下界編

第7話 活きがいい魚

星は知らない

いつでも見上げている誰かがいることを



 ユギィは異教徒のモンスター化の発見及び早期駆逐の功を持って、ハイエンタールへの入塔の権限を得た。

 齢16にして初めて人間として認められたことになる。ユギィにとって記念すべき二回目の誕生日だと言えるだろう。


 彼はなけなしの貯金と、戦闘機を持ってハイエンタールへの連絡橋を渡る。

 いつも下から眺めていたこの橋は円状のガラスで覆われていて、空がよく見えた。

 ハイエンタールへ入るには、エント教への入信は必須だ。

 ただ、エント教も一枚岩というわけではなく、いくつかの分派がある。アンド、ベダス、エリシラ……

 ユギィはただの指運できめた。どれも信仰を求めるだけの大同小異で変わらないのだ。


 行きはよいよい帰りは疎い。ハイエンタールに入塔するともうアギエルには戻れなかった。それは、制度的にもそうだし、ユギィの気持ちとしてももうあんな生活には戻れなかった。ハイエンタールでは仕事をしているヒトはいない。身の回りの世話や食料の生産はすべてヒト以外がやるものだからだ。

 最初こそ、意気込みを持って入塔したユギィだったが、やがてその牙はすり減っていったように自身でも感じていた。かつて遠征部隊にいた頃の「星を壊す」といった情動や、オモトを殺したときの使命感は自分の中で生まれた感情とは思えなかった。 ふとした瞬間にかつての俺はよくやっていたんだなというノスタルジックな気持ちが湧き上がることがあるくらいで、昔を思い出すことが億劫になることのほうが多かった。

 見るたびに輝いていた空が普通になっていく。


 ユギィがハイエンタールに入塔してからはや十数余年が経つ。

 妻を貰い、子も成した。名はハイト。

 ユギィの今の生きがいはハイトだ。

 それと、ハイエンタールで唯一と言っていい友人もできた。

 ダイス。それが彼の名前。

 この居丈高な塔で唯一、「粋」な人物だとユギィは心のなかで評している。

彼はこよなく読書を好み、この狭い塔にいながら空間と時を超えるだけの想像の構成力があった。

 何かを尋ねると、四角い眼鏡の奥から僕と世界を見通すように目を細める。


「ユギィ、君はこう考えているのかな? 『世界はとても狭い』と。確かに自分の知っている世界は狭く、暗く、広がりはなく、自由はヒトのもので、これ以上自分にはなにもできないと感じることがあるだろう。だが、世界は広い。君の知らない世界のほうがなぜ狭いと思うのだ?」


 彼の鉄版が弾けるような青い火を灯した目を見ると、彼を思い出す。

ずっと下の友情は、対して赤い思い出だ。


 もう二度と、あんな下まで降りることは無いかもしれないな。



 ▼▼▼▼▼     ▼▼▼▼▼



 再生。

 息がある。

 それに気づいたからといって何もできなかった。


 もう二度と、上へは上がらんだろうな。

 やることもないのだ。


 (あたましかのこっちゃいねえのか……)

 オモトの左目とその付近は毒の海に漂い、空を見せられていた。

 彼は悠久と空を見る地獄の中で、自分の人生のことを考えた。

 暗がりで生まれ、もがくように上へと救いを求めた。しかし、物事は思うより難しく、世界は想像以上につまらなかった。我を失い、友を失い、尊厳を失い、手は砂のように崩れて空を切った。それなのに、哀れな自分のためになぜだか涙も出ないのだ。

 日が昇り、夜の帳が降りるように、日が降りて、夜の帳が上がるのも眺めながら、そういった思考をゆらゆらと浮かべていた。


 どれくらい時間が経ったろうか、今日は天気が悪い。

 (なんだ?)

 オモトはいつもと違う波の微動を読み取った。

 (近づいてくる……!!)

 振動は大きくなった。


 何かがこちらを覗き込んだ。

 (このまま食われておわりかよ……くそ)

 バケモンだ。視覚以外を失っているからわからないがくさそうだ。

 こんな形で終わるなんて。こいつがおれを食って、この紙ぺら一枚ほどだけ残った意識さえも飛んで行って。どこまでも飛んでいって。おれが嫌いなあの塔の先の更に先で霧散するのだろうか。

 なんだ? 食わねえのか? 仲間だと思ってるのか? 糞みてえな汚い体だ、この  バケモノめ。

 バケモノはボイラーの燃料窓みたいな大きく裂けた口が体の前面を占めていた。頭らしきものがその上にとりあえずといった様子でついていそうだ。うねるように動く尾びれで上手に泳いで、おれのことを物色していた。


 食われるっ……

 食われていない

 やっぱり食われるっっ……!!!

 やっぱり食われていない

 こいつは、おれを運んでいるみたいだ。おれをその体に引っ掛けて毒の海を泳いでいく。


 しばらく泳いで、陸にたどり着いたようだ。

 塔にいた頃は絵本でしか見たことのなかった本当の陸地。こんな形で触れることになるとは思わなかったな。今やおれは足がないどころか、肉片でしかない。


「え?」


 ところがオモトは陸地に立てていた。

 (足が、生えてる。再生か。おれもほんとのバケモンだ)

 (なぜだ? 漂っている間に少しずつ再生していたのだろうか? 自分の体が再生していることに、そんなに気づかないもんかねえ)


 オモトの予想はあたっている部分もあった。オモトは毒の沼で少しずつ再生していた。バケモノがオモトを見つけたときには、頭部の殆どは回復していた。だが、体が 戻ってきていることに気がつくまで、聴覚などの感覚は思い出せなかったのだろう。

 そして、オモトが予想していない部分は、そのバケモノがオモトに体を分け与えることで彼の体を地に足をつけられるところまで復元したという点だ。このことは後にオモト自身が気づくことになる。


 バケモノか

 何もかも失った、ヒトとしての形も、ヒトとしての誇りも、親友も、生きがいも。

 (いいさ、バケモノで)


「あ”あ”」


 そう言おうとしたが声が思うように出ない。


「ア””ァア」


 例のオモトを運んできたバケモノが返事をした。

 下半身はでかい尾ひれのついた魚、上半身は人間に見えなくもない。腹まで縦に大きく裂けている口を除けば、人魚みたいな汚い生物。


 バケモノになったら、バケモノの友達か?

 それもいい、これ以上落ちるところもない場所におれはいる。


続く

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