第20話 流星光底

 夜の底が光って、あたりが真昼間のように明るくなった。


 轟音。


 人々はたたき起こされて慌てふためく。


「なんだ!? 月が落ちてきたのか!!?」


 それは、当たらずとも遠からず。落ちてきたのは星だった。

 隕石だ。

 巨大な石の塊が及ぼした影響について知るためには暗すぎた。


 よって、町の住民たちが湖の水が雲散霧消していることに気がついたのは翌日の朝だった。


「これじゃあ、水が足りねえぞ……」


 誰かがそう言った。それは干上がってしまった湖を見た全員が思っていたことだった。

 やがて人は水を求め始める。

 井戸を掘ってもこのあたりには別の水源がない。

 隣町まで水を取りに行くのには限界があった。


 やがては水に値が付き始める始末だった。


「これじゃあ。暮らしていけない」


 アイリーンの母親は何とか手に入れた水で、熱がひどく悪化してきたアイリーンの頬を濡らしてやった。


「湖で再び水が湧いているぞ!」


 誰かがそう言った。

 喜び勇んで見に行くと、湖の水位はわずかに戻ってきたものの

 落ちてきた隕石の元から得体のしれない粘着質の黒い液体が漏れ出している。


「これは飲めるわけがねえ」


 肩を落として帰るしかなかった。



 アイリーンは暗い部屋で目を覚ました。


「のどが、乾いたわ」


 彼女はベッドを抜け出した。

 疲れてテーブルに突っ伏して寝てしまった母の横を気づかれずに通り抜ける。

 戸を開ける。

 夜はむしむしと蒸して、暑かった。

 空には数々の星が好き勝手にわめいていて、静かなのにうるさい夜だった。

 アイリーンは近くの水場へ着いたが、そこには水がなかった。


「なによ、これ」


 うだるような高熱の足取りでアイリーンは湖を目指した。

 やっとの思いで湖のほとりまで来ると、湖の水位が異常に低くなっていることに気づく。

 本来であれば湖の一番深いところ、中央のあたりに巨大な岩が居座っている。


「どうなってるの」


 残された暗い水面は宙と一続きであるかのように、沈んだ色をしていた。

 アイリーンは水を求めて取り残された水草でぬるぬるする湖底を転ばないように降りて行った。

 巨大な岩の周りは、膝につかるほどの水が囲っていた。

 アイリーンはかがみこみ、手のひらで水を救おうとして気が付く。

 岩の下あたりから光が沸き上がっている。まるで遅くまで遊んだ後に目にするランプの明かりのような。


「きれい……」


 アイリーンは岩のほうに近づいてその光へ手を伸ばした。水は腰の高さまで来ている。


 届かない。けれど呼ばれているような気持になる。

 アイリーンはそこでのどが渇いていることを思い出した。

 両手で金色に光る水を掬い上げ、口元に近づけて一口に飲みこんだ。



 翌日、アイリーンはまた少し水位が上がった湖面に仰向けに浮かんでいるところを発見された。





 アイリーンは土の中に埋められた。

 ヨークはその上に森の奥に咲いていた白い花を一本添えてやった。

 アイリーンの母親は棺を埋める間中、ずっと泣いていた。

 ビルシヤは彼女の死を受け入れられず、葬式には来なかった。


 僕だって、本当はそうだった。アイリーンがまだ生きているような気がして、彼女の笑い声を今すぐにでも聞きたいと思った。


 人が死ぬことは当然だと思っていた。

 今でも、僕自身が死ぬことは怖くない。

 僕が、僕として生まれたことにはそんなに意味はないからだ。

 アイリーンが死ぬなんてことは考えたこともなかったけれど、

 そんな恐ろしいことを想像する日々を過ごしていなくてよかったとは思った。


 しかし、その夜には想像もできない恐ろしいことが起こった。

 今思えば、あの星のかけらが降ってきた時がすべての始まりだったのだとわかる。


 アイリーンは夜になって家に帰ってきた。

 みんな、アイリーンの母の話を信じなかった。錯乱しているのだと思った。実際、 アイリーンの母は半狂乱状態だった。

 しかし、アイリーンの姿を多くの人間が確認し、

 その手で埋めたはずの少女に大衆の恐れが噴火した。


 アイリーンは魔女裁判にかけられて、

 湖で発見されて2週間後に火炙りにかけられた。

 彼女の白い灰は、水のなくなった町に終わりを告げるかのように、空を舞った。


 僕はこの日のことを思い出したくなかった。


 この一件はうわさで広がり、

 もの好きで知られるこの国の王がある日、兵隊をこの町に送ってきた。

 もうその頃にはほとんどの人がこの場所に見切りをつけて去っていた。

 僕とビルシヤは身寄りのない者同士、どうしたらいいかと迷っていた。

 あるいはアイリーンのいた町を簡単に捨てられなかっただけなのかもしれない。


 湖に落とされたままの岩を取り囲む兵隊の一人に聞いてみると、

 錬金術の研究材料として、場所を移してこの岩を調査するのだという。


 僕とビルシヤはそこに着いて行かせてくれと頼んだ。

 いくら国王の命令とはいえ得体のしれないこの岩のことを誰もが気味悪がっていたから、進んでやろうという僕たちは帯同を許された。

 僕は、この岩がアイリーンを殺したのだと思っていたのだ。

 だから、知りたかった。



  ■■■■■  ■■■■■



 アイリーンが死んでから、10年がたった。

 僕は学術都市ベードリアウイングに腰を据えて、隕石の研究を続けている。

 この街は一部を除いて崖に囲まれた盆地につくられている。隕石が持ち込まれたころは何もなく、調査団用の住居が身を寄せるように建てられていただけだったのが、 今では都市と呼ばれるほどに大きくなり、隕石のまつられた中央から円状に伸びる道には数えきれないほどの家や店、教会や公園はては物見小屋などが建てられた。

 隕石調査団という職を得られたことは運がよかった。

 ビルシヤと結婚して、娘も生まれた。

 意味はなくともひどく幸せな生活は、僕の記憶の片隅から何かを消し去っていくような気がした。


 最近はこの隕石研究も人々から見直され始めていた。

 始めた当初は国王の酔狂としか捉えられず、実際そうだったのだ。

 ある日、かすかに漏れ出る光から岩の中に何かがあると気づき、調査団はそれを発掘することにした。

 慎重な採掘が進められ、その全貌を見たとき誰もが息をのんだ。


 鐘だ。

 金色に光り、およそ人の手では造れないとわかる複雑な造形の美しい鐘だ。


 その存在は空から落ちてきた岩に隠された贈り物ギフトだとして、人々の信仰の対象になった。

 その神体を拝もうと、各地から人が集まるようになる。

 彼らは落ちてきたものを意味する宗教者としてフォーリアと名乗り、この街を栄えさせた。


 ひと月ほど前に、新しい教会を建てるための建築士がこの街に越してきた。

 名はエントという翁で、長年国王に仕えた名のある建築士なのだという。


 ヨークは調査団の中では古株で、地道に重ねた貢献もあり彼とともにこの都市最大の教会建築の任を任されることになった。


「じゃあ、行ってくるよ」


 その仕事の初日、玄関先でいつものようにビルシヤが見送ってくれる。


「いってらっしゃい」

「いってらっしゃーい!!」


 リリーも言葉をだいぶ覚えてきて、僕に向かって一生懸命に手を振る。

 ヨークは手を振り返した後、エント翁のいる作業所へ向かった。


 木造の粗末な作りの作業所ではエントがすでに机に向かって設計図を描いていた。

 作業所に入ってきたヨークを一瞥し


「ああ、君か」


とだけ言った。

 何度かあっているが、偏屈なじいさんなのだ。

 ヨークはたくさんの仕事を経験してきて、そんなじいさんの扱いはわかっていた。


「エントさん、もう書き始められてたんですね。僕は、向こうで別の作業をしてますから」


とだけ言って、別室に向かった。

 エントの協力がなければ、ヨークのほうはさして作業らしい作業はないのだが、いっしょにいてとやかく言われるのが彼は嫌いなのだろうと思ったからだった。


 ヨークは窓のない狭い部屋でうたた寝をしてしまった。

 部屋を出ると、夕暮れになっていた。しまった。

 エントのほうを見ると、まだ来た時と同じ姿勢で設計図を描いていた。


「こっちの作業は終わりました。進捗はいかがでしょうか?」

「……」


 エントは答えなかったので、彼の肩越しに後ろから設計図を覗いてみた。


「これは……? エントさん、塔の設計図ですか?

依頼内容と違う。頼んだのは教会の設計図ですよ。」


「ふん、そんなもんもう終わったわ」


 エントは設計図を描くのをやめずに左手でわきの小机を指した。


「……拝見します」


 ヨークは小机の上にある丸められた羊皮紙を開いた。

 そしてその中身をしみじみと眺める。


「これは、すごい。完璧ですね」


 ヨークはこの街が成り立っていく様を見てきた。

 その中で建築にもいくつかはかかわってきたがエントの作品はそれらとは比肩するべくもない、今まで見たことのない芸術だった。


「これを、今日のうちに描き上げてしまったんですか」

「……」


 エントは答えない。

 もう終わったものには興味がなく、目の前に集中しているのだろう。

 ヨークは感心した。


「今日は、これで失礼します」


 ヨークは完成された羊皮紙を手にもって退散した。





 次の日も、ヨークはエントの作業所を訪れた。

 エントは羽虫を見るかのようにこちらをチラと見た。


「仕事は終えたはずだが」


「お気になさらず。私は静かにしていますから」


 エントは文句がありげだったが、何も言わずに設計図のほうへ関心を戻した。


 ヨークは昨日見た塔の設計図が忘れられなかった。

 教会の設計図ではないことに気を取られて、細部まで見れなかったが、あれは素晴らしいものになることをすでに確信していた。

 もしも、現実になったらエント翁の名を後世まで残すだろう。


 しかし、そんな仕事は入っていないはず。

 エントは高名な建築家ではあるものの、この地方の教会造りに送られるくらいだ。

 すでに国のお抱えからは外されて残る余生を過ごしているに過ぎない。


 そんな彼の最高傑作マスターピースをこの世に顕現させる手伝いがしたいと思ったのだ。

 もちろん、そんな莫大な金も、地位も、ヨークは持っていなかった。

 だからまずは、彼の作品について知ろうと思ったのだ。


 ヨークはエントが書き終えて作業所に蜘蛛の巣のように張り巡らされた紐につるされた無数の設計図を見ることに時間を費やした。

 幸い、教会造りには3か月という期間が与えられている。設計図はもうできていることだし、余裕があった。


 見れば見るほどすごい空想だった。

 空想、と言ってしまうほどに、ヨークから見れば人の手では実現不可能に見える。

 しかし、エントの頭の中では確かにそれが天に突き立てるように建っている。

 彼はそれをただ見て、紙に書き写しているだけなのだ。

 正確に、見たままで、あるべきようにあるべきものを描いていた。


 ヨークはエントの作業所に通い詰めた。





 ある日、ヨークは街の市場に来ていた。

 教会のほうは期日をひと月残して完成し、ヨークは報奨と休暇を得て穏やかな日を過ごしている。

 エントへの作業所には相変わらず通っているが、彼はここのところ体調がすぐれないようだ。そのせいかわからないが、塔の設計も行き詰っている。

 頭を抱えて悩む彼はかんしゃくを起こすので、ここのところは少し距離を置くようにしている。


 市場では山盛りに積まれたくだもの野菜と同じくらいの数の人が行き交い、皆が口々に好きなことを話していた。

 ヨークはチラシをまいている華やかな帽子をかぶった男に声をかけられた。


「さ! はじまるよ!! 飛ぶ楽団ハビタルトのショーが始まるよ!!

見てきなさいよ。今日はタダ! この街に来て初めてだからね」


 そういえば、ビルシヤがサーカスの一団が街に来ていると言っていたな。

 リリーを連れてきてやればよかった。


 ヨークは周りの群衆に押されるようにして、サーカス団が用意したステージのほうへと進んでいった。

 すごい人の数だ。

 この街では普段から真面目に働いている人が多い分、たまにある娯楽には敏感なのだ。


 ステージは地面に円形に木を張っただけの簡素なものだった。

 その周りを人だかりで壁ができている。

 ステージには種々の楽器を持った演奏家と、ひとりの女性が立っている。


「皆さんお集り!! これを聞いたら飛び上がるよ! 飛ぶ楽団ハビタルト!!

聞いたら耳から離れない。それが飛ぶ楽団ハビタルト!!!」


 先ほどの派手な帽子の男が梯子の上に登り、群衆を煽っている。

 群衆が湧きたつなか、ステージの女性が背筋を正した。

 そして歌い始めた。




鯨色した鉛の町 その日暮らしの子どもたち

空を見上げりゃ凧あがり 風の行方を知るだろう

おどけておどかす 瓜二つ 恥で上塗る杜若かきつばた


鋼打ちつく羽の檻 ふたりさみしい裏通り

星が見下げる人だかり 海の彼方で鳴くだろう

もういないよと 訳もなく ふたりさみしい裏通り


 その女性の歌声は聴く人を静かにさせた。

 ヨークも同じように静かに聴いた。そしてとてつもなく懐かしい気持ちになる。

 この歌は10年前にに去った、あの町を思い起こさせるのだ。


 楽団はその後も大いに街を盛り上げた。

 人々はいつの間にか酒を飲みだし、祭りのような夜になった。

 楽団は陽気な音楽を奏でだして、人々は踊る。


 ヨークも久々に酒を飲んだ。

 あの町や、アイリーンのことを思い出して、とても素面ではいられなかったのだ。

 星が落ちてきそうなきれいな空のもと、人々は踊った。


 ヨークが一人でジョッキを空にしていると、

 突然声をかけられた。


「踊りましょうよ」


 赤いドレスに身にまとった彼女は、先ほどステージの上で歌っていた女性だった。


「え、いや、私には妻子がいるので……」


「あら、妻子がいても踊っていいのよ?」


 ヨークは女性に手を取られ、ジョッキを地面に落とした。

 彼女はきれいなステップを踏み、ヨークを広いスペースまで自然とエスコートする。

 楽団の音楽はヨークも聞いたことのあるカントリーミュージックに変わっていた。


 ヨークは戸惑いながらも足さばきを思い出して彼女に着いていく。


「上手じゃない」


 そう言いながら、彼女は余裕の表情だ。

 僕も元来負けず嫌いの性格だ。負けていられない。


 ヨークは彼女と踊った。彼女があんまり楽しそうに踊るものだから、周りは囃し立てた。

 曲が終わり、お互いと慣習にお辞儀をする。

 思い出した。いつかアイリーンとも祭りの夜にこんな風に踊ったっけ。


 二人は乾いたのどを潤すために屋台で水をもらった。


「久しぶりね。ヨーク」


 赤いドレスの女性はいたずらな表情でこちらを見つめた。


「いや、会ったことは……」


 それだけ言って、ヨークは言葉を失っていた。

 この眼差し。いや、そんなはずはない。


 ヨークにはにわかに信じられなかった。

 しかし面影は、声は。

 そして、たったいま一緒に踊った光景が過去の風景と重なった。


「アイリーン、お前なのか」


「そうよ」


 アイリーンは昔と変わらないはにかんだ笑顔を見せた。


「今はアギエルと名乗っているわ。」


 そう言って、呆けている僕をしり目にジョッキの水を飲みほした。



続く








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る