私だけが大人になれない

 2023年12月27日。私が、30歳になる日である。

 生まれて30年にもなってしまった。友人から言わせれば、まだ30年らしいが、私からすれば、もう30年である。何というか、生き過ぎた感じさえするのは、私だけなのだろうか?

 十年一昔という言葉がある。ならば、30年ともなればもうある種の歴史をつむいでいる、と言っても言い過ぎではないと思うのだ。事実、平成も30年で終わり、ひとつの時代を作っている。

 だが、人生に当てはめると、まだまだこれから、というのが一般論なのだろうか?

 私からすれば、平均寿命的を考えると、これから30年以上も生きる可能性がある、というのは罰ゲームじみているとさえ感じてしまう。

 これから生きていく中で、大した希望がないのだろう。いや、今までも大して生きたいとは思っていなかったかもしれない。

 思えば、30年前に生を受けて、中学生になるころにはすで希死念慮きしねんりょを持っていた。皆がこれからどんな大人になるのかとか、キラキラした高校生活を夢に見ていたころには、私は既に死んでもいいかな、なんて思っていたわけである。

 それでも、その希死念慮は、なんとなく流行りのファッションを身にまとうようなもので、非常に軽いものだった。

 だが、ここ最近は、この死んでもいいという思いが、結構強い。

 軽く友人に相談もしてみた。

 返ってきたのは、自殺するのは悲しいからやめてくれ、という答えだった。

 その答えで、希死念慮、いや自殺願望は楽にはなったが、無くなった訳ではない。

 悲しむと言ってくれた友人たちには、とても感謝している。

 でもどこかで、悲しむのは本当なのか、と友人たちを信じられない私がいるのも事実である。

 相談した友人2人は、どちらも自分を愛してくれる人がいるし、自立もしている。

 対する私は、どうだろう?

 生きてきた中で、告白さえされたこともなく、実家に暮らし、金銭面でも親を頼っている。

 人と比べるな、と言われそうだが、徒競走を思い出してほしい。どうしても、遅いと差を感じざるを得ない。どこかで、誰かが嘲笑う気配さえ感じる。

 みんな、愛してくれる人がいるのだろうか。

 みんな、親に恩返しをしているのだろうか。

 みんな、ビールを美味しくかんじるのだろうか。

 中には、私のような人間もいるかもしれないが、いないような気もする。

 周りいた同級生たちは、どんどんと大人になっていく中で、私だけが大人になれない。

 私が、大人になれる日は、本当にくるのだろうか。

 先日飲んだビールが、ただただ苦かったことを思い出した。

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