第8話 生ごみの気持ち

 オモトはそのバケモノをギーラと名付けた。


 オモトが島に着いてから2、3日間は歩くのに慣れる時間が必要だった。

 その間ギーラは甲斐甲斐しく介護をしてくれる、というわけでもなく、気ままに遠洋に泳いでいっては思い出したように帰ってきて、遠巻きにこちらの様子を眺めたりしていた。


 この期間に気づいたのは、自分はすでに特段食事をしなくても生きていける体になっているということだった。

 たまに毒沼の水に浸かれば、疲労は回復した。このことでオモトは自分が回復したのは毒沼に落ちたおかげだったと気づいた。


 ギーラが魚を取ってくることがあった。

 食欲という感情。限らず人間らしい欲は火星に掘った井戸のごとく枯れていたオモトだが、試しに食って見ると、体の中の血潮がドクンと脈打つのを感じた。何度か試行錯誤するうちにバケモノは他の生物の血からエネルギーを得るのだと気づいた。


「毒で形作られ、血で動く。真人間からしたらシンプルでデタラメな生物だな」


 ギーラは狩りがうまかった。

 やつがとってくる鳥や魚を食うことで人間並あるいはそれ以上には動けるようになった。

 それ以上、というのは、説明が必要な部分だ。

 オモトは飛べない鳥を食ったときに前腕の裏がわがむずむずと痒くなるのと感じた。

 やがてもどかしくなって腕を思いっきり振り下ろしたときに、痒かった部分から短い羽がぞろっと出てきた。


「なるほどね。塔の学者共の定説がひっくり返るな。鳥みたいなバケモノは鳥から進化したと思われてきたが、その逆にバケモノが鳥を食いまくったって線もあり得るわけだ。鳥が先か、バケモノが先か……」


 食ったものが設計図になるのなら、おれの回復した手も足も元は誰かのものだったのだろうな、とオモトは思った。


 魚を食いまくれば、ギーラのような半魚姿になる。ということだ。


 それならば、とオモトは次の実験を始めた。

 ギーラに自分の血を与えたのだ。

 はじめのうちは変化は現れなかった。

 だが継続して血を与え続けると、兆候が見えた。

 ギーラが以前よりも人懐っこくこちらによってくる。そして依然としてエラ呼吸的な発音で何かを言いたがる。


「ィ""イ""」


 5日目にはこれが上達し


「い"ーあ」


と言えるようになっていた。

 これは「ギーラ」と言いたいのだろう。オモトがもっとも彼女に話す言葉だったから。

 彼女、というのもギーラが人らしくなってきて初めて気づいたことだった。

 人らしくとは言っても、胸に張り裂けた大口など、外観は依然としてバケモノだ。

 だが、髪が伸び始め、頭部の目鼻口がわかりやすくなった。

 半バケモノ半魚だったものが、1/3人間1/3バケモノ1/3魚くらいにはなった感じだ。


 この頃にもなると彼女をバケモノバケモノと呼ぶのも気が引けてきて、「バケモノ」という言葉の代わりに「ギラ」と自分たちを総称することに決めた。

 彼女も人間だったのかもしれない。もちろんおれも人間だった。

 別にあの生命の形に未練があるわけじゃない。ただ、存在するものに名前をつけただけだ。

 オモトはこのように自分に言い聞かせるも、それがむせ返るほどの人間らしい感情だとは気づいていなかった。


 ある日、オモトはギーラと紫海を泳いでいた。

 紫海というのもオモトが名付け親のこの星の毒沼のことだ。

 魚を食うことによって発現した魚らしい部分を強調するか否かは訓練によって調整できることがわかった。

 オモトは今は下半身を魚の尾ひれにしている。


「オ”ぉと」


 ギーラは前よりも言葉を覚えた。今のは「オモト」だ。

 彼女はなんの意味もなくオモトを呼ぶのだ。このときも


「ああ」


といつものように返事をしておいた。


 あたりが暗くなり始め、島に帰る。島の名前は気分で変えているが、今は「ジャズ」だ。


「オ”ぉおと」


 冷たい砂浜で体を人間の姿に戻していると、ギーラがすり寄ってきた。


「ああ」

「オ”ぉと」

「ああ」

「オ”ぉとオ”ぉと」


 なんだ?やけにしつこいな。

 オモトはギーラに目を向けると、彼女は何やら怪しげな動きをしている。

 勘ではあるが、案内をしたいアピールしていると判断してオモトが立ち上がると、 案の定彼女が先導し始めた。

 いつも寝床としている大木からほど近い小さな池まで連れてこられたときに、オモトはそれを発見した。


「……卵か?」


 ギーラはこれを見せたかったらしい。

 お前が産んだんだよな。卵生だったのか。いや、それはともかく、たまご……たまごか……

 オモトは冷や汗をかいて思考がぐるぐるするくらいにはびっくりした。


「卵、卵か、やってみる価値はあるな。何、おれはもうバケモノさ。倫理観などないさ。マッドなサイエンティストだ」


 オモトは誰にするでもないのに言い訳を口にして、次の臨床試験に挑んだ。

 オモトが都合のいいときに自分のことをバケモノ呼ぶことを指摘するものはいない。

 ギーラは興味深げにオモトの様子を見ているだけだ。


「人間が先か、ギラが先か……」

「い"ーあ」


 オモトはもう一度つぶやき、ギーラはそれに答えた。



 ▲▲▲▲▲     ▲▲▲▲▲



「あなた、大丈夫?」


 ハッと意識が戻る。寝ていたのだろうか。

 窓の外は夕暮れを過ぎて夜の青暗い液体が沈殿してきていた。

 読みかけの本にきちんと栞を挟んでおいてよかった。彼女が廊下の光を背にこちらに寄ってくる。


「星を見に行くんだーって、ハイトが。でも、あなたそんな体調で操縦できるの?」

「大丈夫だよメルム。少しうたた寝していただけだ」


 ハイトは1年ほど前に望遠鏡を与えてから夜空に夢中だ。とメルムは思っている。

 ユギィは我が子との間の男の友情をもって真実は母に隠しておいている。


「心配よ、いくらあなたが英雄だと言っても」

「よせよ、英雄なんかじゃない。ここではみんな同じヒトだろう。それに、操縦は大丈夫だ、犬の散歩をするより楽だ」

「わかったわ、でもあなたはいつでも私のヒーローよ。それに、犬の散歩はしたことないじゃない。それに、ハイトを犬扱いしてるみたいだし」


 彼女はカラカラと少し笑って、いつものように恥ずかしげもなく真っ直ぐな言葉を律儀に一つづつ返してきた。


「そうだな、なに、すぐに帰ってくるよ」


 ユギィも少し笑った。僕も相変わらず曖昧な態度だなと自分ながら思った。

 メルムもそう思ったのだろう。目を合わせてまた微笑む。


「ま、気をつけていってきてね。ご飯作って待ってるわ」

「はーい」


「ハイト、行くぞ」

「父さん、話しかけないで」


 なんだなんだ急に嫌われたのか、と思ったら、戦闘機のプラモデルを作っているところだったらしい。

 部屋を暗くして作業台の周りだけランプで照らしている。道具は安物ではあるものの、彼がこだわってカスタマイズしただけあってしっかりと手に馴染んで1/72スケールの彼の愛機を組み立てるのに役立っていた。

 すっ とハイトが息を止める音が聞こえる。背中で隠れていて見えないが、接着の瞬間なのだろう。


「……っできたぁ!!」


 安堵と達成感と集中と歓喜を溜め込んだ息を吐き出して、ハイトが竣工を宣言した。

 我が子ながら周りが見えなくなるほどの集中力を持て余すことなく使っていて羨ましい限りだ。


「父さんTT-L型だよ。どんくさい見た目ではあるかもしれないけどシールド展開時がこの機体の本当の姿なんだよ、それに」

「TTに比べても2.6倍燃費がいい。おーい、なんか忘れてないか?」


 遮らないと止まらないので続きを引き取ってやった。誰に似たのか機体オタクになったものだ。


「行く!!」


 ハイトは軍隊のような正確さと速さで道具を所定の位置に片付け、ランプを消した。


「早く行こう!」

 いつものカーディガンを着るのには失敗していて、ボタンをかけ違えている。

 この若き獅子は兎にも角にもといった様子で父を押しのけて部屋を出ようとする。


「待て、ハイト。望遠鏡を忘れてるぞ」

「あっぶね。これ忘れたら母さんにばれちゃう」


 部屋に戻り、ベットの下から望遠鏡を取り出そうとするハイト。


「ハイト、落ち着かなきゃだめだ。じゃなきゃ許可しない。意気込むのはいいが、大事なのは、」

「大事なのは、正確さと速さ。でしょ」

「……そうだ」


 今度は僕が話を遮られる番だったようだ。彼の一大イベントのために長引きそうな説教はキャンセルされた。

 いつのまにかカーディガンのボタンもかけ直している。


「わかった。行くぞ。だけど、」

「父さんの言うことをちゃんと聞くよ」

「……父さんの言うことを最後まで聞くこと。だ」

「……ラジャ、父さん」


 ハイトは星のような輝きのつまった目をまんまるにしてニへへと笑った。


 ユギィとハイトは格納庫に向かった。

 格納庫は東壁の近くにあるからここからは少し歩く。ユギィ達の住まいは東寄りの 南壁にあった。

 ハイトは先程の注意を守って、そわそわとしないように努めて冷静に歩いていた。

 季節が変わり始めているようだ。霜の生えた窓のそばは寒く、息が白い。


 格納庫前に着いた。カビ臭いシャッターを横目に操作盤にパスワードを入力する。

 シャッターが開き、現れたのはユギィがこの塔に持ち込んだ唯一といっていい持ち物。

 駐屯兵時代から使い続けた戦闘機。

 モンスターを狩り、親友を焼いた近接型。

 ハイトの一番のお気に入りである機体TR-2000だ。


「さて、点検からやってみるんだ。望遠鏡は、いつものゴミ箱に隠しておこう。帰りに忘れないこと。復唱してくれ」

「点検開始、携行品は一時安置し、帰宅時に持参します!」

「よし!」


 ハイトは「待て」をされていた犬のようによだれを垂らして駆け巡った。

 ほら、犬みたいだろ、と心のなかでメルムに言い返しながら、ユギィはハイトを見守る。

 一応言っておくが、よだれは比喩だ。


 5分。時計を持っていたわけではないが、それくらいの時間でハイトは1次点検を終えた。

 続いて2次点検に入った。先程に比べるとあくびが出るくらい慎重に確認を進めている。

 次の3次点検で監督官に不備が見つかれば出撃できないからだ。それでいい。


「点検終わりました。」ハイトが告げた。

 ユギィが最後のチェックをする。

 ハイトは口を一文字にして見守っていた。

「よくやった。行こう、ハイト。かっとばせ」


 ハイトに戦闘機の操縦訓練をし始めたのは、彼が8才になってすぐの頃だ。

 ユギィの親としての面目のために注釈をつけておくと、ユギィから強制したわけではない。

 今までの反応を見てくれればわかると思うが、ハイトがどうしてもと言って聞かなかったのだ。

 今でもユギィの補助つきではあるが、操縦させはじめてからすぐに父親は子の才能に気づいた。

 それからは無理に止めようとはしていない。

 なにより、ユギィ自身もこの時間を気に入っていた。

 操縦席の半円の窓が、父子にとってのプラネタリウムになる。

 ここから見える景色はすべて、手に届くような気分になるのだ。あの星でさえも。


「世界って広いね、どこまでも飛んでいけそう!」


 ハイトがはしゃいだ声で口にした。

 その表現のほうが、いいな。とユギィは思った。


 たっぷりと夜間飛行を味わって、ハイトは鼻歌交じりで機体から降りた。

 二人は忘れずに望遠鏡を取り出して、母の手料理を予想しながら家路を急いだ。


続く

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