推薦状

 ――トール殺害から六日目(朝)



 昨夜の死体騒動が嘘のように、その日の空は人々の活力に火を灯すような澄んだ青空だった。アレックスは公邸の市長執務室で、昨夜の事件に関する報告書を読みふけっていた。彼の住む公邸は「ミニチュアの白亜の城」そう呼ばれていた。



 静謐な鉄門を抜けると、一面の緑色の庭園が広がっている。整然と手入れされた芝生と、人の腰程の高さにそろえられた木々が美しく広がり、その間を進む石畳の道が公邸へと続いていた。庭園の中心には、白い噴水が石畳の小道を隔てて設置され、その滴る水音が、訪れる小鳥たちの安らぎの場となっていた。



 その石畳の道を進み、噴水を越えると、白亜の城、つまりアレックスの公邸が見えてくる。その城は必ずしも大きいわけではないが、その姿は見栄えに重きを置いて作られたものだった。



 城の玄関前には馬車用の広大なロータリーが広がり、遠方から来る客人にも十分なスペースを提供していた。その氷面を思わせる滑らかな白い城壁には、重厚な赤黒色の木製の扉が見事に配置されており、尖った青い公邸の屋根と、均一に間を開けて壁面に取り付けられた色彩の無いステンドグラスは、室内に差し込む太陽の光を優しく和らげていた。彩色はなくても、錯綜したガラス模様はアレックスの独特な趣味を反映していたのだ。



 その『ミニチュアの城』の城内、市長執務室へ続く廊下をリズミカルな一人分の足音が響き渡り、執務室扉の取っ手が静かに動いた。


「リリーがこ~ろんだ」


 執務室の外から聞こえてくる足跡、アレックスはそっと開いたドアを見つめながら、無邪気にそう言った。


 足音が忙しく響き渡る、一歩、また一歩と駆け足のリズムが速まり――


 最後には、堅固な床とぶつかった身体が放つ鈍い音が室内に響いた。


「きゃっふっ――」


「ハハッ、相変わらずリリーは慌てん坊だなぁ」


「むぅ~っ。ひどいですよぅ、旦那さま」


「ごめん、ごめん。でも君が紅茶と一緒にお菓子の差し入れを持ってこなかったのは不幸中の幸いだね。もし、トレイを一緒に転がしていたならきっと今頃、大惨事だ」


「そんな時はワゴンを使いますから大惨事になんてなりませんよ。それに絨毯を汚したら後が大変なんですから」


「それはそうだ、掃除の人を呼ばなくちゃいけなくなっちゃう。それに、玄関ホールで客人の相手をする事ほど格好悪い事もないよ」


 晴れ空のような笑顔を見せながらアレックスはゆっくりと言葉を紡ぐ。


「激しく転んだようだが、怪我はないかい?」


「……大丈夫です」


 リリーと呼ばれる愛らしい使用人は、からかい気味なアレックスの言葉に軽い口調で答えると、うつぶせになったままの身体をゆっくりと起こすし、栗色の髪を何度か指でなでつけた。その下で黒い使用人服は絨毯の微細な埃に若干まみれ、フリルの入った短めのエプロンスカートからは健康的な膝が見え隠れしていた。そして、何事もなかったかのような穏やかな笑みを浮かべ、リリーはエプロンの埃を軽やかに振り払った。



 彼女は公邸の使用人として様々な役割を果たしていたが、その中にはアレックスの秘書としての職務も含まれていた。だからこそ、彼女はアレックスとほとんどの時間を共に過ごしていたのだ。彼女が派手に転ぶことも、既に彼らの日常の一部となっていた。


「リリー、トールさんの代わりの機士が、この街に来ているみたい」


「本当ですか!! これでトールさんも帰ってこれば百人力じゃないですか!!」


 浮かれるリリーの声。だが、彼等は知らないのだ。六日前にトールという魔鉱機士はベイカーの手によって殺害された事実を。未だ行方不明として扱われているのも、安易に死なないだろうというアレックスの憶測だった。だが、アレックスも薄々感づいていたのだ。彼の行方不明から始まった「死体事件」に、何らかの形でトールが関わっているのだと。


 アレックスは、浮かれるリリーの言葉に戸惑いながら、最悪の場合も視野に入れ不安に表情を歪ませた。


「そうだね、百人力とはいわないけど、十人力くらいにはなってくれるかな。代わりでも」


「――貴公、いざとなったら私が守ろう」


「ハハッ。リリー、それトールさんの真似をしているのかい? ならキミが全力を出す前に、僕が事件を解決しないとね」


「――ご無理なさらずに」


 座っている席こそ一般と違えど、外から見れば少年アレックスの日常はこうしたドジな使用人との会話から始まる。公邸内で唯一同じ歳であるリリーの笑顔や行動は彼に一時の安らぎを与え、同様に、リリーも彼の世話をすることで精神的な満足感を得ていた。同じ年齢であることから、二人は何も違和感なく接しており、それは、仲の良い兄妹のように見えた。しかし、それでも一線を越えることなく互いを尊重する気持ちは忘れなかった。


そんなバランスの取れた関係性に、アレックスは一瞬だけ空笑いを浮かべた後、頑丈な机の上に前もって置いていた羊皮紙を反対に向けた。



羊皮紙はアレックスの管轄地に派遣された機士の紹介状に他ならなかった。


【名前】 メディエット ・ ダナン


【年齢】 18歳


【身長】 155cm


【体重】 不明


【階位】 1位


――マジェスフィア協会本部、グレゴリーの推薦により、かの者を『ファントムウッズ』に派遣する。



紹介状を読み上げる声は低く、その異様な雰囲気をリリーも感じ取ったようだった。


「旦那さま。あまり良い顔しませんねぇ」


「魔鉱機士って、あまり好きになれないんだよね。トールさんの前歴もあるし」


 唇に人差し指を当て、リリーは甘い声を炊いた。


「ほら、あったじゃない。銀行に強盗が押し入った時。あれどうなったっけ?」


「確か、トールさんが銀行に向けて巨大なハンマーを振り下ろしました」


「それで?」


「巨大な落雷が銀行を木っ端みじんに吹き飛ばしましたね」


「酒場の乱闘騒ぎの時はどうなったっけ?」


「瓦礫の山になっていましたね。あの人喧嘩強いですから。」


「そう、それ。あの人たち粗暴なんだよ。協会から修復用の魔鉱機を借りれたからよかったけど。それでも三日間は営業ができなくなって、苛立ったオズワルドさんがなぜか僕に拳骨くらわすし……」


 広大な土地の管理、さらには一般市民に平和な生活を提供するという役目を背負っているアレックスにとって、無法者の次に魔鉱機士の存在は問題の種となっていた。今回のようにマジェスフィアの不正利用があるために機士の存在は欠かせないのだが、大規模な事件の都度、傷口に塩を塗るような振る舞いをされていたアレックスは、魔鉱機士にあまり良い顔をしていないのだ。


「所でリリー。僕の部屋に何をしに来たんだい?」


「そうそう。お客さんがですねぇ――」


「客人!?」


 その言葉に驚くアレックス。閉じることなく開け放たれたままの執務室の扉から、一人の少女が顔を覗かせていた。


「なんだ 執務室に来たのに使用人しか居ないじゃないか……。おいおまえ達。アレックス市長をしらないか?」


「――なっ!!」


 その少女は何かを探すかのように、清らかな青い瞳をキョロキョロと動かし、赤い絨毯の上に静かに足を踏み入れた。彼女の姿を目にした瞬間、これまで悠然と椅子に座っていたアレックスは、我を忘れたように両手で机を叩くと、鉄面皮を崩すことのない少女へ向け人差し指を突き付けた。


「キサマ――ッ!!」


「んっ? おまえは」


 アレックスは、彼女の顔を知らない。だが、その声の調子と、目立つ茶色いマントに身を包んでいる様子から、それが昨晩、酒場でイカサマをした、異な、自分を突き飛ばした相手であると、推測するには十分だった。


「旦那さま、知り合いなんですか」


「……旦那?」


 リリーの言葉に感情を取り入れぬ少女の表情が少しばかり曇った。


「あぁ、僕が貴様の探しているアレックスだ。そして貴様、誰の許可を得て館内に足を踏み入れている!」


 勝ち誇った表情に語気を強め、アレックスは目の前の少女を怒鳴りつける。隣では仕事の取り次ぎを失敗したリリーが急にヨソヨソしく振る舞い出していたが、そんな事を気にする素振りを微塵も感じさせずにアレックスは言葉の火の粉を注ぐのに夢中だ。


 私怨を果たす為の爆弾と化したアレックス。導火線の火は猛スピードで突き進む。だが、そんな燃え盛る感情の火を消したのは、扉の奥から聞こえてくる、老人の渋い声だった。


「アレックス。館内への進入は私が許可を出した。本来なら私も一緒に上がるべきだったのだが、如何せん歳なもので階段はキツイのだ」


「ラッ……。ランディス……。」


 片手で杖を突き、廊下の陰からゆっくりと現れた老人の姿に、アレックスの顔が急激に色を失った。ただ今まで固く伸ばしていた指は震えを伴い、弧を描いて弱々しく折れ曲がる。肉体が不安定になり、アレックスはどさっと椅子に身を預けた。


「すまないなアレックス。出迎えてもらうようにとリリーに頼んだのだが。でかい音がした後反応がなかったもので――」



 アレックスがこの街で最も畏怖する人物、ランディス。それは、マジェスフィア協会の支部長だ。彼は魔鉱機という力、その危険ながらも必要不可欠な力を一手に握る唯一無二の存在であり、アレックスにとっては避けることのできない人物だった。



 マジェスフィア協会は、この街にとって、秩序と安寧を維持するための抑止力となる存在である。その力を持つ者たちは、時に破壊と混乱をもたらすかもしれないが、その一方で、彼らがいなければ、街は治安を維持するための力を失ってしまう。



 ランディスはその中心であり、彼の管理下にあるマジェスフィアという力は、街の秩序と平穏を維持するための最後の砦なのだ。その力が危険なものであることはアレックス自身が痛いほど理解しているが、同時にその存在なくしては街の安寿を守り通すことは不可能であるとも認識していた。



 そう、アレックスがランディスを畏怖するのは、そのような彼の役割と、その役割に伴う絶大な力に対する敬意からだった。ランディスがこの街の最高権力者である以上、アレックスはその力と役割を認め、尊重しなければならないのだ。そして、それはアレックスが街の平和を保つために避けては通れない道に他ならなかった。



「……それで何の用なんです?」


 眉間に指を押し当て、心の中で呟く。既に、ランディスが持ち込んだ問題について察しがついていた。もしアレックスの推測が当たっていれば……。


「紹介しよう。行方不明になったトールの代わりに派遣してもらったんだ。メディエット・ダナン。機士階級は最下位だが彼女の能力であれば、君の期待にも応えうるだろう」



――やっぱりか……。



 アレックスの心の奥底で叫びが鳴り響き、メディエットの鋭い視線が心を突き刺す。



「ランディス支部長。彼がこの街の市長ですか? その……。なんというか……。子供です……」


「まぁ。驚くのも当然だろうなぁ。何たって他の街では還暦間近の領主が一般的だからな。まぁ、選挙で選ばれた存在故、そう邪見に扱わんでやってくれ」


「――えッ!! 選挙とおっしゃいましたか。 こんな子供選びますか……。普通……。」


「子供で悪かったな」


「旦那さま落ち着いて。深呼吸、深呼吸です」


 新たな来訪者たちにアレックスが顔をしかめると、リリーが両手を振ってアレックスを宥める。アレックスは自分を取り巻く状況に沈鬱な表情を浮かべ深いため息をついた。


「ランディス自ら僕の公邸に来るなんて、今回の事件に使用されているマジェスフィアの大体の目星が付いたって事で良いんですよね?」


「あぁ、その通りだ。そして君が想像するように相当危険な代物なのだ。だから事件の概要を説明しようと思い立ち寄ったんだがな」


 杖を軽く床につけながら、ランディスは安堵の表情を浮かべる。


「ただ、ここでは設備も不十分。外に馬車も用意していることだし、支部まで一緒に来てくれるかねアレックス」


 結局協会の支部へ赴く事になるのなら直接呼びつけてくれれば良かったのに。内心でランディスの招集方式を批判しつつも、アレックスは仕方なく執務室の窓から外を眺める。窓の真下、豪華な玄関ロビーでは待機する二頭の漆黒の馬たちが、四輪の車両を引く準備をしている。その隣で、小柄な運転手が馬車の一部に片手を置きながら退屈そうに遠くを見つめていた。その馬車、通称キャリッジは大型で屋根付き、軽量化のため軽い金属を使用し、優れた耐久性と速度を持つ個人用の高級輸送手段だった。



「事件の調査を手伝ってもらう彼女に街を案内していたんだ。現場の地理が分からなければ、うまく動けんだろ? そして、自己紹介もかねて君の公邸に寄ったというわけだ」


 ランディスはアレックスの無関心な視線に反応して自身の意図を説明した。

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