのには深い意味があった。

 そして、アレックスは右手に未だ残る真実をメディエットにゆっくりと見せつけた。

「……あの人を、そんな悪く言わないでください。彼も……、辛かったんだと思います」

 アレックスは悲しさを誘う声で言った。

「……なにっ!? なんだ、その包帯は」

 メディエットは驚きに揺らいだ。

「この包帯は、トールさんの顔を覆っていた包帯です。顔には酷い切り傷がありました。その傷と死者特有の白く濁った瞳を隠すために巻かれたんだと思います。彼はスケープゴートにされたんですよ。卑劣な誰かの手によって」

「そう……。だったのか……。」

 メディエットは、その言葉に思わず口をつぐんだ。アレックスの言葉に黙考するメディエット。彼女の目は深く、考え込んだ表情を浮かべ、その瞳は一瞬だけ遠くを見つめた。

「気の毒に思う……ジョーカーにされていたとは」

 深い同情を言葉に込めながら、メディエットは言葉を紡いだ。

「でも、おかしいんです」

「何がだ」

「殺されたはずなのに。悲しさよりも、安心感の方が強かった。ずっと不安だった……。あんなんですけど……。いい人でしたから……トールさん」

 その言葉に、メディエットは目をパチクリとさせた。本当ならばまた怒鳴りつけたかった。――人の死に無頓着なんじゃないのか――と。でも、それを言わなかったのは、アレックスが言葉を発しながらも、その丸い瞳に涙を溜めていたからだ。

 アレックスの扱いに困りながらも、メディエットは彼の小さな頭に手を伸ばした。

「トールの仇は私が討つ。だから泣くな、アレックス」

「泣いてません。泣いてなんかいません……。いませんけど……」

 悔しさに滲む表情で、アレックスは目尻に滲む涙を袖で拭いた。

 強い少年のその仕草を見つめ、メディエットは小さく溜息をついた。先ほど、仇を討つとは言ったものの、この部屋からどう抜け出すか、その問題はまだ解決していなかった。

「……ここは、旧刑務所の独房だと思います」

 涙が残る表情でアレックスが答えた。そして、部屋の出入り口、厚い鉄扉に歩み寄り、裏手で一度だけノックしてみせた。

 大きな鐘が鳴るような音が響いた。しかし、その音は部屋中に一瞬で広がり、やがて悠然と消えていった。その反響の様子から、扉の向こうには更なる空間が広がっていることを二人に示していたのだ。

「刑務所内部で一番頑丈に作られている場所です。普通に脱出するのは不可能でしょう」

「また厄介な所に落とされたものだな」

「あれっ? でも、メディエットって、マジェスフィア持ってませんでしたっけ? ランディスから聞いた話だと、何でも切り裂く双剣だって」

「――ない」

「えっ?」

「持っていない。無くしたんだ。1本はトールの雷撃を避けた時の爆風に吹き飛ばされた。そしてもう1本は戦闘中にトールに投げつけたけど、避けられたんだ。おそらく、瓦礫の中で眠っていると思うが。それに、持っていたとしても、トールが見逃したかどうか、怪しいものだ……」

 メディエットは緊張感漂う声で言った。もし双翼剣を持っていれば、早速脱出を試みていただろう。頭の中で考えを巡らせてみても、出てくる答えは一つのみ。――抜け出す術は無し……か……。

「えぇ。それじゃあ外に出られないじゃないですか!」

「うるさい。男だろ。もっと落ち着いてみろ!」

 その言葉は自身の心の写し身だった。一番叫びたかったのはメディエット本人だ。どうにもならない状況に苛立ちは募り、メディエットは自身がガラスのような体であることを忘れて、鉄扉を力強く蹴った。

 鉄扉は大きな音を立てたが、それで開くわけがない。跳ね返ってきた振動がメディエットの身体を小刻みに揺らし、無数の針が体を突き通すような痛みに襲われ、床に膝をついた。

 鉄扉の振動で舞い上がった砂埃がパラパラと降り注ぐ中、アレックスは頭上、砂埃の発生源を見つめた。

「メディエット。ここに落ちてくる時なんですけど。奇妙な物体が壁に突き刺さっているのを見たんです。改めて見てみると、なんか妙にメカメカしいっていうか……」

 独房へ向けて落下していた時、奇妙に光る突起物が何であるかを確認する余裕などあるはずもなかった。しかし、落ちた後、冷静に下から観察してみれば、確かにその突起物は独房の構造としては不自然だ。その突起物は、独房の壁に突き刺さるように取り付けられており、ある程度体格が整った囚人であれば、力任せに跳躍して届きそうな高さに設置されている。もし、そんな金属物質に飛びつき引き抜かれでもすれば、それこそ脱獄騒ぎになりかねない。アレックスの市長としての知識が、その突起物が外部より持ち込まれた遺物であると告げていたのだ。

「それに、綺麗ですね。何かよくわからないですけど。壁から水晶が突き出ている感じで、キラキラと星空を見ているみたいです」

 その言葉を聞いて、メディエットは視線を、壁から突き出た突起物に移した。その直後、驚きに、表情を崩す。

「まさか……。『ダブル・ダウン』なのか? 雷の爆風で飛ばされた片翼がこんなところまで、飛ばされてきていたのか……」

 ――なんという幸運か!!

 メディエットは含み笑いを浮かべながら手を伸ばす。届かないと分かっていても手を伸ばさずにはいられなかった。

「メディエット、笑い顔が少し怖いんですけど……。いったい、何考えているんですか?」

「クックックッ……。復讐の……。算段だ……」

 そう言って、メディエットは今まで伸ばしていた手を下ろすと、アレックスの方を向いて口を開く。

「それよりアレックス」

「なんだい?」

「肩を貸してくれないか。今の私じゃ、ジャンプしても届きそうにないんだ」

「ぇえ~っ! 市長である僕を、踏み台に使う気? メディエットさぁ。僕の方が身長も低いんだし、体重だって――」

「――いやッ、私の方が絶対に軽い!」

 メディエットは断言した。自分の方が体重が軽いと。そんな事実はないのだが。アレックスはメディエットの強烈な気迫に圧され、一歩後退した。それはまるで小さな動物が恐怖に震えているような様子だった。しかし、メディエットはそんな狂気に怯えるアレックスを一歩追い詰め、両手でガシリと捕まえるのだった。

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