死闘



 ――ファントムウッズの郊外――


 ――事件の主犯、それがこの長身の男『トール・デュオクルス』であることに疑いの余地はない。彼が振るう鉄槌は、一瞬で強烈な落雷を呼び、その衝撃はダイナマイトの爆発と同等の衝撃を生み出す、マジェスフィアの中でもこれ程までの純粋な破壊の力を持つものも珍しい。もし彼がその場で逃げずに追撃を仕掛けていたら……。私の命は絶たれていただろう。偶然、そう、紛れもなく偶然によって私は今、生きている。いやっ、生かされているというべいきか……。



 メディエットの右肩は、腕を振るたびに確かな悲鳴を鳴らしていた。それでも彼女はトールを追い続けた。市民を守れなかった自分の失態を少しでも償うために。だが、その追跡行為自体が、大通りで起きた悲劇から目を逸らす形になっていた。犯人を追うことは償いではなく、現実から逃避するための行為だ。そして、事態の収拾を雇い主であるアレックス市長に任せたことこそが、真の失態だったのだ。



 家屋が密集する裏路地を、まるで誘導されるように進む。細い坂道を駆け上がるたびに家屋は減り、雑草は増えていく。狭い通りが広がり、太陽の光が真上から注ぐと、メディエットは足を止めた。市街の終わりが目の前に広がっていた。そして、その代わりに荒れた大地と赤土色の丘が連なっていた。



 メディエットは目を見開いた。連なる丘の手前に、肩を並べて立つ廃墟群。


 ――逃がしてしまったのか。


 そんな思考が頭を駆け巡る。


 


 群といっても建物はわずかに三棟、赤い煉瓦壁が荒れ地よりも際立っていた。それ以外には何もない。廃墟群を過ぎれば、その先は果てしなく荒野が広がっている。だからこそ、トールはこの廃墟のどこかに隠れているはずだ。



 ――確かリリーが郊外に廃墟があると言っていたか、彼女は私に何を伝えたかったんだろうか……。


 そんなことを思い出しながら、メディエットは廃墟群に向かって歩き始めた。



 人の気配が微塵も感じられない赤煉瓦の建物。かつてはガラスと鉄格子がはめ込まれていたであろう窓は今や完全に吹き抜け、室内の暗闇を露わにしている。三棟が肩を組むように立ち並ぶ構造は、虚無の威圧感を増幅させ、メディエットの不安を一層深めた。そして、メディエットが建物の入り口に足を踏み入れようとした瞬間、風が運んできた音に耳を傾ける。それは鳥の羽ばたきに似ているが、微妙に違う音だった。メディエットは直ぐさま音の源を探るように視線を上げた。



 メディエットの頭上には、太陽を覆い隠すほどの巨大な鉄塊の影が広がっていた。


「何ッ!! 上からだとッ!!」


 降り迫る者。だが、メディエットは後ろに引こうとはしなかった。もし数歩でも後ろに下がれば、トールは容赦なくマジェスフィアの雷を放つだろう。瞬時に脳を巡る電流は直感となり、頭上から迫る戦鎚を身体を転がして前方へと回避した。



 直後、戦鎚の頭部が地面に叩きつけられ、砂煙が舞い上がる。


「いい度胸だな。奇襲を仕掛けてくるとは」


「いい度胸? 片腹痛いわッ!!  そう言った言葉の類は、自分より弱い相手に吐くべきだ。まったく、我の後任に派遣された機士が貴公のような小娘とはな、ガッカリさせるわッ――」


「ふざけるなッ!!」


 トールは地面に叩きつけた戦鎚を肩に担ぎ、ゆっくりと立ち上がると、未だ動揺を隠せないメディエットの方へ振り向いた。



 巨木のように伸びるトールの影がメディエットを覆い隠す。ヒラヒラと靡く黒いコートの襟と裾、その奥に皮で作られた厚めの胸当てを付け、鋼鉄のガントレットで鉄槌の柄を握る。同じ素材で作られたであろう革製のブーツはジリジリと地面を擦り、メディエットとの距離を詰めていく。何重にも頭部に巻かれた包帯で両眼を覆い隠しているのにも関わらずトールは全てを見通しているような動きを見せていた。


 そして、肩に担ぐ鉄槌は、扱う者と同じ長さを誇る壮大な竿状の武器だ。その端部には人間の頭ほどの大きさを誇る鋼鉄が取り付けられている。しかし、その形状は無機的な鋼鉄とは裏腹に、優雅なアーチを描きながら繊細にデザインされていた。そして、その鋼の中央部分に刻まれている雷の紋章、その紋章は、マジェスフィアの力そのものを象徴しているかのようだった。



「我が盟友『クロンダイク』がそんなに怖いか。相手を睨むだけでは倒せんぞ。少しは構えたらどうなんだ」


「クッ……」


 メディエットはトールの言葉に誘われるように、自身の腰に取り付けられたホルスターから双翼剣を引き抜いた。


 攻める隙はいくらでもあったのに、トールの放つ圧力に晒され、メディエットは一歩も動くことができなかった。もちろん、それだけではない。市街地の戦闘で、メディエットはトールの鉄槌を止めることが出来なかったのだ。メディエットの持つ双翼剣『ダブル・ダウン』は、マジェスフィアの魔力により物質硬度を無視し、物体を両断する能力を得る。しかし、その斬撃は不思議な力に阻まれてしまった。



――確か”魔力干渉”と言っていたか



 この魔力干渉のカラクリが明確でない限り、下手に仕掛けることは避けるべき、そう考えていたのだ。


 しかし、トールは鉄槌を片手から両手持ちに変えると、メディエットに対して容赦ないプレッシャーを浴びせる。


「どうした、壁を背に向けて、もう後がないではないか」



――壁!! しまった!!



 初撃を躱した時に気づくべきだったのだ。周囲は廃墟が立ち並び、背後にそびえ立つ壁が彼女の逃げ道を塞いでいた。窓や廃墟へ通じる出入り口は目の前にあったものの、トールの壮絶な破壊力を前にして、廃墟への逃走は無謀な選択でしかなかった。


 メディエットの目には冷たい決意が宿っていた。退路は無い。攻めるしかない。彼女はその事実を受け入れ、心の中で自分自身に誓った。彼女の手は剣の柄をしっかりと握りしめていた。


「どうやら、私の心の中の英雄は死んでしまったようだ。グリードリバーで見たキサマはそんなではなかった。また『ジョーカー』に会える日を楽しみにしていたというのに」


「ほう、貴公も、グリードリバーの数少ない生き残りだったか……。だが妙だ、貴公のような小娘が生き延びれるほど、生易しい戦場だったか?」


「黙れッ!!」


 私怨の混じる瞳は揺らめき。メディエットの心を今まで以上の怒りが包み込んだ。その激憤は留まるところを知らず、荒れ狂う炎の如き衝動となり、双翼の剣を振り下ろす。しかし、感情が深く刻まれた斬撃が命中するほど甘くはない。トールは猫のような身の軽さで後方へ跳び、メディエットの全力の一撃をすんなりと避けてしまった。そして、マジェスフィアから抽出された魔力により、全てを切り裂く刃と化した水晶壁の刀身は、流砂に飲み込まれるように大地へと沈み込んだ。その光景を眼にしたトールは大口を開け嘲笑う。


「ガアッハッハッハッ。なるほど、ソレが貴様の武器の能力か。ならこちらも教えておこう。我が盟友『炸裂する雷甲槌』は、あらゆる物体を憤怒の降雷で粉砕する」


 自信からくる余裕か。トールの言葉はメディエットにとって価値あるものだったが、彼女の耳にはただの挑発としか響かなかった。


 メディエットの顔色が悔しさに揺れ動いていた。


 ――この男にだけは負けたくない。誇りを捨てた者にだけは……。


 メディエットは、揺れ動く心情を即座に抑え込み、大地に沈んだ双翼剣を引き抜くと、今まで身に纏っていたフードマントを前方へと投げ飛ばした。できるだけトールから自身の姿を隠すように、大きく広げて放ったのだ。

 その挙動と同時に、踏み込む足に力を込め跳躍。フワフワと宙を舞うマントを双翼剣で十字に切り裂いた。だが、歯ごたえは無い。

「浅知恵だな。目くらましとして逃げた方が、まだ利口だったぞ」

「クッ。これで良い! 長竿は近距離で使えまい!」

 瞬時に踏み込んだ事で、トールとの距離は縮まり、メディエットの剣は、突き出せば直ぐに肌を刻むことが可能な位置にまで達していた。長竿の鉄槌は至近距離の攻防には不向き。フードマントを敵に投げつけてまで接近したのは、それが計算済みの策だったからだ。

 加えて、双剣は近距離戦において最も適した武器だ。連続の攻撃は、戦闘に長けた者でさえも簡単には避けきれない。メディエットは、右肩から響く苦痛を無視し、一撃、さらに二撃と、躊躇なく斬撃を繰り出した。しかしながら、トールはメディエットの遅鈍な動きを瞬時に察知すると。半歩踏み出し、ほのかに青く光る刃が身体の横を通り過ぎるのを待ち、メディエットの無防備な脇腹に向けて強烈に膝を打ち込んだ。

「――ッ」

「浅いと言っているのだ。長竿は近距離に弱い、だから近距離戦の体術を身につけるのは必然な事だ」

 腹が焼き付くような衝撃に、メディエットは地面に両手を着いた。乱れる呼吸を整えようとも肺に空気が入ってこない、身体を支える両手は徐々に力が失い、代わりに痺れを増していく。

 今にも気を失ってしまいそうなメディエットの姿に、トールは数歩後ろに下がると、両手に持った鉄槌を垂直に掲げ、弓のようにしならせた。

「消え去れ、我が盟友の雷に倒れるが良い」

 その無慈悲な一撃は大地を粉々に打ち砕く。

 メディエットは、まだ残るわずかな力で飛び跳ねるとトールの足元に倒れ込む。

 直後、頭上から降り注ぐ無数の落雷により、地面は巨大な生物が蠢くかのように隆起し、衝撃により生まれた噴煙が雲のように土砂を巻き上げた。

 落雷のごとき響きが数度にわたり空間を突き抜け、耳を裂くような轟音が広範囲を覆い尽くした。大砲の砲弾が目の前で炸裂したかのような衝撃に、メディエットは地面に張り付き、なんとか耐える。

 トールの足元に飛び込む際、握力の弱った右手からこぼれ落ちた双翼の片割れは、爆発により生み出された突風に乗って遠くへ飛ばされ、金属の高鳴りを遠くで響かせる。共に戦うはずの剣を失い、荒波に揺さぶられる小舟のように転がりながらも、メディエットは雷撃の終息をただ待つしかなかった。

「ほう、今の一撃を凌いだか。根性だけは褒めてやろう」

 ――強すぎる相手……だが、一矢報いたい……。

 空間に響き渡る声に、メディエットはほんの僅かだけ顔を上げ、凛とした視線を見せた。消え去ることのない戦闘意志は、トールに僅かな緊張を与える程度だったが、それは彼にとって脅威とは程遠い。それゆえに、メディエットは必死で再び立ち上がろうとした。地面の砂を一握りにし、軋む骨と叫びを上げる筋肉に、これまで以上の力を注ぎ込む。徐々に立ち上がり、廃墟の壁に右手を添えると、荒い呼吸と共に、片翼の剣先をトールに向けたのだ。

「私は弱い……。だが、諦めない……」

「諦めないか……。グリードリバーのように、もう『ジョーカー』は助けてはくれんのだぞ」

 意味深なことをいいつつ、トールは言葉を紡ぐ。

「時には。いやっ、体を残して死んだ方が苦痛になることがある。死して尚『ディ・アブロ』に操られるなど屈辱でしかないと思わないか? だから貴公を跡形もなく消し炭にしてやろうとおもったんだ。これは、機士の誇りに免じての事だ。だがソレすらも拒もうというのなら仕方ない。傀儡になりたいというのならな」

 トールの声には一切の感情が入り込んでいない。淡々と残酷な言葉を口にするだけだ。

 ――どうやら、ファントムウッズ駐在の機士というのはこうも冷酷な人間だったのか。一般市民すらゴミのように吹き飛ばす相手、無理もない。

 

 トールの雷撃が引き起こした破壊の範囲は、メディエットの想像を遥かに超えていた。先程まで三棟あった廃墟の1つはすでに完全に破壊され、もう1つの廃墟も内部が露わになるほどにぐしゃりと崩れていた。聳え立っていたはずの赤煉瓦の壁は見当たらず、直撃を免れた1棟のみが、2人の側面に聳え立っていた。そんな光景を眼前に、メディエットは戦慄を抑えられなかった。しかし、直後に湧き上がる怒りがその恐怖を打ち消す。彼女はトールに向かって飛び込み、その大きな鉄槌を躱しながら双翼剣の片割れを振り続けた。


 ――クソッ、完全に斬撃の軌道を読まれている。当たらないッ……。


 死線を交える熱戦の中、メディエットはトールの動きに一瞬の遅れを察知した。それは微かな足のもたつきだ。その瞬間、彼女は瞬きすらも忘れて翼剣のグリップを力強く握りしめ、全力で投げつけた。握りしめられた剣は蒼白の輝きを放ち、確実にトールの胴体、心臓を捉える軌道へと飛んでいった。しかしながら、トールはその一撃を見越し、見事な体術で後ろに倒れ込み、直撃の剣を避ける。メディエットの放った会心の一撃は、トールの胸元を掠め、砂塵の中に消えていった。

「クックックッ。ヒヤッとさせるではないか。そんな状態で、我が盟友の攻撃を避ける貴公の胆力にも驚いたが、抜け目なく隙を付くセンス、残念だ……」

「まだ終わっていないぞッ!!」

「何ッ!!」

 それは、初めて見せたトールの驚きともとれる声だった。トールは折りたたんだ胴体をすぐさま起こし、メディエットを視界に捉える。メディエットはそんなトールにへ向け猛進すると、大男の腹部に強烈な蹴りの一撃を叩き込んだ。

「……ッ」

 体格差のある二人ではあったが、それでもメディエットの一撃はトールを大きく動かすに足る力を持っていた。大男はその衝撃に後ずさりし、その巨体が廃墟の壁に激突する。

「もう一撃だッ、くらえッ!!」

 メディエットは容赦なく、強烈な追撃をトールに叩き込む、強大な衝撃で家屋の外壁は大きく揺れ、しっかりと組んでいた煉瓦が音を立てて崩れ始める。

「私がガムシャラに剣を振っていたとでも思ったか。その壁は、私の斬撃でもろくなっている。そして、今の衝撃で確かに崩れるようだぞ。上を見上げてみろッ!!」

 変化は微細だったが、その規模は急速に拡大していった。パラパラと瓦礫が振り始め、微かな地鳴りが力強さを増していった。

「何っ……。正気か……。小娘」

言葉とは裏腹にトールは狼狽える素振りを見せない。

 ――諦めたのか。

 そんな問いがメディエットの心を掠める。だが、その疑問すらも一瞬で吹き飛んだ。とつじょ空から現れた巨大な瓦礫が一瞬にしてトールを覆い隠したのだ。

 ――ガツン

 あまりにも鈍く、短絡的な音。それは勝利を確信した者にとって、最も残酷な響きだった。

 埋もれる瓦礫の中、猛獣のような雄たけびと共に、今までトールを覆い隠していた瓦礫が一瞬にして消え去った。それは、トールが瓦礫に埋もれる瞬間に鉄槌から放ったマジェスフィアの力に他ならなかった。


 ――この男、何処まで強いんだ……。

 絶望に暮れるメディエットに、トールが余裕綽々に言葉を向ける。

「貴公の策は運否天賦だ。その策に我と盟友の力量が組み込まれていないのだ。街のチンピラ相手の策で勝てるとでも思っていたのか?」

 メディエットは力なく両膝を地面ついた。

「勝てるわけがない……。こんな相手……。むちゃくちゃだ……。」

「フッ。諦めたか。なら先に逝く貴公にお願いだ、『ジョーカー』に伝えといてくれ。我も直ぐに行くと」

「何っ!! 『ジョーカー』だとッ!! キサマがジョーカーじゃないのか!! 答えろッ!!」

 だがトールは答えなかった、ただゆっくりと戦鎚を振りかざすのみ。

「――グッ。――ッ」

 雷鳴が鳴り響き、轟音が空間を揺らした。メディエットは未曾有の衝撃に身を震わせ、解体されるような感覚に襲われる。痛みが直撃し、意識は遠ざかる。空中を漂うような無味乾燥的な感覚にメディエットは身を委ねざるおえなかった。

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