消えた英雄
~トール襲撃後 大通り 昼~
間近の危機は過ぎ去り、家族との再会を歓喜する鳥達の囀り、だがそんな彼等を散り散りに引き裂く雷鳴が遙か彼方で轟いた。
トールの襲撃後。
ホロウオッドの市長であるアレックスは市街の大通りで事態の収拾に追われていた。
鉄槌の唸りを聞きつけて、直ぐさま駆けつけた救護隊は問い詰めるようにアレックスから言葉をせびり、その都度アレックスは苦虫を噛み締めたような表情を見せる。
完全に倒壊した数件の家屋を見つめ、自分たちは無事だったんだと気取る警官達に指先で檄を飛ばし。怪我人、或いは通行人の避難誘導の指揮に当たる。
忙しなく変化する状況下で、自身とその近習が大事に至らなかったのは不幸中の幸いといえただろう。
――アレックス! お前はこの事態を収拾しろ。
「メディエットの奴…………」
アレックスはメディエットの言葉が気がかりだった。それは、アレックスがトールの実力を一番把握していたからであり、二人が大通りでぶつかり合った時の光景から実力の差を一目で理解したからでもあった。もし一対一での戦闘になっていたならメディエットの勝利は薄いだろう。
ワイシャツの白い袖を空中に泳がしながらアレックスは思う。
――僕も助けに行くべきか。いやっ、もう全て終わっているかもしれない。だが、奴等をこのまま放ってはおけない。
「アレックス市長、怪我人の搬送が終わりました」
「ご苦労。で……どれくらいだった?」
「はっ?」
「怪我人と死者の数だって」
「あぁ、それならこれを見ていただければ」
救護隊の男はそう言うと、アレックスに一枚のクリップボードを差し出した。ボード上部のクリップがガシリと数枚の用紙を咥えている。そして、用紙の一番上には「緊急時対応処置簿」と記載されていた。
この帳簿には有事の際に、救護隊員達が取った行動が事細かに記載され、処置の経緯までが一目にわかるようになっていた。無論怪我人の人数から死者の死因まで詳しく記載されている。
「重軽傷者104名、死者36名……。死傷者がこんなにも……。僕の街でやってくれたなぁ……」
怒りの籠もる口調。眉間に皺をつくり帳簿に描かれた文字をアレックスは読み上げる。
「あの、魔鉱機士のトール殿が本当にこんな事をなさったのですか?」
「見ての通りだよ。大地を穿つ竜の爪痕、どうみたって『クロンダイク』だ。あれはトールにしか扱えない代物だから、間違いないよ」
「ですが私にはその事実が嘘にしか聞こえません。あの人は、なんというか我々の、市民の……」
クリップボードを手渡した救護隊員は、言葉の途中で声を詰まらせた。その言葉の先をアレックスは読み取ると、乾いた口調で声を返す。
「英雄でしょ。みんなそう思っていたんじゃないかな。ついさっきまでは」
「……」
喉は詰まり、脱力し、自身の持ち場に戻る為に振り返る。救護隊員の背中は寂しく、その後ろ姿を見つめ、アレックスの胸を冷雨のような切なさが襲う。職務に従順だったはずの機士が裏切るなどと、やはり信じられなかった。
怒りと悲しみが交錯する心情に寄り添うように、アレックスの肩へ一人の男が手を乗せた。
「お疲れの様子だな。私が現場に居ればよかったのだが」
「ランディス……。でも仕方ないよ起きちゃったんだから」
マジェスフィア協会支部の最高責任者ランディスも、喧騒を聞きつけやってきたようだった。そして凄惨たる光景に顔をしかめると、いつもアレックスの側を離れない少女の事に気がついたのだろう、渋い声をゆっくりと鳴した。
「リリーの姿が見えないようだが……。まさか……」
「あぁ、リリーならベイカーさんと一緒に応急手当を受けてるところですよ。爆風に煽られて捻った足をベイカーさんが抱えていた瓦礫を退ける際に悪化させたんです……。まったく……。それに『まさか』じゃないですよ……。縁起でもない」
噂をすれば影。パタパタとぎこちない足音が響く。
「旦那さま、申し訳ありません。本来なら私が――」
「――いいって!」
現場の急務と重なって、リリーの言葉に応えるアレックスの口調は明らかに苛立っていた。嵐のような怒声にリリーはギクリと背筋を強ばらせ、言葉の先を見失う。
「ああ、ごめんね。ちょっとゴチャゴチャしててさ。ベイカーさんは大丈夫だった?」
「……はい……。胸の傷は酷いですけど……。急いで病院へ搬送すれば命に別状はないそうです……」
明るい口調から一片オドオドとした態度に変わるリリーの姿をアレックスは横目で見つめると、今まで手に持っていたクリップボードをリリーに手渡した。
「こんなに被害にあわれた方が……」
「リリー、頼みがあるんだ」
「……?」
「確か、公邸にグリードリバー反乱戦での死者名簿があったと思うのだけれど、キツイとは思うが探してくれないかな? 地下の資料保管庫にあるはずだから」
アレックスの口元には微笑みが浮かんでいたが、その瞳は笑顔を湛えていなかった。
そんな不気味な表情から何かを察したのだろう。リリーは悲しみの籠もる表情でゆっくりと頷いた。
「あのっ……。やっぱり……。行かれるのですか?」
「現場の指揮は僕よりランディスが適任だ。指揮官は二人もいらないからね。僕もメディエットの応援に向かうよ」
地を這うような低い声に合わせて、アレックスはズボンのポケットから2枚のカードを取り出した。
金属のフレームに覆われた重厚感漂う2枚のカード。表面は日の光に照らされてステンドグラスのように七色に輝いていた。しかしその色彩は相対的だ。片方は深淵のような漆黒、そして、もう片方は眩いばかりの純白、どちらのカードも中央には、悠然とマントを広げ両手で大鎌の柄を握りしめる道化師が描かれており、仮面越しに覗く者へ微笑みを返すトランプのジョーカー。それがアレックスの持つマジェスフィアの形状だった。
「リリー、1枚は君に渡しておくよ。何かあった場合は使ってかまわない。君でも逃げるくらいには使えるはずだ」
「旦那様、2枚とも持っていかなくてよろしいのですか?」
「あんな奴! 白1枚で十分だ!」
そんな2人の様子を伺いながら、ランディスは深みのある声でいった。
「なるほど。リリーは公邸へ向かうのかね? 順番はベイカーの後になるが馬車を寄こそう。足に包帯を巻いたままでは何かと不自由だろうからな」
「申し訳ありません……」
「ランディス。この場は任せたからね。あっ、そうそうそれと。この一件が片付いたら、大事な話があるから」
その言葉を受けて、アレックスは茶色いジャケットに身を包み、短杖を持った老人に頭を軽く下げ、その場から駆け出した。
「やれやれ。彼もだいぶ市長らしくなったようだ」
大通りを駆け抜ける少年の姿は何処までも小さくなり、その背中は何処までも大きく感じられた。幼いながらに背負う重荷にさえ一切動じる様子はない。全てを受け入れられぬ愚か者の似姿か、或いは来るべき災厄にさえ動じぬ賢者の心構えか。二者択一の心境を知る者は誰もいない。アレックス本人でさえ無我夢中だったのだから。
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