第22話 岐路
ヨークは大聖堂に入ろうとしたが、見えない空気の壁のようなものがあり扉に触れることさえできなかった。
ヨークは思案した。彼女の言う通り、人を集めていいものか。
しかし、意図せずしてそれは達成されてしまう。
入ることができなくなった大聖堂の異常に、多くの人間が気が付いてしまったのだ。
とりわけフォーリアは騒ぎたてた。
「これは神の与えし試練だ!」
とか
「終末の時が近づいているのだ!」
だの。
ヨークは心中はそれどころではなかった。
アイリーンが中にいる。それが皆に見られたら……
彼女が焼かれるときに、ヨークは自分が内から磔にされているように感じた。地面に根を差したかのように動かなかった足。もう二度とあんな思いはしたくない。
約束の正午が近づいてきた。
大聖堂の正面広場には人だかりができてしまっていた。
ヨークは何とか他の人間にバレないように大聖堂に侵入しようとしたが、無理だった。誰1人として大聖堂に触れることができない。
正午の鐘がなった。
大聖堂の扉が開く。
中からアイリーンが出てきた。
人々の視線が一点に集まる。
彼女は堂々とした立ち振る舞いで歩いてきた。
思わず道を開ける群衆の波を割き、広場の中心まで来ると歩みを止めた。
手を挙げて、
そして歌い出す。
声、美しい声。まるで鐘の音のような旋律。
歌詞はなかった。
しかし何かを思い出させるかのような、寝る前に聞かされる物語のような歌だった。
歌が終わると、突然、大衆の大部分はばらけていった。
まるで何事もなかったかのような顔をして、
思い思いの方向へ歩いていく。
ヨークは呆気に取られている。
あたりを見回すと、ヨークと同じようにぽかんとしている者が数名だけ残っていた。
アイリーンがこちらに微笑みかけてきた。
「ふふ、お眼鏡に叶うのはこれだけみたい。
ヨーク、あなたがいてうれしいわ」
彼女はやたらと上機嫌だった。
手をゆらゆらと動かして海月が空気を泳いでいるようだ。
「おい、あんたなんなんだ! 俺たちに何をしたんだ!?」
鍛冶屋らしき風貌の男がアイリーンに詰め寄った。
アイリーンはどこ吹く風といった様子である。
「おい!! 聞いてんのかって! おま」
アイリーンが指を一本上げ、男は消えた。
「ふ、ふふ、これくらいはもう、わけないわね」
彼女は笑う。
「あなたたち、帰っていいわよ。また必要な時に呼ぶわ」
そう言うと、ヨーク以外の広場に残った者たちはそれまでの怯えた表情が嘘のように消え、くるみ割り人形のリズムで立ち去った。
ヨークはそれを見送るしかない。
アイリーンはぼーっと突っ立っているヨークに話しかけた。
「ヨーク。あなたも管理者にしてあげる」
「管理者? 管理者ってなんだ?」
「この星の管理者よ! 選ばれたものにしかなれない……
私があなたを選んであげる!」
アイリーンは不敵にほほ笑む。
「何を言って……僕はそんなものにはならない! お前ももうやめるんだ!!」
ヨークはかつての友達がもういないように感じた。
「ふーん。まあいいわ。そのうち気が変わると思うわよ」
アイリーンには何も響かないようだった。
「ふんふーん」
アイリーンは鼻歌交じりに去っていった。
ヨークは途方に暮れるばかりだった。
翌日、街の鐘楼の屋根の上で、男が見つかったという。
助けを求める叫び声を聞いて住民が上を見上げたところ、鍛冶屋らしい男は道具一つ持たないでこちらに手を振っていたらしい。
アイリーンは鐘に触れる前と変わらず、楽団の一員として歌を歌っていた。
ヨークの推測によるとそれは彼女の言っていた「管理者」を探すための儀式なのかもしれない。
だが、ヨークになすすべはなかった。アイリーンは歌っているだけ、観衆はそれを聞いて、たまに拍手もせずにその場に残り続けるものがいる。
だからといって、それを止める方法も理由も思いつかなかった。
ある日、ヨークはエントの作業場から帰るときに妙な感覚を感じた。
鐘が鳴っている。
いつもの時刻を告げる鐘ではない。
頭の中で響いている。
「大聖堂へ行かなければ」
ヨークの意識は途切れて、次の瞬間には大聖堂にいた。
周りには人であふれている。皆きょろきょろとあたりを見渡して不思議そうな顔をする。
「どうして僕はここにいるんだ?」
「いらっしゃい」
アイリーンが鐘の後ろから現れた。
「喜んで。みんな、選ばれたのよ」
やはりそうだったか。これほどの人数をもう彼女は「選別」していたとは。
「素敵な気分でしょ。そこで、提案なんだけど……」
「おいっ勝手にくっちゃべってんじゃねえぞ!! てめえ何もんだ!!」
口をはさむ者がいた。
「そっ……そうだ!! 何が選ばれただ? 帰らせてもらう!!」
「飯食うとこだったんだぞ! けっ勝手にやってろお嬢さん。」
何人かが同調してまくしたてた。
アイリーンは何も言わず、二本の指をそいつらに向けた。
途端、彼らは炎上した。炎はどこからともなく現れた。
「ギャアアアアアアアアあ」
もだえ苦しむ男たち。周りの人間は火を移されまいと逃げ惑った。
火は現れた時と同じようにいつの間にか消えた。
残るのは物言わぬ灰の死体だった。
「塔を建てましょう。この鐘の音を遠くまで響かせる塔を」
アイリーンは何事もなかったかのように話をつづけた。
この世のものと思えぬ技を間近で見た人々は彼女に逆らうことはできなくなっていた。
中には
「神様……」
とアイリーンにかしずくものがいる。
フォーリアの教徒らしき女性だ。
「皆さんは
アイリーンは100人近い
「この中で建設者はいないかしら? 偉大なる塔にふさわしいものは?」
ヨークは黙っていた。エントの塔のことは知られてはいけない。
「ヨーク。あなたはどう? 何か知っているのかしら」
アイリーンは僕を名指ししてきた。
何か確信があるのだろうか。
偽るのはまずい気がした。
「エントという建築家と仕事をしている。彼が適任だろう。話をしてみるよ」
こう答えるしかなかった。
「そう。みんな。帰って」
アイリーンは瞬きの間にヨークの前にふわりと着地していた。
なんてことだ。彼女は本当に神の力を手に入れたのか。
ヨークの他の
「ヨーク。考えは変わった?」
アイリーンは首をかしげて問いかけてくる。
彼女の目は笑っていなかった。
「あなたも管理者になりなさい。
「い、嫌だ」
ヨークはそれだけ絞り出した。
「何を言っているの、勘違いしているのね。私があなたを選ぶの」
「僕には……ビルシヤがいる。リリー……娘もだ。彼女たちと一緒に過ごすだけでいいんだよ。それ以外はいらない」
ヨークは正直な気持ちを言った。殺されるだろうかと思ったけれど、それでも言った。
「娘……ふふ、娘ね」
アイリーンは憫笑した。彼女の気分は夜明け前の潮目よりも激しく変わるようだった。
「私も娘くらい、産めるわよ」
そういって彼女は両の掌で自分のお腹を撫でた。
腹が膨らんでいき、鈍く黄金に輝く。やがて満月のようになったときに、それはアイリーンから離れた。
月が割れ、中のものが地面に落ちた。
その赤ん坊は兎のような顔をしていた。
ギィギィと泣いている。
赤い目で母親を睨んでいた。
「失敗かな」アイリーンは吐き捨てた。
「こんな……」
生命を冒とくしている。
「ヨーク。もうこれで最後。管理者になりなさい。
そうでなければ娘を殺す。そう言えばいいの?」
「わかった……わかったよ。」
ヨークは感情をなくして赤ん坊を見つめていた。
続く
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