第16話 炎上

 蔵書フロアには日があるうちにたどり着いた。と思う。

 というのは、このフロアには窓がないのだ。

 ハイエンタールはまだ塔の原型が大部分残っている。そのうえ、蔵書フロアは現在ヒトがアクセスできる情報を網羅すべく、高度な技術と注意を払っているから設備は最新鋭に近かった。


「うわあすごい、わたし、初めて来た……ぴょん」


 ウサコが歓声を上げるのも無理はない。

 蔵書フロアはその名の通り、本を所蔵するためのフロアだ。

 ここにある蔵書の書き写しを必要な人に貸し出しすることで生計を立てている組織、図書隊が運営をしている。

 フロア全体が本に埋め尽くされている。他のフロアなら大窓が周りを囲んでいて日光を取り込んでいるが、このフロアでは壁一面が本棚だ。日光が本をやいてしまうことも防いでいるのだろう。


「つまんねえところ」


 これはリキラジ。まあ、感性は人それぞれだ。



「お待ちしておりました。このフロアの司書長を務めておりますセレナーデと申します」


 セレナーデは軽く会釈をした。

 彼女は胸をなでおろすようにして「間に合って、よかった。」と小さくこぼした。

 司書長というのは相当に地位が高いはずだが、彼女はだいぶ若く見える。人参色のウェーブがかかった髪が、司書を象徴する緑の礼服によく映えていた。


「どうも、ガー婆から紹介されてきたハルです」

「セレナーデ、いい名だ」

「まじで、黙って」


 ウサコがリキラジを諌める。

 セレナーデは眉を少ししかめたが。慇懃に話を続ける。


「神の子らの恩恵を分け与えていただけること、図書隊を代表して感謝いたします。

我々とて、遊撃の兵を有してはいるものの、今回はいささか手におえず……

ヒトの財産たる図書を護るためお力添えを願います」


 神の子をあがめるいかめしい表現は嫌いだ。皆、葉から滴る朝露を飲もうとするカエルのように僕らを品定めする。

 セレナーデは静かな話し方とは裏腹にその目には使命を全うすべしという火だけが燃えているように見えた。


「何が起こっているのか教えてもらえますか?こちらは何も聞かずに来ているもので」

「承知いたしました。しかし、お疲れのところ、何もお構いもせず立ち話では図書隊の恥になります。

こちらの館へ、どうぞご帯同いだだけますか」



「いや、別に……」


ハルが言いかけるとリキラジが持ち前のデカい声で遮った。


「ありがとうございます!いやあ、酒なんかもいただけたりしますかね。なんせのどが渇いちまって」

「もちろん、準備がございます。ではどうぞ。ラン、お荷物をお預かりして」

「は、はい!」


 赤毛を二つに結んだ娘がセレナーデの陰から飛び出てきた。

 このこは司書ではないのだろう。メイド服を着ている。


「お預かりしまう……!!」


 慌てた様子だ。


「これは、いい」


 ウサコはやっぱりうさぎの人形を手放さなかった。


「ごごごごごごめんなさい……!」

「こら、ラン。落ち着きなさい」


 離れてみていた茶髪の女性が窘める。こちらは司書服を着ている。


「レイ姉、ご、ごめんなさい。神の子さまをまじかに見るのは初めてで……」

「こら、余計なことも言わない。失礼いたしました。今お運びします」


 レイ姉と呼ばれた女性が手伝い、おれらの荷物を運んでくれた。

 ランという女の子は、レイのすぐ後ろをまるで首輪を引っ張られている子犬のようについていく。


「前言撤回。このフロア、最高だな……司書っていうのは女しかなれないんだろ?天国か?ここは」


 リキラジがハルに顔を近づけて言ってきた。


「死ね」


 ウサコにも聞こえていたみたいだ。



 館に着き、一通りもてなされた。


「さて、そろそろ話を聞いておこうかな」


 ハルが切り出す。


「しかし、お連れの方々はよろしいのでしょうか?」


 セレナーデは心配そうに向こうを見やる。



「がはははは。もう一杯!!」


 リキラジが出来上がっていた。


「あはははははははははは」


 ウサコも一緒になって盛り上がっている。



「ああ、いいんですよ奴らは。必要なことはおれから話しておきます」

「そうですか……でしたら」


 セレナーデは説明を始める。


「最近は堕駄ダダの活動が活発になってきています。

以前ならこのフロアに侵入される前に対処できていたのですが、

先日は遂に侵入を許してしまいました」


 彼女は悔しそうに唇を噛んだ。


「情けないことです。星の資産である蔵書が数百点以上焼け落ちました……」


 まじめな人なんだなあとハルは思った。


「焼け落ちた、ということはその堕駄ダダは火を扱うのですか?」

「はい、我々は『燃殻蛞蝓もえがらなめくじ』と呼んでいます。群れを成してやってくるのです」

「なめくじか……ふむ」


 最近の堕駄ダダは知能が進化しているのか、何か道具を使ったり自然物を利用するものも増えてきたという。

 やはりハイエンタールは魔窟だな。ただのでかいカエルどころじゃないようだ。

 火を扱うなめくじとは。

 しかし、なるほど、それでウサコだな。


「安心なさってください。我々が派遣された理由が少しわかりました」

「そうですか? しかしもっと情報があればいいのですが……

奴らはほかのダダと同じように夜更けに活性化します。襲撃は毎日ではなくどうやら波があるようです。私の予測では、

月の満ち欠けに関係があるかと」

「なんと、そこまで分析されているんですか」

「出現数を記録に取った予測にすぎませんが……」

「いえ十分ですよ。となると、明日は新月だが、もしかして」

「はい、明日の夜、襲撃される危険性が高いのです。奴らは暗い夜に大量に現れるのです。曇りや新月の夜に。今夜は宵晴れの日ですからいくらか安心です」

「なるほど、間に合ってよかった。こちらの戦力を確認してもいいですか?

この広さだし、フロアをよく知る者の助けがいる」

「わかりました。この図面で説明します」


 セレナーデが羊皮紙を机の上に広げたところで


「ハルは頼りになるぴょんなあ! さすが!!」


 ウサコが引っ付いてきた。


「もーほんと頼りになる。しっかりしてるねえ!」

「おい、やめろ仕事の話だ」

「ぴょん……はーい」


 ウサコは持ってきた酒のジョッキをもっておとなしく隣に座った。いや、戻ってくれよ。



「......いいですか?」


 セレナーデの刺すような目線が痛い。神の子などこんなもんかとでも言うような……いや、考えすぎだろうか。


「図書館が有する兵力は総勢100余名からなる図書剣士です。

彼女らは普段は数隊に分かれて夜警を行ってくれています。もちろん、敵の襲撃があればいつでも出撃できる準備もあります。

この全隊を明日は動かせるようにしておきます。配置は……」


 セレナーデは図を巧みに使いよどみなく説明してくれた。


「でも、敵はどこから来るの? このフロアは窓がないし」

ウサコが聞いた。

「奴らは音もなく入り込みます。通気口やそれに満たない小さな隙間から入り込んでいるのだと思います。正確には特定できていません」

「そもそも、どうやって襲撃に気づいたの?」

これもウサコだ。どんどん聞くなあ。

「……」


 セレナーデが初めて言いよどんだ。


「夜警を担当していた図書剣士が襲われました。すでに一人、犠牲になっています」


 ヒト死にが出ていたとは。


「襲われたんだ、ダダの目的は食事なのかなあ?」


 ウサコ、もうちょい気遣いはないのか?


「さあ、そこまでは……バケモノのことなどわかりません」


 セレナーデは説明に使った羊皮紙をくるくると綴じた。



「とにかく、明日は奴らを一掃する好機とも捉えることができます。どうか、奴らをせん滅していただきたい。

神の子らのお力に期待しています。彼らに匹敵する力を」


 話は終わりのようだ。

 ハルたちは礼を言い、居室に通してもらった。

 途中で忘れずにリキラジを拾って。



「何か隠してるんじゃない?」


 ウサコがランプで照らされた部屋の中で言い出した。


「セレナーデか? 根拠は?」

「勘ぴょん」

「勘ねえ……」


 それでいいならハルもセレナーデのことを勘ぐっていた。

 神の子を信用しきっていないだけかもしれないが、すべて包み隠さずに話してくれたわけでもなさそうだ。


「しかし、この依頼とは関係ないだろう。ダダの討伐、いつもどうりでわかりやすくていい」


 必要以上に深入りする必要はない。


「そういや、ランから面白い話を聞いたぜ!」


 リキラジ、寝ていなかったのか?


「午前2時ごろになると本の星が光るんだと」

「聞いてないし、喋るなぴょん」

「本の星? なんだそれ」

「知らねえよ。光るんだって」


 リキラジはそれだけいっていびきをかいて寝始めた。



「本の星ねえ」


 この部屋にも窓はない。屋敷の裏手側に当たる、一番奥の部屋に通されたのだ。


「いっしょに見てみる?」


 ウサコはなぜか楽しそうにしている。


「そうだな。見るだけ見てみるか」


 深入りはしない。だから、見るだけだ。


「わーい。ハルの目なら、何かわかるかもね?」



 ハルの栄晃えいこうは視力に関わる力だった。

 一瞬の出来事も彼の前では老人が腰を下ろすほどの緩慢な動作に見える。水滴の弾けるさま、落とした瓶へのひびの入り方、蝶の羽ばたきの作法、これらを知るのはこの時代にはハルだけだ。

 加えて、遠くのものを手に取るように観察したり、目の端に写る記号を読み取ることも可能だ。



「さて、まずは外へ向かうか。これでも客人扱いだからばれても別に問題はないだろうが、一応、ばれないようにこっそり行こう」

「よし、いこう~」


 ウサコはこそこそ声で応じた。すっかり熟睡に入ったリキラジを置いておれたちは居室から這い出した。



 館の玄関をそっと開ける。外はしんと静まってはいたがウサコの顔が見えるくらいには明るい。

 フロアの空を見上げてみると、なるほどこれが本の星か?


「わあーきれいだね? ちかちか光ってるね!」


 ウサコは声を潜めて言う。


「30……40……42か? 星にしてはずいぶん数が少ないが」


 ハルはさらに目を凝らして星のひとつを観察してみた。


「あれは……図書剣士だな。何やらランプをもって本を点検しているように見える」

「なーんだ。ランプの光だったのかー」

「だが、ただのランプじゃない」


 図書剣士たちはランプから出る光線のような光を本棚に向けてかざし、なぞるように動かしていた。

 ハルはさらに目を凝らした。あのランプに入っているのは、ただの炎ではない?


「あれは……何らかの栄晃えいこうだろう」

栄晃えいこう!? じゃあ、神の子か遺物ピースが関わっているの?」

「ガー婆が3人も寄こしたんだからそんなことだろうとは思っていたけどな。おっとこんなところに」


ハルは暗闇のほうを見て言った。


「セレナーデ、あなたも散歩ですか?」

「お休みにはなれませんでしたか?」


 セレナーデが暗闇から出てきた。


「ちょっと、セレナーデさん。あの光はなんなの?あなた、神の子だったりするのぴょん?」


 ウサコはいつでも不躾だなあ。


「あの光は図書隊の夜警のランプですよ。それに、神の子はあなた方のことでしょう」


 セレナーデはにっこりとほほ笑んだ


「さ、ウサコそろそろ帰るか。本の星も見れたことだし」

「え? もういいの?」

「見るだけって言っただろう。図書隊の仕事を邪魔する気もない」

「そうですか……おやすみなさい。」


セレナーデは二人を見送った。



「よかったのハル? 彼女、結局何か隠してるってことでしょ?」

「いいよ。おれもお前も、遺物ピースにそこまで執着しているわけじゃないだろう……セレナーデは肩透かしを食らったようだが」

「まーね? ぴょん」

「それに、何度も言うようだが今回の依頼はダダの討伐だ。それ以上は首を突っ込まないさ。

彼女だって、神の子や遺物ピースはダダを引き付けることぐらいは承知だろう。そのうえで何も話さないならこちらが世話を焼いてやることもない。報酬が取り決め通りもらえればガー婆も文句はないだろう」

「……ま、そっか。どうでもいいかー。じゃ、明日がんばろうねーぴょん」


 そういってウサコは寝床に入っていった。




  ■■■■■  ■■■■■



 翌日の日中は襲撃への備えを固めた。

 とはいっても、ほとんどすべて図書隊の仕事だ。

 昨夜のこともあってか、セレナーデはこちらに協力の申し出は特にしてこなかった。


 そもそもおれら神の子はその白兵戦の能力を買われているだけなので、襲撃が来るまでは暇だ。

 ウサコとリキラジにはセレナーデからもらった情報を共有しておいた。


「火を使う敵なら私に任せろぴょん。

ところで、これは使えないの?」


 ウサコは館の前にある大きな噴水を指さした。


「これはフロアの湿度調節用らしい。壁までも遠いし使い道はないんじゃないか?」

「ふーん、でもこの形状を見るに、なんか嫌な予感がするぴょん……」

「まあ確かに……」


 噴水は丸底フラスコのようなガラス細工で作られていて、館の前の庭園に調和していた。

 鳥や花をかたどった微細な彫刻は、水の流れと相まって見ているものの心を和ませる。



 そのあと、ウサコは本棚を見てくると言って出かけた。

 リキラジも同じようなことを言って出かけた。普段本を読みもしないくせにと思ったら、案の定、司書に軟派を仕掛けているだけのようだった。

 おれはガー婆の言っていた小説を探してみた。


「ああ、『鯨の髭楽器』。それならば、すでに複写をいくつかとってあります。お貸しできますよ」


 司書に相談するとすぐに貸し出しに応じてくれた。


「筆者はこの塔が建設された当時の人物だったとか。この本にはとても有名な一節があります。

『人々は、緑に飽きて、褐色を経て、灰に住み、紫に追われて、青に逃げた』

彼が何を体験したのか。今は想像しかできません。ですがこの本はそのヒントを与えてくれるような気がします」


 おれはその本を読んで時間を過ごした。




 そして、夜が来た。




  ■■■■■  ■■■■■



「ハルーひまー」

「おれもひまー」

「静かに待ってろ。子供じゃないんだから」


 おれたちは館の前でダダの襲撃まで待機していた。


「だってよ。酒も飲んじゃだめだっていうし」

「そりゃな。仕事なんだから」

「ここに座って待つだけじゃ退屈ぴょん」

「仕方ねえだろ。図書隊の哨戒の報告は全部セレナーデに集まるんだから」


 子守をしている気分になるなあ。



「そういやあよ。本の星ってのが見えるらしいぜ。ランに聞いたんだ」

「聞いたし、もう見ちゃったぴょん」

「なに、じゃあこれは? このフロアには遺物ピースがあるかもしれねえぞ。本の保存がきれいすぎるんだと」

「それも知ってるし」

「なんだ。それと、凄腕の図書剣士がいるんだと。おれの睨みじゃ、昨日会ったレイちゃんだな。身のこなしが違うぜ」

「それは知らなかったけど。神の子だったりして」

「まさか。だったらなんで隠すんだよ?」

「知らないぴょん」

「おい、来たぜたぶんあれだ」


 ハルが静かに二人に告げた。



「皆さん!!! 敵襲です。場所は……」


 通信を受けたセレナーデが叫ぶ。


「大丈夫、見えてるよ。しかし多いな」


 フロアのいたるところで一斉に赤いしみができている。


「あれが燃殻蛞蝓もえがらなめくじ? すごい数ぴょん」

「すげー!! これが本の星か?」

「急いでください!!! また、本が燃えてしまう……」



「じゃあ行くか、ウサ、ラジ」

「ちょっと待ってください! ハルさん」


 セレナーデががっしりと腕をつかんできた。


「あの区画を優先してください」


 壁の一角を指さして言う。


「なんでだ? ほかの区画より敵の数が多いってこともなさそうだけど」

「とにかく! 急いで!!他 の区画は図書剣士に持たせます」

「わかったよ!!リキ、いつもの頼む」


 ハルとウサコはリキラジの手のひらにかかとを乗せた。もちろん、カラスのジルもいっしょだ。ハルとウサコは手をつなぐ。


「あいよ。あっちだな」

リキラジはでかい手のひらで二人を悠々と持ち上げた。

「おらよ!!!」


 そして、二人を思いっきり上手でぶん投げた。



 リキラジの栄晃えいこうは怪力だ。

 シンプルな分、汎用性が高く。純粋に強い。



 ハルとウサコは瞬きする間に壁際まで飛んだ。

 あのゴリラ、力加減を知らないな。


「ウサコ、よろしく」

「ぴょん!!」


 ウサコは戦闘用の鉄ブーツを履いている。

 その靴の裏を壁のほうに向け。


「えいやっ!」


と掛け声とともに足裏から火を噴いた。



 ウサコは汗腺などから可燃性あるいは難燃性の分泌液を出して、炎を自在に操ることができる。

 自分の体を燃えないように保護できるため、炎を相手取るのには都合のいい栄晃えいこうだ。



 ウサコが噴いた火により二人の体は逆推進力を得て、壁にぶつかる前に空中で静止した。


「な? あなたは神の子!?」


 この区画を担当している図書剣士だ。彼女らは高所用の狭い通路の上で奮闘していた。


「あんたらは降りてろ! ここはおれたちがやる!」

「わ、わかりました!」


 図書剣士たちは撤退の準備を始めた。


「さて、水はどこだ……?」


 あった。図書隊が設置して回ったという水が詰まった樽だ。


「ウサコ、水はあそこだ。リキラジが来たら使おう。それまで、少し数を減らす」

「わかった。私は右でいい?手、放すよ」

「ああ」



 ウサコは手を離した。その姿勢から彼女は再度足を燃焼させた。

 頭はなめくじのほうへ向ける。


「ドン!」


 ウサコは壁に張り付くなめくじの正面まで来た。


「うええ、近くで見るときもいぴょん……」


 彼女は右腕がない。そのうえ左腕ではうさぎの人形を抱えているから、鋼鉄のブーツの蹴り技だけで敵を倒す。


「えいや! うさぎサマーソルトキック!!」


 爆発音とともに彼女は空中で宙がえりをした。勢いの乗ったかかと落としでなめくじを壁から叩き落とす。


「よーし! この調子!!」



 ハルはというと、ウサコと手を放してすぐに壁に足をかけた。

 そのまま壁を走る。なんせ、ウサコと違って空を飛ぶような芸当はできないのだ。

 自前の目を使って、壁の足掛かりを見つけて走るしかない。

 武器は愛用のククリだ。

 壁を走りながら、なめくじをそぎ落としていく。


「しかしこれじゃ、火は回るばかりだな」


 図書隊が高所にあらかじめ用意していたスプリンクラーだけじゃなめくじの数に対応できていないようだ。



 燃殻蛞蝓もえがらなめくじは全身に火をまとっていた。うようよと動く本体は特に何をするわけでもないが、這った跡に残ったり飛び散る炎が厄介だ。



「ジル! リキラジに伝言を頼む。」

「カァーーーーー」


 ジルは簡単な文字列を伝えることができる。

 ハルは大きな口を開けて発音した。


「カカカァカァカカカカァカァカカァカカカカカカァ」


 ジルは復唱する。


「カカカァカァカカカカァカァカカァカカカカカカァ」


「よし! 行ってくれ!!」


 ジルは地上へ向かった。



 リキラジが壁際にたどり着いた。


「さて、どうしたもんか。ん?ジルか」


 ジルがリキラジのもとに降りてくる。


「カカカァカァカカカカァカァカカァカカカカカカァ」

「あ? なんだっけこれ、カラス暗号か……えーと……」


 リキラジは何やら指をまげて数えるしぐさをしている。


「あーすまん、ジル。もう一回頼むわ」

そう言って指を一本立てる。


「カカカァカァカカカカァカァカカァカカカカカカァ」

「あー、タ……ル、ナ、ゲ、ロ……。『樽投げろ』か。なんだ、そうならそうと言えよ」

「……カア」

「えーと樽、樽、これか。ハルに向かって投げりゃいいんだよな?」


 リキラジは水がたっぷり入った樽を担いだ。


「どりゃあああああああああ」


 それを思いっきり放り投げた。



「よしきた。ナイス」


 ハルのもとへ水が入った樽が錐揉みしながら飛んできた。

 ハルにはどこをどう切れば、どう水が弾けるのかわかっている。

 その予測線通りに樽を八つ切りにした。

 水しぶきは巣に帰る鳥のように燃殻蛞蝓もえがらなめくじの残火へ一直線へ飛びついた。


「よし、一次消火はこれでいいだろう」


 ハルは次の獲物へ向かう。


「リキラジ、もっとだ」


 地上に向かって手で合図をする。すると樽が飛んでくる。

 なめくじを切り、樽の水で消化する。



 ウサコのほうは自分の能力をいいことに、燃え後に体を押し付けて消している。


「すごいスピードで消火されていくわ……」


 ハルが声をかけた図書剣士たちが地上に着くころにはこの区画の火はすべて消えていた。

 ハルとウサコが地上に降りてくる。


「地上に落としたなめくじの後処理を頼めるか?まだ少し動ける奴がいるかもしれない」

「はいっ! 承知いたしました。グラ隊は北、キミ隊は南へ!残りは梯子を直して保全作業に入りなさい!」


 図書剣士たちはテキパキと動き始めた。



 この要領で三人は壁を消火してまわった。


「これは……けっこう、きついな」

「なめくじ、数多すぎじゃない?」

「ハルゥゥーーー!!! 今度は館のほうの火勢がやべえぞ!!!」


 リキラジがこっちに向かって叫んでいる。


「今度は館か……。戻ろう!」

「ぴょん!!」



 館にたどり着いた時には火がそこら中に回っていた。


「ここはいいですから! 本を!!」


 セレナーデは消火活動をしていたのだろう。腕の部分が少し焼け落ちている。

 燃殻蛞蝓もえがらなめくじは一斉にこちらを目指していたようだ。いつの間にか大量の這いまわる導火線の跡が館を目指して行軍していた。


「ここが一番数が多いじゃないか」


 敵の数が多すぎる。なめくじはここまで静かに忍び寄ってから発火したようだ。


「きゃあああああああ!?? 空を見て!!!」


 図書隊の一人が叫んだ。


「勘弁してよ……ぴょん」


 空から燃えるなめくじが降ってきた。


「天井に張り付いていたのか。くそ。ウサコ! とりあえず降ってくるのを弾いてくれ!!」

「やってるよ!!!」


 まるで火の雨だ。


「リキ、水を!!」

「こっちも来てんだよ! なんでおれが水汲みなんか……!!」



「ダァああああ!!! しゃらくせエ!!!!」


 リキラジが雄たけびを上げた。


「いいもんがあるじゃねえか!!」


 彼はフラスコ型の噴水に手をかけていた。


「燃えるよかましだろ」


 怪力男は噴水を破壊した。水が激しく漏れだしている。

 フラスコ部分に溜まった水の重量がリキラジを押しつぶそうとする。


「はは……軽い軽いっ。ダラアァァァァあああああ!!!!」


 そうはいってもたっぷりの水が入ったフラスコは相当に重い。リキラジは全身の筋肉を躍動させた。汗が滴り、隆起した腕は丸太のようだ。リキラジはフラスコを館の上空に向かって放り投げた。


「ハル! ウサ!!」



 ハルは上空に飛び上がったフラスコにククリを投げつけた。フラスコの底にひびを入れて刺さる。


「ウサコ!! そこだ!!」


 言われる前からウサコはフラスコに向かって飛んでいた。


「あいよ!!」


 ウサコの蹴りがククリを打ち抜く。ハルには広がる水のリングが天使の輪のように館の上に広がる様子が見えた。

 今度は正真正銘の水の雨が館に降り注ぐ。これで鎮火できるだろう。


「お嬢!危 ない!!」


 図書剣士のレイがセレナーデが崩れ落ちてきたがれきの下敷きになるのを防いだ。


「あっちょっと。わたしもおちる!」


 ウサコは足に水を浴びて制御を失ったようだ。


「ジル、背中借りるぞ」


 ハルは地面を踏み切った。ジルを踏み台にして一段跳び、館のむき出しの柱で二段目を飛んだ。

 ウサコを空中で受け取る。


「ありがと、ハル!! いつだって私のヒーローだね」

「馬鹿、着地があるんだから引っ付くな!」



 水を浴びて動きが鈍ったなめくじは図書隊でも十分に対処可能だ。

 ハルたちと図書隊は夜明けまでかけてフロアの燃殻蛞蝓もえがらなめくじを掃討することができた。




  ■■■■■  ■■■■■



 状況が落ち着き、図書隊は後処理に追われてまだ働いているようだ。

 ハルたち3人は館の外で疲れた体を休めている。


「これ、やっぱり使っちゃったね」


ウサコが噴水の残骸を顎で示した。


「まあ、しょうがないだろうな」


ハルはベンチに横たわっていた。


「ナイスアイデアだよな。我ながら」


 リキラジは得意げだ。図書隊からもらった水を革袋からがぶがぶと飲む。


「あーー酒が飲みてえなぁ」



「皆さん。本当にありがとうございました」


 セレナーデだ。彼女は一晩中、動き続けてやつれた顔をしている。着ている司書服もすっかりぼろぼろになっている。


「あんた、すこし休んだほうがいいんじゃないか?」

「お気遣いいただきありがとうございます。しかし、これだけは皆様に白状しなければなりません。

最初にまず謝罪をさせてください。私の愚かな判断でこれを隠匿していたこと、申し訳ございませんでした。

我々にはこれが必要だと思い込んでいたのです」


 若き司書長は観念したかのように懐から何か取り出した。


「それは、ライターかな?」


 ウサコが尋ねる。


「はい、このライターの火打石に遺物ピースが使われています」


 銀製のライターだ。側面には月桂樹、頭には虎の柄が彫られている。


「『消印ライター』と私は読んでいます。前の司書長から引き継ぎました。

このライターから出る光をかざしたものは、その形をしばらく保ちます」


 彼女はライターの火をつけ、落ちていた噴水のガラスのかけらにかざした。

 そして目の高さからそれを落とす。

 ガラスは割れなかった。


「これは我々に必要でした。たった数百人でこの膨大な本を保つにはもうこれしかないのです。

これ以上、星の資産を失うわけにはいかない……その思いで使っていました」


 ライターの火を消すと、地面に落ちていたガラスのかけらは形を保てなくなり、溶けるように粉々になった。


「このライターのかざした本でさえもあのなめくじは燃やしました。ライターは休ませないと正常な効果を発揮しない……

でもいつしか私はこれに頼り切っていたのです」


悔しそうな表情を見せるセレナーデ。彼女はハルの目にも見えない大きな荷物を背負っていたようだ。


「耳が痛いよ。おれたちは自分の栄晃えいこう頼り切っているから」


 ハルが寝ころんだまま口角を上げて言った。


「それには覚悟がいるのでしょう。これは……素人には過ぎたものだとわかりました。今回の襲撃は我々だけではとても対処不能でした。遺物ピースを有する限りこれが続いては……私は大事な図書隊の仲間を失ってしまう。

ですから、勝手とは思いますが言葉にしきれない感謝と謝罪に代えて、」


深いお辞儀をしてセレナーデはライターを差し出した。


「どうぞ。お納めください」


 頭を下げる前に、柔らかな火のともる盆の淵に光が見えた。

 ハルは立ち上がってそれを受け取った。


「まあ、なんだ。あんたは自分の使命を通そうとしただけだろう。おれたちと同じだ。それに、」


 リキラジとウサコを親指で指す。


「こいつらは労働の後の飯と酒を出してもらえれば満足できるんだ。……まあ、おれもそうか」


最後の言葉は「お前もだろう」という視線を感じて付け足した。



「はい! では今夜は宴会としましょう!」


セレナーデは笑ってくれた。



続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る