第21話 会いたくなかった
アイリーンは生きていた。
「なぜ? なんで君は生きているんだ?」
アイリーンはその質問を黙殺した。
楽団のほうを見て別の話をする。
「私、歌うたいになったのよ。ほんとうは前から夢だった」
ヨークはそんなこと知らなかった。
「楽団が演奏しているところをたまたま目にして、必死に頼み込んだわ。今では、彼らのほうが私を頼りにしているくらい」
彼女は本当にうれしそうに笑った。
「アイリーン、また会えてうれしいよ。
そうだ、ビルシヤもこの街にいるんだ。僕と結婚したんだよ。娘もいる。
家においで。きっと彼女も喜ぶ」
「その名で呼ばないで。今はアギエルよ」アイリーンは言った。
ヨークはふわふわとした夢のなかにいるようだった。現実味がない。しかし、昔と変わらずアイリーンと話している。変な気持ちだった。
アイリーンは少し目を伏せた。
「ビルシヤは、きっと会いたがらないわ」
「なぜ?そんなことないさ」
「驚かせてしまうもの。それより、もっと話しましょうよ」
アイリーンは大人の女性になっていた。
その姿はヨークの想像していたアイリーンが成長した姿よりもずっときれいだ。
病弱だったアイリーンは本来こんな溌溂としていたのか。
ヨークとアイリーンはくだらない話をして、子どもの頃のように笑った。
やがて祭りの夜は更け、人影も少なくなってくる。
ヨークは街の明かりが少しずつ消えていくのを感じた。
「そろそろ帰らないと」ヨークが言った。
「ヨーク、あなたもあの岩の調査団の一員なんだって?」
「ん、ああ、どこで聞いたんだ?そうだよ」
「私、興味があるの。よかったら仕事場を見せてくれないかしら?
まだしばらくこの街にはいることになる。その間にあの岩についていろいろ知りたいの」
アイリーンはそんな風に言った。
「かまわないが、なぜそんなにあの隕石に興味があるんだ?」
「ありがとう!! そしたら、また、来週。あなたの仕事場に行くわ」
彼女は僕の質問には答えず、手を振った。
一週間後、アイリーンは本当に仕事場に訪ねてきた。
「この場所を誰に聞いたんだ?」
ここは調査団の持つ建物の一室だ。ヨークの研究用に割り当てられた部屋で、今まで調査した結果の覚書や報告書が散在している。
「いろいろな人に聞いたら、教えてくれた。あなた、この街ではけっこう有名人なのね。しがない羊飼いだったのに」
「最後の一言は余計だ。よく入れたな」
門番がいたはずだが。
「後で一曲歌ってあげると言ったら通してくれた」
突如現れた歌姫はこの街ですっかり人気者になっていた。
アイリーンは部屋の中の書類を勝手気ままにめくったりしている。
「おい、あんまり引っ掻き回すなよ。わからなくなるんだから」
「あら、これが調査団流の整理整頓なのね。大きな落ち葉が降り積もっているのかと思ったわ」
彼女の皮肉の切れ味は衰えていないようだ。
「で? なんでそんなに隕石に興味があるんだ?」
彼女がフォーリアとして隕石に神性を見出しているとはとても思えない。
「鐘が出てきた……あの光の正体はこれだったのね」
アイリーンは相変わらず質問には答えずひとりで何やら呟いている。
「ヨーク、私、これの現物を見たいわ」
アイリーンが言い出した。
「それなら町の中心の大聖堂に行けばみられるさ」
鐘は信仰の対象として安置されている。
「じゃあ、今夜、行きましょう。陽が落ちるころに大聖堂の前で待ってるわ」
アイリーンはそれだけ言って、さっさと部屋を出て行ってしまった。
「え? なんで僕も行くんだ?」
ヨークが背に投げかけた言葉は案の定無視された。
その日の陽の落ちるころ。
ヨークは律儀に大聖堂の前にやってきた。
アイリーンは再開したときと同じ赤いドレスを着てやってきた。
「今日も歌ってきたの。さあ、行きましょ」
アイリーンはずんずんと大聖堂に入っていった。
ヨークも後から続く。
大聖堂は天井が高く作られ、エントの作品ほどではないが、絢爛で素敵な建物だった。
この時間にはアイリーンとヨーク以外の人影は見当たらなかった。
鐘は大聖堂の中心に位置している。
つまりはこの街の中心ということになる。
大きな吹き抜けが上まで伸びていて、昼間には陽の光が降り注ぐようになっている。
ヨークは鐘をまじまじと眺める。
研究で幾度となく見ているが、何度見ても得体が知れなかった。
刻まれた不思議な文様を見つめていると、こちらが見つめ返されているような気がする。
そのことから、この鐘はいつしか瞳の鐘と呼ばれるようになっていた。
アイリーンもしばらくの間、静かに鐘を眺めていた。
やがて口を開かないまま、鐘のほうに近づいて行く。
「おい、何するんだ?」
瞳の鐘は一段高い台座に置かれているが、特に囲いがしてあるわけではない。
アイリーンは台座に上がり、片方の手を真っ直ぐに鐘に向けてゆっくりと近づいて行った。
ヨークはその光景から目を離せなくなった。
アイリーンが一歩、鐘に近づくたびに鐘の輝きが静かに増していったのだ。
アイリーンが鐘まであと一歩というところまで来たとき、
後ろから見ていたヨークにはアイリーンの影が長く伸びているのが見えた。
「やめるんだ! アイリーン!! どうなるかわからないぞ!」
ヨークは思い出したように制止する。しかし、彼女が鐘に触れたらどうなるのかを知りたいという好奇心もあった。
アイリーンは鐘に触れた。
手の隙間からほとばしるような閃光が彼女の体に絡みついてくる。
彼女に恐怖はなかった。あたたかな木漏れ日に包みこまれるかのように穏やかな気持ち。
アイリーンは白い世界の幻覚を見た。
少し先のほうに人影を見つける。
アイリーンは足を踏み出していないのにその人影が白い空間を滑るように近づいてくる。いや、私が近づいているのだろうか。
輪郭がはっきりと見えるようになってきた。それは私自身。アイリーンの形をしていた。
人影はアイリーンに話しかけてきた。
声ではない。仕草でもない。ただ、アイリーンは語られた全てを一瞬のうちに理解した。いや、体感したというべきか。
語られたのは悠久の歴史の全容、あるいは世界の最小構成単位。そしてその両方だった。
アイリーンは世界と一体になったかのようにすら感じる。
目を覚ますと、ヨークに抱き抱えられていた。
「アイリーン!! よかった。大丈夫か!?」
アイリーンは静かに彼の手を払いのけて自力で立ち上がった。
天井を見つめる。まるで天井の向こうの宙が見えているかのように。
「どうしたんだ!!?」
ヨークは彼女の肩を掴んで振り向かせた。
「!!?」
ヨークは言葉が出なかった。
アイリーンは目が鐘と同じ金色に輝いている。それどころか体中から仄かに漂う水面のように光を発しているように見える。
長い髪の毛が重力を失ったかのように乱れた。
「離しなさい。私は選ばれた」
アイリーンはそう言う。
本当に、アイリーンの言葉だろうか。と思うほどに知らない声音だった。
「使命が落ちてきた。あなたは外に出なさい」
「な……」
ヨークが言葉を紡ぎだせないうちに、アイリーンは行動した。
ヨークのほうを指さし、指先から順に体が光を増す。
気が付くと二人は大聖堂の外にいた。
「……まだこんなもんかしら」
「えっ……」
ヨークは何が起きているのかわからない。
「明日の正午に人を集めておいて」
アイリーンはそう言って大聖堂の入り口に向かって行った。
ヨークは立ち尽くし、アイリーンが導かれるような足取りで大聖堂を去るのを眺めることしかできなかった。
続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます