ベイカーと悪魔
「……貴公」
死体袋を肩に担ぎ、暗く伸びる荷馬車に向かうベイカーの動きが、空気を切り裂く声によって止まった。その声は震え、あたかも闇夜に浮かぶ星のように深く、不可解な存在感を放っていた。それは、高らかに叫ぶようなものではなく、ただ静かに存在を主張するような声だった。声の主は、屋根の一区画に、カラスのようにじっと留まっている。しかし、その姿はカラスと呼ぶにはあまりにも大きく、四足で屋根に留まっていたその姿は、白濁した眼光をギラギラと輝かせていた。
「おっ……。おまえは……。トールなのか? お前はたしか。洞穴で休ませていたはずだが」
「貴公の……。姿を、追ってきたのだ」
「そっ、そうだったのか……。」
「貴公は……。何をそんなに……。脅えておるのだ」
コートの裾を風に揺らし、尖った屋根にしっかりと留まっている大男は、鈍い声でそう言った。
「脅えてなんていない。胸を躍らせているだけさ」
「ほぅ……」
「まさかなぁ。まさか……。喋る事が……」
「三体も死者を動かした。だが誰一人だって、俺に語り掛けることはなかった。そして、四体目、もう駄目だと思っていた。だが今! お前は俺の意に反し、動き、喋っている。俺が心底待ち望んだ結果だ!」
「死体を……。動かすのが……。そんなにたのしい……か?」
「何だとッ!!」
「貴公は……所詮……『ジョーカー』を……。模倣しているだけだと……。言っておるのだ」
トールは死してなお、飛ぶ記憶を繋ぎ合わせようとしていた。紅き血の乾きに、新鮮な生肉に飢える欲望を、細切れになった自制心で押さえこもうとしていた。そして、生前に正義と忠義の為に生きて来た事を必死で思い出していた。
だが、ベイカーはそんなトールの態度を目の当たりにし、これまで踊らせていた表情を一変させ、すぐさま硬質な顔つきへとかえた。
「喋れるからといって口答えはいい加減にしろよ。今の主はこの俺だという事を忘れるな」
「仮に……ジョーカーと……なって? ……その後は? マジェスフィア機協会を……。敵にまわして、本当に無事で……いられると……思っておるの……か?」
「だまれって言ってるんだよぉッ!」
死者の言葉は圧倒的な重さでベイカーの心を圧迫し、精神を冷徹かつ容赦なく貫いた。その感覚は、深い氷河に飲み込まれていくような絶望に似ていた。
一方で、彼のぶつぶつとした呟きは、外から見ればひとりごとにしか見えなかった。その暗闇での独り言に、遠くから仲間の怒声が飛び交ってきた。
「早くしろ」というその催促に応えて、ベイカーは死体袋を無造作に馬車に投げ込み、周囲の建物の間、裏路地へと場所を移した。
「この街の伝説を……。『ジョーカー』を俺は追って来た。だが現実を見ろ! 死者は決して踊らない。俺は死んだ奴に会えるって伝説を信じてたんだ。それしかなかったんだ。でも本物は何処にも居なかったじゃぁないか。なら俺が本物になるしかないだろッ――だから!!」
「この街の伝説か……」
トールの声は、ここで途切れた。虚しさが感じられるベイカーの声に、何か引っかかるものがあるようだった。
「――だから! だから――もっと必要だ……実験材料がぁ……そうだぁ! だからおまえ――ヒヒッ 連れてこい死者を……ハハッ……ハハハッ」
「……悪魔の力に飲み込まれたか、ベイカー……。哀れなやっめぇッ」
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