暗闇の中で

 倒壊した家屋を眺め、周囲を見渡すトールの頭の中を、野太い声が駆け巡る。

「おわったのか?」

「貴公か……。『ディ・アブロ』で見えているのだろ? 趣味の悪いことだ」

「終わったのかと聞いているんだ! 木偶の坊」

「何をそんなに怒ることがある? 我は貴様の依頼通りに事を進めたまでだ」

「雷撃の威力が強すぎるんだ馬鹿野郎がッ!! スケープゴートが本体殺してどうするんだよッ!!」

「ガッハッハッ。生きているではないか」

 熱を帯びる口調、ベイカーは相当ご機嫌斜めのようだ。爆発に巻き込まれたのだから無理も無い。

「キサマが危惧している小娘との戦いには勝った」

「何だと? 殺したのか? あっ!? 勝ち負けの……勝負をしているんじゃ……無いんだぞ」

「まだ殺してはおらぬ。タフなのか運が良いだけなのか……。我の一振りをくらったというのに、まだ息をしておるわ」

 トールは顔を下に向けた。

 その目の前には、幼さの残る顔に瞳を閉じた少女、メディエットの姿があった。彼女は雷を纏う鉄槌の一撃を受けたにも関わらず、衣服の損傷は驚くほど軽微だった。その様子から察するに、メディエットは攻撃の直前に素早く防御姿勢を取ったらしい。

 その微細な反応、一瞬の判断が彼女の命をつなぎ止めたのだ。

 そんな、少女の姿を見めていたトールだが、突如、胸部の中心に鉛のような重みを感じ、その場に座り込んだ。

「おいっ、なにをやっている、木偶の坊。座れなどと俺が命令したかッ!!」

「貴公、あとのことは任せる。我は少し眠くなった……」

「何っ、眠くなっただとッ!! 生命活動が止まっているんだぞッ!! 今までだって、眠るなんてことは起きなかった。死者は眠らないんだッ!!」

 ベイカーは『ディ・アブロ』の能力を完全には理解していなかった。奇跡的に手に入れたこの魔法のアイテムは、ハンドベルを鳴らすことで死者を動かし、目を閉じることで思いのままにコントロールできるというもの。しかし、それ以上の情報は持っていなかった。


 トールが瞳を閉じた瞬間、ベイカーの視界も暗くなり、一抹の不安に襲われた。自分の頭の中で「活動限界か?」という言葉がよぎる。だが、彼は強く念じ、腕を動かすことでトールの身体が再び動くのを感じた。トールは自然に動かなくなり、話さなくなった。ベイカーは混乱した。今まで優秀な駒であったトールに何か問題が発生したのではないかと心配になった。


 そんなベイカーの心の動きを感じることなく、トールは自身の傍らで霊魂となり、透き通った煙のような身体で眠りにつく自分の身体を静かに見つめていた。そして、自分は先ほどまで生きていたのではないかと感じ始めた。馬車襲撃時、ベイカーにサーベルで心臓を突かれた。あの一撃は致命的だったはずだ。だが『ディ・アブロ』の魔力なのか、悪魔の鈴の音を聞いた瞬間、肉体の損傷がそこで止まったように思えた。次に意識を取り戻したとき、自分の体は自由に動かせなかった。そして、トールは自分が仮死状態にあったのではないかと仮説を立てた。

 では、何がこの事態を引き起こしたのか、トールは深く思いを巡らせた。自分が死者となって以来初めてとも言える激しい戦い、メディエットとの戦闘を振り返る。その戦いで致命的な斬撃は受けなかったものの、強烈な蹴りを腹部に2発受けていたことを思い出した。それが心臓の傷を広げ、今回の状況を生んだのかもしれないと。


 トールはこれを好機と見た。自分は死んだ。そして、この『ディ・アブロ』は魂までは管理下に置けないらしい。ならば、自分はもう自由なのだと。


 

**


 ベイカーは困惑と恐れに包まれた。今まで優秀だった守護者、トールが突如動かなくなったのだ。その事態は恐怖として彼の心を突き刺した。


 彼の眼前には、トールの傍らで気を失っている少女、メディエットがいた。メディエットはトールの後任として配属された魔鉱機士であり、新しいこの街の守護者だった。追う者となる彼女を早々に始末しようとトールに命じたが、トールは突如動かなくなってしまった。この状況下で、ベイカーは悟った。自身がトールの身体を操りメディエットの息の根を止めるしかないのだと。


 ベイカーは両瞼を閉じる暗闇の中で、魔力を込めて体を動かし始めた。ベイカーの念じる力がトールの身体を操り、やがて鉄槌を両手で垂直に持ち上げ、細い柄の部分をメディエットの胸に突き立てた。殺すにはこの柄をそのまま押し込めばよい。だが、その瞬間、ベイカーの手は震え始めた。


 風がメディエットの金色の髪をなびかせたとき、ベイカーの口からぽつりと漏れた言葉があった。

「メルティ…」


 その名前の響きと共に、トールの手から鉄槌がこぼれ落ち、地面にカラカラと音を立てて転がった。トールに命令して殺させることはたやすかったが、自分の意思でメディエットを殺そうとしたとき、未知の恐れが湧き上がったのだ。それは、かつてトールにサーベルを突き立てた時とは全く異なる、感情だった。


 見ると、メディエットはまだ10代の少女。彼女の顔に、ベイカーの心は揺らいだ。この娘にも、きっとどこかで帰りを待つ家族がいるのではないか。そんな想いが、彼の心を乱したのだ。


 かつてベイカーにも、家族との温かい日々があった。愛する妻と、無邪気な娘。だが、グリードリバーの紛争でそれらは奪われ、彼は孤独な夜を過ごすこととなった。家族の記憶は、遠くになり、時折、痛みと共によみがえるばかり。メディエットの顔に、自分の娘の笑顔を重ねてしまう。その金髪が風に舞うさまに、心の奥底で何かが引き裂かれる感覚に襲われた。彼女の命を奪うことが、目の前の現実として立ちはだかっていた。

 この場でメディエットを殺すことは、自分自身の過去をもう一度引き裂くこと。それは、ベイカーにとって耐えがたい苦痛であった。


 ベイカーは考えた。放っておけばそのうちに目を覚まし、我々にまた剣を突き立てに来るだろう。だがその事態はどうしても避けたかった。

 ベイカーはふと思いを巡らせる。都合の良いことに、ここはかつて刑務所として使用されていた場所で、今はベイカーの隠れ家として機能している。トールの巨大な体躯は通常の入り口を通れず、ベイカーは刑務所の強固な地盤をトールに『クロンダイク』を奮わせ砕き、大穴を作り出した。この大穴は市街地からは三棟並ぶ建物が邪魔をするおかげで視界に隠れ、身を隠すのに重宝していた。


 ――自分で手を下す必要はない、刑務所の独房にでも閉じ込めておけば良いのだ。

 ベイカーはトールを操り、メディエットを抱きかかえると、そのまま監獄の中へと消えていった。

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