騒乱

 ――ベイカーと死者との遭遇が過度に多い。

 その事実にメディエットの心は引っかかった。一方で、生花店の婦人はベイカーが死者に追われている姿を見ていたないと主張している。もしかしたら、ベイカーは自身が生き残るために、同僚を故意に盾にしたのかもしれない。しかし、その可能性が三晩連続で起こるとは到底思えない。もしかして、ベイカーは虚言を吐いているのか? 


 そんな疑念を抱きつつ、メディエットはスズランの花束を握りしめ、ファントムウッズの大通りを一人で歩いていた。不気味に微笑む生花店の婦人に、スズランを無理矢理押し付けられたのだ。メディエットにとって、花束など個人的な趣味とは程遠いものだった。むしろ、荒れ狂う死者と遭遇し戦闘にでもなれば、ただ綺麗な花束など邪魔でしかないのだ。しかし、この亀裂で始まったこの街の市長、アレックスとの関係を修復する手助けになるなら、それは歓迎するべきだろうとも思っていた。


「見つけた、見つけた、あっちだ!」

「本当に? あっ! メディエットさん! メディエットさん!」

 メディエットが暗い雲のように街を歩いていたとき、背後から馴染みのある声が響き、彼女を呼び止めた。そしてメディエットは振り返り、視線の先に少年と少女を映した。それはこの街の市長アレックスと、リリーに他ならなかった。

 ――噂をすればというものか。せっかく今回の任務に任命してくれた協会のためにも、ここはうまく関係を修復せねば。


 魔鉱機士の彼女は、マジェスフィア協会から派遣された存在だ。協会は市から運営資金と、一部の土地(鉱山など)の所有権を借り受ける代わりに、今回のようなマジェスフィアが関連する事件を解決するための専門家を派遣している。派遣された機士はその土地の治安維持組織の最高責任者と同等に扱われ、街の治安維持のために働くことになる。だが、この関係性が今のメディエットにとっては辛いものであった。市長であるアレックスは、間接的にメディエットの雇い主だ。その雇い主が現在、大いに機嫌を損ねている。もしアレックスの機嫌がこれ以上悪化すれば、街から追い出される可能性も大いにありえた。そして、それが現実となれば、三年前にグリードリバーで目撃した怪人『ジョーカー』の謎も、未解決のまま終わり、未払い労働の末、飢えに身を委ねるしかないのだ。


「おお。これは好都合だ。ちょうど、お前達に会いに行こうと思っていたんだ」

「あのっメディエットさん、なんか……。目付き怖くないですか……?」

 リリーが眉を細めて呟いた。

「あれっ、その手に握っているもの。へぇ、花を買う趣味なんてあったんだ」

 無機質な表情でアレックスは、メディエットの手に持たれる花束を指差した。

 ――やはりコイツは苦手だ……。

 そう思いながらも、メディエットは気恥ずかしさに頬を赤くしていく。

 そして……。

「これかぁ! あぁ、この花束はなぁ。そうだリリーィ!」

「ハイッ!」

「お前にあげようと思ったんだ。きっと似合うぞ、そこの生花店で買ったんだ!」

「ふぇっ? 私にですか?」

「大事にしろよ、白い花だ! 髪飾りなんかが似合うんじゃないか? 栗色に白ならバッチリだ!」

「あっ、ありがとうございますッ!!」

 メディエットは本来の目的を一時忘れ、自身の感情に任せて、リリーに花束を手渡した。

 リリーは、その突然のプレゼントに驚きつつ、甘い笑みを浮かべる。

「それはそうと、メディエットさん。ファントムウッズの郊外に今は廃墟となっている旧刑務所があるんですけどね……」

 そこまで言って、リリーの言葉が急に途切れた。そして、リリーの瞳は何かを追い求めるかのように動き始める。その瞳の動きを不審に思ったメディエットはリリーの視線を追い、首を傾げながらて尋ねるのだった。

「いったい、どうしたんだ? 急に黙り込んでしまって。何かあるのか?」

「あれって、ベイカーさん? こっちに向かってきているのかな?」

「なにッ!! ベイカーだとッ!!」

「機士殿、機士殿。 探しましたぞ、大変です~」

 メディエットの背後を馴染みのある声が迫る。

「あんれっ。ベイカーさん、どうしたんですか?」

 アレックスがそう呟く先で、その男は片手を振りながら現れた。

「おお。アレックス市長殿、それにリリーも一緒か。さっき派出所へ荷物整理をしに行ったらば、そこの機士殿が私を捜していたと聞いたもので。急いで、追ってきたのです――」

 ――なんて好都合なんだ。おかげで探す手間が省けた。

 メディエットは事の流れに安堵した。だが、その好都合は作り上げられたものに他ならなかった。メディエットの思考の中でベイカーという男が事件に何らかの形で関与している疑念はしっかりと脳裏に刻み込まれている。しかし、目の前に立つこの男が真犯人であると結論付けることは、彼女の洞察力では、まだ困難だった。

 それは驚くべきことではない。メディエットがベイカーに出会ってからまだ一晩しか経過していないのだから。

「ベイカーと言ったか? 丁度良かった。オマエを探していたんだ」

 メディエットの鋭い眼光が飛ぶ。猛獣を思わせる眼光に、ベイカーは震え上がった。

「脅えなくていい。オマエも災難だったな。私はただ、お前が言う、『ジョーカー』の事を聞きたいだけだけなんだ」

「ああ、そのことですが。それならいくらでも……。話しますとも。ですが今わそれどころじゃないんです」

 鋭い眼光に充てられ、ベイカーは心の中で呟いた。

 ――機士って奴等は歳に関係なく凄い気迫を持ってるもんだ……。いったいどんな生活をすれば、ここまで殺気だてるのか。でもわからねぇよなぁ。わかりっこねぇ。ダミーはちゃんとおいてあるんだ。脅える必要なんてないんだ。

「それどころじゃない? オマエはいったい何をいっているんだ?」

「機士さん! 大変なんです。また見たんですよ、怪人『ジョーカー』の奴を。それも今さっきです! 奴はぁ夜間にしか行動しないと思ってたんですが、そんな事はねぇ、昼間にも堂々と歩いてやがった、だから機士さん! さっさと倒してください」

「はぁ?」

 ベイカーのその言葉により、メディエットの頭は困惑の霧に包まれた。再び、とは? 彼が再び何かを見たとでもいうのだろうか? ジョーカーが昼間に動くとは、確かに意外だが……。

 少々間の抜けた声でつぶやきつつも、メディエットは事態の整理に全神経を集中させる。

 一方、その隣ではリリーが、まるで何かを伝えたいとでも言わんばかりに、アレックスの肩をポンポンと強く叩いていた。


 大通りの雰囲気が一瞬で一変する。恐怖に駆られた人々が逃げ出す。その緊張感は徐々にではあるが、不可避の事態を予感させるほどに規模を増してく。人々は明らかに見えない何かから逃れるが如く、絶叫しながら荒れ狂っていた。それは静かな清流が突如として濁流へと変わった大河のような光景だった。人々の逃げ惑う中、大通りの一角には誰も立ち入らない空間が広がっていた。


 その異様な雰囲気を直感的に感じ取ったメディエットは、視線をベイカーからその空間へと即座に移した。


 彼女の視線の先には一人の大男が堂々と立っていた。ベイカーに向け冷酷に睨みつける大男。そして、その大男は手にした鉄槌を天高く掲げ、確かな意志を示していた。


「トール……。デュオクルス……。」

 メディエットの横で、アレックスは血の気の薄れた表情を浮かべ、弱々しく男の名を呟いた。

「何、あいつがそうなのか?」

 メディエットがそう言った理由。それは、トールと言われる人物の頭部が幾層にも巻きつけられた包帯によって素顔が覆われていたからだ。おそらくアレックスは、あの巨大な体躯、全身を覆う黒いコート姿、そして両手に持たれた鉄槌によって、そう判別したのだろう。さらに、トールと思わしき大男は、今にも黒金色の壮大な鉄槌を地面に叩きつけようとしている。もしあれにマジェスフィアが組み込まれていたとしたなら。その鎚の頭部が地面に接触した瞬間、幾重にも重なった巨大な落雷が周囲を破壊し辺り一面地獄のような風景に変わるのは確実だった。

「メディエット! 大男を! あの金槌を止めて! 地面に落としちゃ駄目なんだ――。早くッ!!」

 アレックスの急かす声を聴いて、メディエットは舌打ちをする。

そして、メディエットは指示通り、腰のホルスターから双翼剣を引き抜く。ほんの一瞬後、折りたたまれていた水晶壁の刀身が音を立てて2本の直剣へと変形した。その透明な刀身は、まるで水面を切り取ったかのように、太陽の光を受けて金色に輝いていた。


 メディエットは、アレックスの仕草から緊急性を察知した。その結果、包帯で覆われた顔を持つ大男に向かって猛烈に突進する。しかし、彼女の心に迷いがないわけではない。あの男の素性がまるで分らない。だが、周りから聞いた情報をもとにすればあの大男がおそらくジョーカーなのだろう。奴の正体より、まずはあの巨大な鉄槌を切り裂いてあの男を無力化するべきか……。


 メディエットが思案を張り巡らせる中で、大男が垂直に掲げた鉄槌がわずかに動き始めた。


 パニック状態の群衆を、メディエットは自身が持つ双翼剣の柄でかき分けて進んだ。市民の逃げ惑う波に抗いながらも、メディエットは確実に足を踏み出した。そして、突如として人々の動きが遅くなり、周囲の騒ぎ、悲鳴、尖った声がメディエットの耳にクリアに入ってきた。人々が逃げ惑う中で、突然人々から離れた隙間が生まれ、メディエットはその空間に足を踏み入れたのだ。


―――間に合わせてみせる!!


 強い意志をその胸に秘め、メディエットは巨体の男を凝視した。彼女自身の体格を遥かに超た、その男を。


 大男の両手に握られた鉄槌は半分まで振り下ろされ、見る間に地面に届く距離まで下がっていた。ほんの僅かな時間しか残されていない状況下で、メディエットは双翼剣のグリップを強く握りしめた。その瞬間、精巧に作られたカラクリ時計のような機械音が鳴り響き、水晶壁の透明な刀身は、蒼白へと色を変える。


 マジェスフィアの魔力が、刀身に宿ったのだ。

「切り裂けッ!!」


 全身に宿る魔力の温もりを感じながら、メディエットは大男に向かって肉薄した。十字に組んだ二本の刀身が風のように振り上げられ、戦鎚の頭部へと飛び込む。しかし、金属に衝突する音はしなかった。予期しなかった力が働き、メディエットは異変に気づいた。


 それは、まるで戦鎚から溢れ出る見えざる力が剣を押し返そうとするような力だ。自身が包み込まれる重圧、内臓が締め付けられるような圧迫感。その正体が何なのかはわからない、しかし確かに存在するその力が双翼剣の接触を阻んでいるのだ。

「なんだ……。これ……は」

「そうやすやすと我が盟友を破壊できるとでも思ったか。」

「ぬぁぁぁぁぁっ!」

 大男から発せられた声、無情にもメディエットを圧迫する巨大な鉄塊。少し前に呟いた自己の弱音を、彼女は覇気とともに蹴り飛ばした。だが、その圧倒的な力には抵抗する術がなく、メディエットは徐々に地面に押し付けられていった。


 最後の力を振り絞りながらも、メディエットの身体はついに限界を超え、背中から地面へと容赦なく叩きつけられた。その瞬間、巨大な鉄槌の頭部が純真な軌道を描いて地面に打ちつける。

 そして、メディエットの頭上で、激しい衝撃音が鳴り響いた。


「皆! 伏せろ――――ッ!」

 アレックスは、逃げ遅れた人々をどうにか救おうと、声を限界まで振り絞って叫んだ。しかし、彼の緊迫した叫びは無情にも轟音にかき消され、次々と降り注ぐ落雷が生んだ爆発は街路を覆う噴煙と共に、人々を一瞬で取り囲んだ。その爆発は、幾重にも重なり、瓦礫が散弾のように飛び散り、逃げ惑う人々に対し容赦のない瓦礫の雨を浴びせたのだ。

「旦那さま!」

「駄目だ、リリー! 僕の前に出るな!」

 ――ドサッ


 雷が目の前で落ちたかのような、鼓膜を震わせる音が響き渡っていた。その轟音が沈静化するのをメディエットは耳で確認し、まぶたをゆっくりと開け始めた。彼女の視界はまだ朦朧としていたが、徐々にだが確実に黒いコートをまとった巨大な男の姿を瞳の奥に捉えていた。


 驚愕に打ちひしがれながら地面に背中をつけているメディエットの真ん前で、その男は戦鎚の長い柄を肩に担ぎ、膝をゆっくり曲げて、突然力強く跳躍した。その重厚な体躯が見事に浮き上がるさまは、まるで靴底に強力なバネでも仕込んでいるかのようだった。メディエットの視界が完全に明るさを取り戻した時、男はすでに木質構造の露店の上に着地していた。


「待てッ!」

 感情にその身を任せ、メディエットは起き上がる。しかし、その瞬間、激痛が右肩を襲った。即座に襲い掛かる痛みを他の手で必死に抑え込む。苦痛に顔を歪めながら、メディエットの視線は自身の右肩に移った。そして、右手をゆっくりと握りしめ、指を動かし、腕を軽く振り、骨の状態を確認した。幸運にも、傷自体は深刻なものではなさそうだった。


 そんな彼女の姿を、高台から見下ろすように首を傾げ、包帯で覆われた顔を微かに動かし、大男は笑った。

「未熟者が。魔力の干渉も知らぬとはな。貴公程度の力量でこの我を止められるとでも思ったか」

「貴様ぁぁぁぁぁッ!」

 大男の挑発に対してメディエットは怒りを爆発させたが、大男は更に彼女を煽るのだった。

「若き機士よ、お主は状況を把握できておるのか? 少しは背後を気にしたらどうなんだ」

 その言葉にメディエットは驚き、混濁する意識の中で、おそるおそる振り返った。



* *


「イタタ――ッ」

「リリー……。大丈夫?」

「大丈夫です旦那さま。せっかくもらったお花だったのに……。殆ど飛ばされてしまいました……」

 潤みを帯びた声でリリーは言葉を紡ぐ。

「旦那さまこそお怪我はありませんか?」

「怪我はないんだけど、おもっ……。重い……」

「あっ、ごめんなさい。私乗っちゃってましたね。今降りますから」

 そう言って、リリーはアレックスの背中から飛び降りた。やがてアレックスも体を起こすと、両手でスーツの誇りを払う。

「あれっ、そういえばベイカーさんは?」

「あそこじゃないですか」

 そう言って、リリーは通りの隅を指さした。

 降り注ぐ落雷が地面を破壊し、その衝撃が周囲を一瞬で飲み込んだ。大地に打ち付けるエネルギーが台風のような突風を巻き起こし、飛び散った瓦礫が身動きの取れない市民を容赦なく打ち据えた。この悲劇はアレックスたちにも及んだが、彼らの幸運は、二人の前にベイカーが立っていたという事実だった。

 アレックスと、リリーはすぐさま、通りの隅で横たわるベイカーの元まで駆け寄った

「えっ、ベイカーさん息してる? 瓦礫が直撃したみたいだけど」

 無機質な口調で頭を撫でながら、アレックスが言った。

「脈はあるみたいです」

 ベイカーの首筋に手を当て、リリーが答える。

「うぅ……っ」

 直後、瓦礫を抱えるように倒れるベイカーの眉が動いた。

「ベイカーさん大丈夫ですか」

「あぁ、何とか生きているみたいだ。だが、肋骨を数本やられた……。クソッ、あんな威力があったなんてな……」

「リリー、少し、ベイカーさんをお願いできないかな」

「旦那様。どうなさるおつもりですか?」

 アレックスは何も答えななかった。その瞳に確実な怒りを宿し、落雷の震源地をにらみつけていた。 


* *


 大通りが慟哭で支配されている。メディエットが地面を見つめると、背筋が凍りつくほどの光景が広がっていた。鉄槌が振り下ろされた地点から放射状に地面が深くえぐられていたのだ。その情景は絶望という名に相応しかった。市民たちは、破れた布のように、家屋の隅で地に伏せていた。動かなくなった友人、或いは家族の亡骸に啜り泣く声が止むことは無い。

 ほんの数歩、自身の足が後方にあったならば、メディエットの頭部は跡形も無く吹き飛んでいただろう。

 メディエットは、自身の無力さに焦燥感を覚え、保護することができなかった市民たちへの悲しみに胸を焦がされた。しかし、それ以上に許せなかったのは、屋根の上で嘲笑うその男だった。

「降りてこい貴様! 私と勝負しろぉぉぉぉッ!」

 槍のように突き刺さる感情を相手にせず、大男は哀れみを投げかけると、何も言わずに露店の屋根を走り出す。

「なっ! 貴様! 逃げるのかぁッ」

 メディエットは直ぐさま地面に転がる二本の直剣を拾い上げ、感情の寄せるまま大男の背中を追いかけた。

 その直後、メディエットを呼び止める声が背後から鳴り響く。

「メディエ――ット!!」

 一瞬だけ視線を後ろに落とすと、メディエットはアレックスの存在を確認した。アレックスの姿は猫が敵を見つけて毛を逆立てるような、目に見えるほどの怒りを体全体で示していた。

「アレックス! お前はこの事態を収拾しろ。私は、あの大男を追うッ」

「えぇっ! 待ってよ!!」

アレックスの呼び止める声は虚しく、メディエットの地を駆ける音は遠のいていく。

「事態の収拾だって……、これをどうしろっていうのさ! やってくれたなトールッ!!」

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