日々乃ひいろはヒーローになれない

羅田 灯油

「私は、ヒーローになりたい!」 「……駄目だ。君はヒーローになれない」


「――ひいろ! 今日ショッピング行かない?」

「あー、ごめん!」


 『ひいろ』と呼ばれた女子高生――日々乃ひびのひいろは、パシンと小気味いい音を立てて合掌。


「行きたいのは山々なんだけど、今日ほら、近くであったじゃん? だから親が心配しちゃって……」


 歯切れの悪い断りに、「なーるほど。まだ一部路線も運休してるしね」と合点がいったとばかりに首肯が返される。


「放課後までに解決されたら説得できたんだけど……まだその怪人、掴まってないでしょ? だから『早く帰ってこい』って連絡来ちゃって」

「そりゃ仕方がないわ。また今後誘うね」

「うん、ありがとう! 私も赤いマフラーが欲しいのになぁ……」


 ひいろは夕焼けに羨望の眼差しを向ける。秋も深まり、随分駆け足になった日暮れは丁度、欲しがっているマフラーの色なのだろうか。


「やっぱ名前のとおり、『ひいろ』が好きなの?」

「うん。それもあるんだけど……ほら、冬服のコートって黒じゃん? グレーとか茶色のマフラーだと、色が余計重たくなっちゃう気がして」

「それでもピンクとか黄色じゃない辺り、やっぱ赤が好きなんだなって」

「逆にピンクとか黄色のマフラーって売ってるの……?」

「それを今日探しに行くのよ。んじゃ、また明日ー!」


 元気よく教室を飛び出していくクラスメイトの軽やかなステップを見送って、ひいろも早いところ下校しなければと、これまた赤いバックパックを背負った。


「あ、そういえば……」


 気になって、スマホでウェブニュースを見る。

 徒歩通学のひいろに路線の復旧情報は関係なかったが、通学経路が事件に巻き込まれて通行止めになっていては、時間を無駄にロスしてしまう。怪人事件が日常のひいろら若者、K世代にとってはSNSと同じくらいルーチンワークと化していた。


 ……残念ながら、怪人事件は未解決のままだった。


「頑張ってよね、ヒーロー」


  ◇


 ――怪人事件。

 それまでフィクションのものだった怪人が現れ、市民を標的にし、危害を加える事件の総称。名は体を表すとおり、人型だが人間ではない容姿と超常の力を持っている。そして性質上、市街地が主な現場となるため、巨大な重火器の使用はできず、拳銃や警棒ではびくともしない頑強さによって、人々を苦しめた。


 しかし、そこに颯爽と現れ、解決してみせた者達がいた――ヒーローである。


 それこそフィクションよろしく、カラフルな特殊スーツに身をまとい、おもちゃのような不思議な武器で怪人を蹴散らし、打倒してみせた。果ては怪人の元締めとも呼ぶべき悪の組織すら壊滅させたとあっては、市民権を得ないはずはない。

 けれども彼らは決して驕らず、そもそも素性すら明かすことなく、倒しても倒しても幾度となく現れる悪の組織との拮抗を連綿と続けてきた。当然のごとく、ヒーローはフィクションのヒーローと同等かそれ以上の人気を集めて……今日こんにちに至る。


「それなら、も~ちょっと頑張らなきゃ」


 誰に向けてでもなく、ひいろは小さくひとりごちた。通学経路がことごとく封鎖され、普段は通らない神社の境内を半ば無理矢理突っ切る他なくなってしまったがゆえの、ささやかなぼやきだった。


 ひいろも別に、ヒーローに恨みがあるわけではない。むしろ感謝してもしきれないだろう。巷では悪の組織との癒着を軸にした陰謀論を唱える不届き者もいるが、無償で市民の安全を守ろうとしてくれている相手に、恩を仇で返せるはずもなかった。

 ……巨大化した怪人をオーバーテクノロジーの塊である巨大ロボットで倒した後、倒壊した建造物へ支援金まで出してくれるのだ。下衆なマッチポンプなど疑う余地もない。


「はぁ……」


 とはいえ、それとこれとは話が別だ。

 スカートのプリーツに気を配りながら、柵を越え石灯篭の間を縫う羽目になり、ひいろも流石に疲れてしまった。特に神主や巫女に見つかっては大目玉を食らうと恐れ、抜き足差し足忍び足で身を潜めていたが、それが殊更消耗を加速させた。


 早いところ家路に着きたい……と歩を進めていた、その時だった。


「キャアアアアアアアア!」


 絹を裂くような女性の悲鳴。見れば、巫女が青ざめた横顔で尻餅をついていた。なにを恐れてかと視線の先を見ずとも、戦慄の主が「イーッ!」と奇声を上げた。


「か、怪人……!?」


 否、その怪人が使役する戦闘員だと認識を改めても、意味合いは大きく変わらない。ヒーローでなければ倒せない相手。まだ到着していないのかと、ひいろは物陰から周囲を見回す。


「待てい!」


 太刀打ちできなくとも、せめてあの女性だけは助けなければ……と、ひいろが身を乗り出しかけたところで、


「レッドジャー!」

「ブルージャー!」

「イエロージャー!」

「グリーンジャー!」

「ピンクジャー!」


 どこか芝居がかった口上が境内に響き渡った。


「五人合わせて、五色戦隊ジャスティスジャー!」


 カラフルなフルフェイススーツ……ヒーローだ。


「お嬢さん、今のうちにお逃げなさい!」

「は、はい!」


 バリケードのごとく立ち塞がったジャスティスジャーに庇われて、巫女が一目散に逃げていく。守るべき者も去り、静寂の戻った境内で戦闘員とヒーローが間合いを取りながら睨み合った。


「さあ、邪魔者も入らない……始めるとしようか!」

「……なにが『正義ジャスティス』だよ。アホらし」

「んむぅ!?」


 あとは戦闘員と戦うだけ――というところで、予期せぬ横槍が入った。リーダーらしきレッドジャーは呻き、辺りを見回す。


 ――現れたのは、ごく普通の女子高生だった。


 赤いスカーフが映える、紺のセーラー服。レッドジャーも知っている近隣高校の制服だ。防寒用に淡いクリーム色のセーターを着ていたが、スカートは女子高生らしい短さをキープしていた。ナチュラルメイクに明るすぎないヘアカラーは、校則の範囲ないであろう。


 飾り立てすぎない、模範的な女子高生が一人。

 異を唱えた闖入者は彼女なのか? ……レッドジャーを含めたジャスティスジャーの面々に動揺が奔る。


「あ……貴方! これからここでは戦闘員との戦いになります」


 呆けていた男性陣に先駆けて、ピンクジャーが毅然とした態度で凛と声を張る。


「危険ですから、今すぐ退避を……」

?」

「っ!」


 いっそ挑発的とも取れる鋭い言葉に、ブルージャーが低く艶のある声色を震わせた。


「な、なにを言っている。どこからどう見ても僕達はれっきとしたヒーローで――」

「なに言ってんの? 『五色戦隊ジャスティスジャー』なんてヒーローは存在しない」

「君のようなお嬢さんが、ヒーローをすべて覚えているわけが……」

「覚えてるよ、全部。だから『五色戦隊ジャスティスジャー』なんてヒーローが存在しないことも分かる」

「こ、これからデビューするヒーローだっているだろう!」

「だとしても、そのヒーロースーツの杜撰なつくりはなに? 一つ一つ体に合わせて最適な形成をされるのに、腰回りがダボついてるのを太いベルトでごまかしてる。ブーツとグローブもそう。アスリート並みの動きを求められるのに、ふくらはぎを覆うシャフト部分が、手首部分が、そんなにガバガバなはずはない。昔のヒーローならまだしも、今デビューするヒーローがそんなちゃっちいスーツなわけないでしょ。カラーリングだって、トップスとボトムスがてんでちぐはぐ。つなぎみたいなオールインワンがヒーロースーツの基本なのに、分けて着てる証拠。同じ色の用意ができなかったってこと? それになにより――」


 立て板に水の勢いで、ジャスティスジャーの面々が口を挟む隙を一切与えず、指摘という指摘を次々と繰り出していく。そこに模範的な女子高生はいなかった。


「――あんた達のモチーフって、なに?」


 渾身の一撃を、先程まで物陰に隠れてやり過ごそうとしていたはずの日々乃ひいろは、躊躇なく突き刺す。

 怪人事件で親に帰宅を促され、クラスメイトの誘いを断って、ぼやきながら神社を通過していた、ごく普通の女子高生……同様の印象を受けていたジャスティスジャーの面々も、縫い留められたかのように二の句が告げず動けない。


「は……?」

「モチーフだよモチーフ。恐竜とか動物とか魔法とか働く車とか。あー、海賊とか忍者とか怪盗とか、結構アウトローなのも多いよね。侍とか刑事とか、王道のカッコいい職業もあるけど。子供の純粋な心を刺激することで、より応援によるミラクルパワーを得られるって知らないわけないよね? まさか『五色と正義です』なんて言うつもり?」


 微に入り細を穿ち、徹底的に論破で蜂の巣にしていく様は、呆気に取られて棒立ちしている戦闘員よりも怪人めいていた。


「で? あんた達のモチーフは?」

「…………」

「ないよね。あるはずないもんね。だってヒーローじゃないもん」

「ンだよ! こんなクソガキに邪魔されるとか、作戦どっかに漏れてたンじゃねぇの?」


 とうとう音を上げたと言わんばかりに、奇声を上げるだけの戦闘員が流暢に喋り始める。


「そんなわけあるか! 警察にも通報しないとか、ただの頭のおかしい奴が絡んできただけだろ!」


 最早取り繕わなくなったジャスティスジャーの面々と偽戦闘員が、丸腰のひいろを取り囲む。萎んだ通学用バックパックは置き勉の証。そもそも細腕の女子高生に大の大人が六人と、戦力差は一目瞭然だった。


「あらかた、怪人事件を隠れ蓑にした火事場泥棒って感じ? ああ、神社だから賽銭泥棒か。ヒーローだと顔も隠れるし、一般人なら判別もつかない。グローブで指紋も残らないうえに、ブーツも途中で履き替えればどうとでもなる。今の季節、薄手のコートを羽織れば服装の不自然さもなくなるってことか。頭いいけど、頭悪いね」

「なにブツブツ言ってやがる!」


 八方塞がりの状況で、尚もひいろは臆さない。


「なあ、こいつ本当にただのマニアか? もしかして本物のヒーローの関係者とか……」

「どうでもいい! どうせ怪人でもねぇオレ達に手なんて上げられねぇだろ!」


 下卑た思考を垂れ流し、一気呵成に襲い掛かろうとジリジリと囲いを狭めていく。

 絶体絶命の状況。しかしひいろは、シニカルに笑っていた。


「ただのマニア? ……違うよ」

「かかれェ!」

「――――《変身》」


 光の粒子が収束し、セーラー服のウエストにデジタルガジェットめいたベルトが現れる。

 そしてひいろがスイッチを押した瞬間、


「は?」


 光が渦巻き、強烈なつむじ風を伴って偽ヒーロー達を弾き飛ばした。


「これがただのマニアの姿に見える?」


 大の大人複数をいとも容易く蹴散らしてみせて、尚もただの女子高生だと侮れるはずもない。したたかに地面を転がったグリーンジャーは、その姿を目にした途端、戦々恐々として尻尾を巻いて逃げ出した。


「な、な、なんなんだテメェは!?」


 起き上がったイエロージャーが果敢にも殴りかかるが、拳は容易くねじ伏せられ、逆に拳を叩き込まれて膝から崩れ落ちる。その隙を突こうとブルージャーが後ろから不意打ちするも、いっそ華麗なほどの回し蹴りで一笑に付される。


「ガッ……!」


 元より尻馬に乗っただけのようだったピンクジャーは早々に戦意を喪失し、痛みに喘ぐばかりの仲間の姿を見て縮こまっていた。


「怪人、か……!?」


 レッドジャーの疑問は、至極当然のものだった。

 別動隊のごときヒーローもいるが、基本的にヒーローは戦隊の名のとおり、少数精鋭の一団で行動する。それゆえレッドジャーもヒーローだと偽るために、わざわざ仲間を増やして今回の悪事に挑んだのだ。


「怪人? そんなふうに見えるなら心外だなぁ」


 ――そこにいたのは、オールインワン型ヒーロースーツに身を包んだ、ひいろの姿だった。


「じゃ、じゃあ新しいヒーローか!?」

「一応……そんなところ、かな」


 五色を混ぜても、こうも黒々とした闇の色にはならないだろう。頭部、肩、胸、腕、脚部を覆う装甲は、ヒーロースーツよりも西洋のフルプレートアーマーを思わせる意匠だ。くぐもったひいろの声は、先程よりも低く響いていた。


「ねえ、どうしてあんた達みたいな偽戦隊の犯罪者が現れないのか……分かる?」

「て、テメェが全部倒してるって言いてぇのか!?」


 息つく暇もなく劣勢に立たされたレッドジャーは、投げやりに吐き捨てる。


「流石に無理でしょ。私だって学校あるし」

「じゃあどういう意味――」

「――それを専門に扱う者達がいる、ということだよ」


 残されたジャスティスジャーの面々が全身に浴びたのは、殺気のごとき重圧。ひいろのような市井に混じって生きる者ですらない存在感に、おそるおそる視線が吸い寄せられていく。


「どうもこんにちは。そしてさようなら」


 獅子頭の獣人が、流暢な発語で別れを告げる。

 知らないはずがない……そこにいたのは、現行のヒーロー『昆虫戦隊スパイジャー』と敵対している悪の組織、マフィア『ダンマーツ・ファミリー』の首領ドンであるレオ・ハンドレッドだったからだ。

 高級感溢れる特注のスーツの上から羽織るのは、これまで討ち取ってきた生物の毛皮や羽で作られたコート。彼にとっては自身の威光と傲慢さの象徴であった。


「君とまた会うとはね、レディ・スカーレット」

「その呼び方やめて。前にも私、ちゃんと名乗ったんだけど」

「い、一体どういう……」


 悪の組織の首魁と何気なく会話しているひいろを見て、レッドジャーの思考は更に混迷を極める。


「さっき言ったとおり。偽戦隊の犯罪者の末路って、こういうこと。更なる巨悪に食べられておしまい」

「君達の身柄は我々が預からせてもらう。なに、悪いようにはしないさ――折角の戦闘員改造用の素体なんだ。丁重に扱うと約束しよう」


 小金稼ぎの賽銭泥棒を目論んだ先にあったのは、断頭台にも似た俎上。絶望と呼ぶにも生易しい終着駅に、声を出せたのはレッドジャーだけだった。


「そ……そんな……!?」


 レオ・ハンドレッドの背後に控えていた部下の戦闘員『ビットマン』が、逃げおおせたグリーンジャー以外のジャスティスジャーと偽戦闘員を早々に確保する。抵抗空しく担ぎ上げられた面々は思い思いの悲鳴を上げていた。

 その悪行を、ひいろは無言で眺めている。


「た、助けてェ!」


 叫んだのはピンクジャーだった。


「あなた言ってたじゃない! 新しいヒーローだって!」


 マフィア『ダンマーツ・ファミリー』となんらかのパイプを有していると目されるひいろに対し、お門違いも気にせず命乞いをする。


「改心して罪を償うって約束する! だから助けてよォ!」

「……じゃない」

「え?」

「私は、ヒーローじゃない」


 拒絶と呼ぶには、あまりにも弱々しい否定。

 掴もうとした蜘蛛の糸は目の前で千切れ、ジャスティスジャー一味は戦闘員『ビットマン』に運ばれていった。


  ◇


「私は、ヒーローになりたい!」

「……駄目だ。君はヒーローになれない」


 かつてヒーローになりたいと願った少女はしかし、ヒーローに拒絶された。


「どうして……?」


 少女が疑問に思うのも当然だった。ヒーロースーツの適合数値は及第点。身体能力や機転の利きも申し分ない。年かさこそ不安材料だろうが、それを補って余りある才能に恵まれていたからだ。

 それを承知のうえで、ヒーローは問うた。


「君は、ヒーローになって、なにがしたいんだい?」

「それは勿論!」


 少女は喜色満面の笑みで答える。


!」

「…………」

「そうすれば、町は平和になるでしょう?」


 ヒーローがスーツの上からでも分かるほど顔を曇らせるのは、至極当然だった。

 少女の思想は歪んでいた。狂信的なまでの正義への妄執。あるいは悪という存在への憎悪。

 それでもヒーローは希望を込めて、少女の肩に手を置く。


「君が、『悪党ヴィランを倒したい』ではなく、『無辜の人々を守りたい』と願うようになった時、真のヒーローとなれるだろう――」

「――そんな時なんて訪れないじゃない、嘘つき」


 夢が叶わなかった彼女が自ら彩りと光を集めた結果、黒く闇に塗り潰された。ヒーローであってヒーローではない名前『ひいろ』は、呪いのごときアンチテーゼだと言わんばかりに。

 変身を解いたひいろは何事もなかったかのように家路に着く――まるで、ごく普通の女子高生に擬態するように。今頃、本物のヒーローは件の怪人事件の解決でもしているのだろう。ひいろにはあずかり知らぬ話だ。


「……思ったより冷えるな」


 寒風がうなじを刺す。

 赤いマフラーヒーローのあかしは、まだ手に入らない。




  完

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