創世記編

第19話 凧揚げと羊飼い

星は知らない

この星に生まれる不自由を



  ◀◀◀◀◀  ◀◀◀◀◀



 アイリーンとヨークとビルシヤは幼馴染みだった。

 アイリーンは病気がちな女の子だ。

 彼女は咳が止まらなくなって、家から出られなくなるとキッチンの横の木枠の窓から丘の上の木を眺めた。

 その木に凧が上がっていれば、おやつの時間にこっそり彼らが現れる。

 おやつのクッキーはアイリーンの母親が焼いて山盛り器に盛っていた。

 家にいる間することはないけれど、これを食べるのだけは嫌になる。

 なんせ、私が外に出れない時は決まってこれなんだもの。

 だから、ヨークとビルシヤがぼりぼりと犬のダスリーとおんなじ顔でクッキーを平らげるのを眺めている。


 犬のダスリーは私が外に出ないか見張りの役も兼ねながら、家の前で飽きずに尻尾を振る。

 そうしていれば楽しくなると思っているのね、お馬鹿さん。

 どうしてこんな生き物が産まれちゃったのかしら。

 涎を垂らして、私のことを期待を込めて見る。

 何もしてあげられないわよ。そんなに見たって。

 アイリーンは窓際に3本足の丸椅子を置いてその上に座り、足をぶらぶらとさせながら背後の2人の間食を待った。



「さて、腹ごしらえも済んだし」


 ヨークがバンと膝を叩いた。

 床にクッキーの食べかすが散らかっているから、後でダスリーに食べてもらおう。


「今日も冒険に出かけよう!!」ヨークは高らかに声を上げた。


 なによ、偉そうに。


「お、お〜……」ビルシヤは弱々しく手を上げる。


 ビルシヤ、かわいそうに。あんたはこんな男の子が好きなのね。



「今日はあの山を越えてドラゴンの巣があると言う湖を目指す!!」


 ヨークはそう宣言した。


「アイリーン、お前冒険家な!おれ剣士ー!!ビルシヤは……ドラゴンに食われる羊飼いの娘な」


「嫌よ」


 アイリーンは窓枠に頬杖をついて言った。

 この年にもなってごっこ遊びなんて。


「わ、わたし、羊飼いかー」


 ビルシヤ、喜ばないの。あんた食われるのよ。



 ヨークはガシャガシャと台所からコップやら鍋やらを持ってきた。


「これが城な」


 木箱を裏返しに置いた。


「山、塔、羊、ドラゴン……あっ湖もか」


 そう言いながら、鍋を置いたり、コップを立てたりしていく。ドラゴンはスパイスの小瓶のようだ。


「ねえ、片付けてよ。壊したらあんたのせいだって言うからね」


 アイリーンはいらいらして言った。

 アイリーンの母は近くの町の工場まで働きに出ている。

 毎日、織物をして、乗合馬車に乗り、シチューをつくり、アイリーンにこう言う。


「どうしてこんな生活なのかしら」


 アイリーンはそんな時、「お母さん、クッキーおいしかったよ」と言うことにしている。


「おい、冒険家、きさま古の金貨を持っているな? 私に見せたまえ!」


 ヨークはフルーツが入っていたバスケットを被っていた。


「……」


 アイリーンはそれを仏頂面で眺めながら、先ほどから窓枠に落ちていたムカデの死体を投げてよこしてやった。


「うびゃあ!!」


 ヨークがのけぞる。


「何をする! きさま、やはり魔法使いだったんのだな!」

「何よその顔」


 不覚にもアイリーンは失笑した。


「えーい! 成敗! 成敗!」


 ヨークは顔を赤くしてこちらに向かってくる。


「こら! やめなさい!! はははははは」


 アイリーンは脇の下をくすぐられて笑い出した。

 そのとき、アイリーンの足が机の角にぶつかった。


「あいた!」


 机の上に置いてあった物がぐらりと揺れ、コップが床に向かって転げ落ちた。


「あっ!!!」


 3人が息を呑む間にコップは割れた。

 欠片が散り散りにばらまらかれる。



 静まり返るキッチン。外ではダスリーが通行人に向かって吠えていた。


「ごめん……アイリーン」


 ヨークが謝る。


「いいのよ。私が悪いの」アイリーンは言った。

「さ、ヨークはそろそろ時間じゃないの? 本業の羊飼いに戻りなさいよ。片付けは私がやっておくわ」

「でも、おれもやるよ」ヨーク。

「わ、わたしも」ビルシヤ。

「いいから行きなさいってば!」


 アイリーンは声を荒げた。こんなふうにお母さんみたく怒りたく、ないのに。


「わかった……本当に、ごめん」


 ヨークはそう言ってビルシヤと出て行った。



 ヨークとビルシヤはとぼとぼと土くれの道を歩いた。


「また、怒らせちゃった。おれ、あいつを楽しませたかったんだ」


 ヨークは帽子の下から前を覗き見ながら言った。


「う、うん。私も」ビルシヤが言う。

「だけどどうやったらいいのか。あいつのお父さんが死んでから、あいつ、辛そうだ。なんとか、したいのに」


 ヨークは悔しかった。アイリーンを自分とおんなじような気持ちになんて、したくなかった。

 ビルシヤは彼の表情を横から見ていた。


「ヨークは、本当に、アイリーンのことが好きなんだね……」そう呟いた。

「な、何言ってんだよ!! おれたち、腐れ縁じゃないか」ヨークは慌てている。


 そして午後の鐘がなった。


「あっこんな時間。羊たちを戻しに行かなきゃ、おやっさんにどやされる。おれ、行くな!」


 ヨークは顔を赤くしているのを隠すように、急いで丘へと向かう道を走って行った。

 ビルシヤはその後ろ姿を見送った。



 ヨークは羊たちを囲いの中へ戻し終え、日が陰っていくなか、弓の練習を始めた。

 ヨークは幼いころから親がおらず、小姓として商人や貴族のもとで働いて生きていた。

 しかし、最近はこの村で羊飼いとして暮らしている。貧乏ではあるが、拾ってくれたおやっさんには感謝している。

 おやっさんと二人で暮らしている農作業小屋兼、家のすぐそばには小さな森がある。

 その日の羊の世話と薪割りを終えたら、森の入り口のところに的を置き、弓を射る練習をする。これがヨークの日課だった。



 日々の練習のかいあって、近頃は腕前が上がってきた。

 木を削り、鶏の羽を刺して作ったお手製の矢が何本も的に刺さるようになってきた。


「うまくなったじゃねえの。そのうちウサギくらい仕留めてきてくれねえかね」


 おやっさんが後ろから話しかけてきた。畑から帰ってきたようだ。土で汚れたひげ面の顔が振り返らなくても目に浮かぶ。


「動くものには当たらないんだ」


 ヨークは答えた。弓を引き絞り、的に集中する。


「おめえ、また町に行ってたろう。どんだけアイリーンのことが好きなんだか」

「なっ」


 矢は的をはずれて後ろの木の幹に当たった。


「なんだよ、みんなして。そんなんじゃねえって!!」


 振り返るとおやっさんはにやにやと笑っていた。


「みんなして知ってるわい」

「っっ!!」


 だからそんなんじゃないってば。


「あ、それよりさ。お給料を前借りできないかな」


 ヨークは話題を変えた。

 羊飼いなんて儲かることはないが、ヨークも出荷の時期にはわずかだけ賃金をもらうことができた。


「あ? 何言ってんだおめえ。いっちょ前のつもりか?」

「欲しいものがあるんだ。ほら、代わりにこれをあげるから。頼むよ」


 ヨークは町の酒場の暖炉掃除をして仕入れた酒の小瓶と引き換えに、一握りの銅貨を手に入れた。



 そうして一週間ほどが過ぎた後、朝早くからヨークとビルシヤは連れ立ってアイリーンの家の戸を叩いた。


「なにかしら?」


 出てきたのはアイリーンの母親だ。遅ればせながらダスリーが訪問者に気が付いて吠える。


「あ、あの、おはようございます。アイリーンはいますか?」ヨークが挨拶をする。

「アイリーン……? あの子は熱を出して昨晩から寝ているわ。あの子に何か用?」アイリーンの母親が答えた。

「あの、これを……彼女にこれを渡してもらえますか?」


 ヨークが木箱を取り出した。


「……いいわよ。あなた、お名前は?」

「ヨークです。こっちはビルシヤ」

「そう。あの子に友達がいたのね」


 アイリーンの母親はそれだけ言って戸を閉めた。



 アイリーンは自室で寝ていた。暗い部屋。熱い。自分の体が恨めしかった。

「アイリーン、これお友達からよ」


お母さんが自室に入ってきた。


「……だれ?」

「ヨークとビルシヤ」


お母さんはそれだけ言って、手のひらで包めるサイズの木箱を棚の上に置いて行った。


「なによ、あいつら」


 アイリーンはそう呟いてベットの上で鉛のように重い体を起こした。

 のどが渇いて水差しから一口水を飲みこむ。

 手をついて立ち上がり、棚の上の木箱を手に取った。

 開けてみると、中にはコップが紙に包まれてはいっていた。

 アイリーンはそれを取り出してしげしげと眺める。


「しがない羊飼いがよく買えたわね」


 そう言って、そっとコップを包みなおして木箱に戻すと、アイリーンはまたベットに入った。


 アイリーンたちが住むのは小さな田舎の町で、これといった産業もない。

 町のはずれには小高い丘があり、そのさらに先には高い山がそびえている。

 すぐ近くにはには町の水源となる湖が広がっており、住人の生活用水はほとんどここから使われていた。


 その日、人々は空にひときわ輝く星を見つけた。それは見る見るうちに大きくなっていく。

 その『星』はアイリーンが住む町の湖に落ちてきた。



続く

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