第23話 焚火

 アイリーンはまるで女王のように振る舞った。


 僕はビルシヤにすべての経緯を話した。

 アイリーンは生きていて、歌うたいとしてこの街に来たこと。

 鐘が力を与えて、この街、いやこの星を支配しようとしていること。

 そして僕をその仲間に入れようと、家族を人質に取ったこと。


 ビルシヤは驚いてはいたが、


「大丈夫、アイリーンは私たちを殺せやしないわ。友達じゃない」


 違うんだ。彼女はもう、変わってしまっているんだ。


「アギエルと呼びなさい」


 鐘守かなもりたちはその名を神のように崇める。

 フォーリアはその支持母体として一大勢力となった。

 もともと、鐘をあがめていた彼らもまた、鐘から力を得たアイリーンを崇拝する。

 そのことによってアイリーンの体制は、彼女が選別した鐘守かなもりが100名近く、その10倍近いフォーリア(選別には弾かれたか、まだされてないものたち)がおり、大軍勢になっている。


 もはや街を支配しているのは彼女らの一派だった。

 学術都市ベードリアウイングは隕石調査団が自営の街だったのだが、調査団の中にもフォーリアは多くいたため、この街の中枢から乗っ取られた形になる。


 ヨークにはほかの懸念事項があった。

 エントの体調がここのところ思わしくない。

 ヨークはあの素晴らしい塔をアイリーンの、奢望の牙にかけたくなかった。


「この塔をどう思う?見ていたんだろう」


 エントは咳こみながら問いかける。

 塔の設計はほぼ完成していた。

 ヨークはこれを実現させたい。しかし、同時に実現させていいものかと悩んだ。

 アギエル信徒がはびこっている間は危険だと思う。

 彼らは、誕生の経緯からみても、根っからの選民志向だ。


 塔の独占をしかねない。

 しかし、ヨークは娘を人質に取られている。八方塞がりだ。

 エントに代わりの塔を設計してもらうにもこの状態では……


 ヨークはエントに正直に告白してみることにした。


「この塔は素晴らしいです。それだけに実現させていいものか」


 ヨークはアイリーンの動態を含めて話した。


「なんだ、そんなことか」


 老人は不敵に笑った。


「この塔には役割を持たせてやればいいと思っていた。

彼女らには彼女らに相応しい塔を用意してやろう」


 エントはそう言うと、先ほどとは打って変わって機敏に動き始めた。

 顔色がよくなったように思える。


「小娘なんぞにやれんな。その通り」


 楽しそうだ。


「お前、金の工面はできるか?」エントは続ける。


「何とかします」ヨークは答えた。


「お前、名前は?」


「ヨークです」


 知らなかったのか……


「ヨーク、この塔の建設候補地は2つある。ハイフォールとミラキャニオンだ。

お前、多少の建築の心得はあるんだろうな?」


 ヨークは頷いて見せた。


「よし、これらの土地を視察してくるんだ。この条件に合うほうに彼女の塔を造る」


 エントは紙切れを手渡してきた。


「墓標くらいにはなるか。わはは」


 エントは新たな設計に取り掛かった。





 ヨークは視察のための準備を進めた。同時に金の工面を始める。

 後者は比較的楽にできるできるようになっていた。

 アイリーンから鐘の管理者(いまだにそれが何なのかははっきりしないが)に抜擢されたことで、期せずしてアギエル一派の中での地位を得て、同時に金も動かせるようになっていた。


 ハイフォールとミラキャニオンの視察に関してはアイリーンに報告せざるを得なかった。

 逃げ出したと思われては家族に何をされるかわからない。


「それなら私も行くわ」


 彼女はそんなことを言い出した。


「何だか、ピクニックみたいね。私、ピクニックって初めて」


 そんなのんきなことを言っている。


「早く行きましょうよ。そんなものいらないわよ」


 かばんに食料品を詰め込むヨークを見て急かす。


「そんなわけにはいかないよ。ハイフォールへの片道だけでも半日以上かかるんだぞ」


「知らない。私、お腹空かないんだもの」


 アイリーンはこっちの苦労をよそにしてふくれている。


「それに、すぐに行けるってば。ほら」


 アイリーンはヨークの手を取った。

 そして、人差し指を上に向ける。


 パッと視界が切り替わった。

 あたりは草原が広がっていて、風がそよそよと流れる。

 雲が流れるいい天気だがそれどころじゃない。


「ここは……?」ヨークが呟く。


「ハイフォール……ってここじゃないの? ほら」


 アイリーンは後ろに立っていた。

 ヨークはアイリーンが顎で示すほうを見た。


 草原が途切れ、眼下に深い穴が広がっている。

 さらに視界の先には海が広がっていた。

 この強い風は海から吹き込んでいるのか。


「これが、ハイフォールか……」


 ヨークは潮風のにおいと目の前の展望にしばし感じ入った。


「しかし、急に移動するなんて。ベードリアウイングからここまでどれだけの距離があるか」


 ヨークは振り返ってアイリーンに文句を述べた。


「勘弁してくれ。これじゃ移動するたびに心臓が減っていくよ」


「ふん。早く着いたんだからいいじゃない」


 彼女は人間としては規格外の力を手にしてしまった。なのに心は牛車に揺られる水盆のように不安定なままなのだ。


「もう、勝手にしなさいよ」


 アイリーンはいじけてしまった。

 ヨークはその様子を確認してから、当初の予定通りこの土地の査定を始める。道具だけは先にかばんに詰め終わっていてよかった。


 地質や地形。計算を用いた測量など、エントから依頼された調査項目を埋めていく。

 移動にかかる時間を削減できたのは確かに喜ぶべきだったろうか。

 日中にしかできない作業が多いから、ヨークは調査に没頭した。


 やがて日が落ちてくる。ヨークはエントから依頼された一通りの調査項目を終えることができた。

 アイリーンを探すと、最初に飛んできた草原の中にある岩の上に座っていた。


「お待たせ。おかげで目的は達成できたよ」


 彼女は頬を膨らませて海を見ている。ずっとこうしていたのだろうか。


「さっきは、悪かったよ。おかげで早く終えることができたから。

もう文句は言わないから、街まで飛んでくれるか?」


 ヨークがそう言うと


「帰りは歩いて帰りましょ。飛ぶのはお嫌いなようだから」


と言い出した。

 ヨークは彼女の様子を見て何となくそんなことを言い出しそうな気はしていたものの、


「……それは、今日中には帰れそうにないな」


 食料も、野営の道具もほとんど持ってないのだ。

 しかし、思わずため息なんてつこうものなら彼女は僕を燃やしかねないとも思ったから、


「今夜は野宿でいいんだね?」


とだけ言っておいた。


「お好きにどうぞ」


 僕を苦しめるためなら自分がどうなってもいいのだろうか……

 いや、だけど彼女は一人だけでも飛んで帰ればいいものを、僕があたりをつけた森のほうをしげしげと見ていたりする。このままいっしょにいるつもりだろうか。


 だが、そんなことをわざわざ指摘して、「じゃあ」なんて言って一人で帰られても家族が心配だし、このまま黙っていることにした。




 夜になった。

 僕たちは森の中で焚火を囲んでいる。

 僕はそこらに生えていた木の実と、日が落ちる前に苦労して捕まえた兎を焼いて食べていた。

 調査で疲れている体に鞭打って、弓に弦を張り、矢を削って仕留めたのだ。


 それがなかなか当たらなくて、あたりが夕闇に包まれるなかでアイリーンに見守られながら兎を追い回した。結局、矢は当たらず、昔ながらの罠で兎を仕留めた。


「あなた、狩人には向いていないわね。よかったね羊飼いで」


「今は羊飼いじゃない。動く的は苦手なんだ」


 とはいえ骨を折って糧は格別の味だった。腹もふくれ、今日1日の成果に満足する。

 アイリーンは夜に揺らめく炎を目に映していた。


「アイリーン、なぜ君は生きていたんだ?」ヨークが問いかけた。


「その名で呼ばないでって言ったでしょう」


「アギエル……」


 そう呼ばないと無視されるので仕方なく言った。


「わからない。気が付いたら私、森の中で寝ていたの。

しばらくは森の動物たちと暮らしていたけれど、

だんだんと思い出したのよ……人間だったころのこと」


「そうして、あなたのことも思い出した」


 流星の水を飲んだことも思い出していたのだが、それはヨークには語らなかった。


「じゃあ、君は……その後のことも」


「そうよ。私は燃やされた」


 燃える瞳は映る者すべてを恨んでいるかのようだった。


「その時に、アイリーンは死んだわ。私はアギエル。この星を呑むの」


ヨークには何も言えなかった。


「それで、生まれた町に戻ったら、誰もいないんだもの。

それで私は知りたくて。あなたたちや……あの隕石のこと」


 アイリーンはまだ空を見つめている。


「あの宙に輝く星のひとつが、落ちてきたのかしら。

だとしたら、あのこは捨てられて、ひとりぼっちなのよ」


「アイリーン、君のお母さんはひどく君のことを愛していた」


 彼女はずっと泣いていた。アイリーンが燃やされた後、火が消えるかのように亡くなってしまった。


 ヨークは自分がどう思っていたかは言わないでおいた。

 アイリーンはしばらく何も言わなかった。


「今はその名じゃない」


 彼女の目にはやはり空の星しか映っていなかった。





 夜が明け、ヨークとアイリーンは歩き続けた。

 山を一つ越えたところで、平原の先に帰る街が見えてきた。


「そろそろ飽きたわね」


 アイリーンはそう言うと人差し指で空を指した。

 視界が切り替わった。ヨークとアイリーンはベードリアウイングの大聖堂広場に着いていた。


「……助かったよ」


 もっと早く使ってくれてもよかったけれど。


「どういたしまして」


 アイリーンはそう言って大聖堂にさっさと入っていった。




 ヨークはその後、もう一つの候補地であるミラキャニオンの視察も終えた。

 ミラキャニオンへは一人で行かなければいけなかった。

 またアイリーンがひとっ飛びしてくれるのかと思ったら。


「あっそ。いってらっしゃい」


と興味を失ったようす。天敵を知らない小鹿よりも気まぐれなやつだ。

 ミラキャニオンへの移動だけで丸二日かかり、宿泊も必要となったため、1週間ほどベードリアウイングを留守にしてしまった。


 ヨークが街に帰ったときにはさらに状況が変わっていた。

 アギエル一派はその間にもみるみるうちに膨れ上がっていて、今や街全体が鐘とアイリーンの信者だった。

 彼女の「選別」もおおかた終わったらしく、鐘守かねもりの数も相当数になっている。


 鐘守かねもりはアイリーンのような特殊な能力が使えるわけではないが、「鐘の声が聞こえる」ことでほかの信者とは一線を画す矜持を持っている。

 アギエル一派は組織として整備がされてきて、鐘守かねもりは藍色に染められて刺繍なども施された豪奢なローブを身にまとっている。

 フォーリアたちは前掛けとフードの付いた白いローブだ。


 しかし、ヨークは確かアイリーンに「選ばれた」はずだが、鐘の声というのは一向に聞こえない。

 特殊な作用らしきものと言えば、一度大聖堂に強制的に集められたときだけだった。


 そろそろアイリーンときちんと対話すべきだろう。

 ヨークは大聖堂にいるアイリーンの元を訪れた。


「鐘の声ってのについて教えてくれないか?」


 ハイフォールまで彼女と赴いた時には、アイリーンの能力の一端を知れた気がした。彼女がいつ暴走するともわからない以上、同じ感覚を知っておくべきだとヨークは考えた。


「ようやくその気になったってわけね」


 アイリーンはご機嫌だ。


「みんなは外に出ていて」


 アイリーンはそう言うと、人差し指をあげた。

 大聖堂にいた鐘守かねもりとフォーリアたちはたちまちに消えた。

 外の広場にでも移動させられたのだろう。


「その、能力は鐘から得た力なんだな?」


 ヨークが知る彼女の能力は2つ。

 人差し指をあげることで、人を瞬時に移動させる。

 二本指で指すことで、人を燃やす。


「もちろん、そうよ。ほら、こちらへ」


 アイリーンは台座の上の鐘の元へ導いた。

 ヨークの手を取る。


「触れて」


 ヨークは鐘に手を触れた。


 あたりが一瞬で暗くなった。

 ヨークはその空間の中で水面の木の葉のようにゆらゆら揺れていた。

 小さな砂糖菓子のような光が見える。星だ。

 ヨークは夜の星の中にいた。


 ヨークは背後に気配を感じて肩越しに振り返った。

 とてつもなく大きい青い星だ。ヨークは自分の存在が虫けらのようなちっぽけなものなんだと感じた。

 その星はとても美しかった。


 ヨークがそれをつぶさに観察していると、一点からもやが湧いた。

 虹色の空白のようなしみが、だんだんと大きくなる。

 やがてそれは人の形に切り取られ、実はそれがヨークの目の前に立っていることに気が付いた。


 ヨークにはそれがアイリーンの形をしているように感じたが、確かではない。

 その存在は虹色の枠を蠢かせて、ささやいた。


「見えた?」


 アイリーンが問いかけてきた。

 僕は、目を閉じていたのか。ヨークは大聖堂に戻ってきていた。


「あ、ああ」


 ヨークは今感じたことを表す言葉を持っていなかった。

 頭の中に直接、夜の王が書いた長大な小説を書きこまれたような。肌の奥深くに眠っていた海の波音がする記憶を呼び起こされたような。


「素晴らしいでしょう。この星は、思っているよりも思い通りにできる」


 ヨークは夢心地ながらも、人としての危機感を覚えていた。

 この鐘は、この星を支配しようとしていて、彼女の言う通りその力も持っている。

 侵略者だ。

 惹きつけて、自らのために働かせる。

 これは、返すべきだ。星辰の天へと。


 種としての防衛反応。ヨークはずっと感じてきた違和感をはっきりと知覚した。天敵に対する警報だったのだ。


 だが、アイリーンはこの鐘に魅せられている。他の信者を巻き込んで。

 彼女に悟られてはいけない。

 僕だけが、塗りつぶされようとしているこの星を救うことができるんじゃないか。


「理解できたよ。火に集まる虫けらのように、煙たい奴らを僕らで耕してやるんだな」


「ヨーク!あなたならわかってくれるって思っていた。うれしいわ」


アイリーンは手を叩いて喜んだ。


「しかし、あの光景を鐘守かねもりたちも見ているとは思えないな。彼らが言う鐘の声とは何のことなんだ?」


「ふふ、当り前じゃない。彼らには鐘に触れさせたことはない。仮に触れるとしても、私たち管理者を通さないと景色は見えないわ。」


 彼女は無邪気に燥いでいる。

 昨日とは違う遊び場を見つけた子どものように。


「彼らが言う声はこうやって伝えているの。少し難しいけれど、相手は選べるから」


 アイリーンは3本の指を自分の頭に当てた。

 ヨークの頭の中でくぐもった声が響いた。


『入っていいよ。羊たち』


 大聖堂の扉が開かれた。


「アギエル様!!」


 藍色の服を着ている。鐘守かねもりだ。


「なるほど」ヨークは呟いた。


 これで意のままに信者を操っているわけか。


「たったいま、捕らえました! モラ地区最後の『狼』です」


 鐘守かねもりたちが数人がかりで一人の男を抱えていた。

 男はかなり痛めつけられている。着ている服がぼろぼろだ。


「ごくろうさま。さて」


 アイリーンは先ほどまでの笑顔から一転し、冷酷な月の裏側の表情を見せた。


「鐘の声に、従うか否か。答えなさい」


 傷だらけの男は血を流しながらも、にやりと笑い答えた。


「否だ」


「聞くだけ無駄だったわね」


アイリーンは人差し指をあげた。


 鐘の背後に何か巨大な塊が現れた。

 彼女の人差し指の能力は、物も移動させられたのか。

 大聖堂の中が目を細めるように陰ったように感じる。

 ヨークは我が目を疑った。

 磔にされた人、人、人。雑多に作られた街の瓦礫のような磔台に生気を失った人々が鎖で縛りつけられている。


 すでにこと切れ、肉体が腐り始めているものもいる。

 かろうじて息があるものも、もう人らしい反応をする気力はないようだ。

 ヨークは胃の中のものがせりあがってくるのを必死に抑えた。


「鐘に従わなければ、人ではないわ」


 彼女が目で指示をすると、鐘守かねもりは男を鎖でがんじがらめにしてその磔台の新たな装飾にした。


「はははっ!!! はははははははっははは!!!」


 男の狂ったような笑い声が大聖堂の高い天井に響いた。


 アイリーンは二本指を男に向けた。

 男は炎上した。

 笑い声は叫び声に変わる。


「そうだ、ヨーク。あなたにも忠告しておくわ」


 燃える炎を背にして、アイリーンはヨークに言った。


「ビルシヤとリリー……。

彼女たちもフォーリアに入るように説得しておいたほうがいいわよ。

私にも我慢の限界があるの」


 男の断末魔が響く。


「うるさいなあ」


 アイリーンがもう一度人差し指をあげて、地獄のような光景が途切れた。

 あの磔台を元の場所に戻したのだろう。


 ヨークは覚悟を決めた。


 彼女を終わらせなくては。もう人ではない。

 思い出の中のきれいな彼女のままでいてほしかった。

 ヨークはあの時、アイリーンは燃やされていてくれればよかったのにと願わずにいられなかった。




続く

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