イベント結果発表

 学生たちが込める熱量と裏腹に、粛々と過ぎ去っていくのがテスト期間中の時間というものであり、それは今回も変わらない。

 記念すべき、高校生活最初の中間テスト。

 それが、百地礼子にとってどのようなものであったかといえば、それは、


 ――可もなく。


 ――不可もなく。


 ……と、いったところになるだろう。

 つまりは、上々ということ。

 百地礼子らしいテスト結果で、終えることがかなったということだ。


 もし、あの時……。

 マンダムPに止められず……あるいは、忠告を無視してイベランを続行していたのなら、こうはなっていまい。


 おそらくは、体調が回復しきらず……。

 ことによっては、より悪化させてしまい、登校すらままならなくなっている可能性があった。


 ――最初のイベントで、苦い思い出を残してほしくない。


 彼の考えは極めて正しく、自分は、悔いなくこの大事なテストを終えられたのである。

 そして、迎えた二十六日の金曜日。

 正しくは、中間テスト最後のひとつを終えた教室内に漂うのは、パンパンに膨らんだ風船から空気が抜けていくような……。

 なんとも言えぬ弛緩した雰囲気であった。


「終わったー」


「お前、テストどうだった?」


「あたし、数学全然ダメだった。

 赤点取ったらどうしよー」


 体を伸ばしながら……。

 あるいは、自粛していた世間話に興じながら……。

 それぞれ、今、この瞬間しか味わえない開放感に浸る。


 学生の仕事が学業であるとするならば、勉学へ徹底して打ち込むテスト期間中の在り方こそ、もしかしたら本当であるのかもしれない。

 だが、自分たちはまだまだ未熟な子供だ。

 四六時中、気を張り、常に勉強のことばかり考えるストレスに耐えられるほど、タフな造りはしてないのであった。


 そして、それは、マンダムPも同じ。


「ん……!」


 隣の席で伸びをする彼の姿は、なんとも清々しそうというか、これはそう……。

 まるで、家の人間が大きな仕事を片付けて帰還した時のようである。


 思えば、週頭から昨日に至るまで、彼の憔悴ぶりは尋常なものじゃなかった。

 それこそ、朝の通学時間で見かけるサラリーマンのごとく……。

 心底から疲れ切った……固く絞った雑巾のような雰囲気を漂わせていたのである。

 今朝、クラスメイトに気づかれぬよう挨拶してくれた時は、随分と顔色が良くなっていたので、密かにほっとしていたくらいだ。


 と、そんな彼が、おもむろにスマホを取り出す。

 視線は、前に向けたまま……。

 しかし、ちらりと、自分へ見せつけるように画面を向けて。

 その画面は、いまだスリープ状態で暗転したままであったが、こうなると、意図するところは明確であった。


 自分もスマホを取り出し、実に久しぶりにゲームを立ち上げる。

 少々のロード時間やログイン演出を経ると、劇場画面の右上に、イベント結果画面へ飛ぶバナーが表示されていた。


 ――そっか。


 ――昨日の夜で、イベント終わっていたんだ。


 今更そのことへ気づいたのは、それだけ、集中してテスト勉強へ打ち込めていたということか……。

 だが、今、用があるのはその画面ではない。

 ラウンジへ入ると、アイドルたちがはしゃいでいたり、高笑いしていたり、拍手をしていたり……。

 実に様々な喜びを示すスタンプが押されていて、ログを埋め尽くすほどである。


 ――ふふっ。


 ――よっぽど、テストが終わって嬉しいんだな。


 あいにく、死んでいる表情筋は、主の意思を一切汲み取らなかったが……。

 それでも、心中でほほ笑みを浮かべた。

 と、彼からの新しいチャットが届く。


『この後、どうだ? いつもの休憩所で、少しだべっていかないか?』


 彼から誘ってくるのは、初めてのことで……。

 自分は、ちゃの愛称で知られるアイドルが「はいっ!」と挙手するスタンプで返事したのである。




--




「お疲れー」


「………………」


 自販機で買ったコーラを差し出す彼に、自分も無言で同じ物を突き出す。


 ――カツン。


 アルミ缶同士のぶつかる音が響き、それで、乾杯は成立した。


「………………」


 さて、何を打ち込むべきか……。

 少し迷いながらスマホを取り出すと、それはマンダムPに制される。


「――待った。

 まずは、イベントの結果画面を見ようぜ。

 まだ、見てないだろ?」


「………………」


 見たいような、見たくないような……。

 そんな感情と共に、バナーを見やった。

 だが、見ないわけにもいかないのだ。


「………………」


 こくりとうなずき、結果画面へと飛ぶ。

 果たして、その結果は……4000位。

 もしかしたら、という思いがあった。

 最初のスタートダッシュが効いて、逃げ切れるのではないかと。

 だが、現実は甘くないもの。

 他のプロデューサーたちが全力で追い上げ、自分は、哀れ閉め出されてしまったのだ。


「………………」


 溜め息をつきたい気分で、マンダムPの方を見る。

 すると、だ。


「ふぅー……」


 まるで、何事かを成し遂げたかのような……。

 なんならば、テスト終了時よりもほっとした様子で、彼は大きく息を吐いたのだ。


「ボーダー芸を披露しちまったが、どうにか滑り込めたな……」


 続いて、そのようなことをつぶやく。


 ――ボーダー?


 ――一体、なんのこと?


 何に対してほっとしているのか分からない自分に、彼は自分のスマホを差し出してきた。


「ほら」


 そこに、表示されていたもの……。

 それは、イベントポイントランキング2480位という文字だったのである。


「………………」


 こういう時、普通の人ならば、目を見開くなりなんなりして、驚きの意を表すに違いない。

 しかし、自分にはそれがかなわず、ただただ、彼の顔に視線を向けるだけである。

 ただ、それで思うところは伝わったようだった。


「久しぶりに、ポイントランキングを走ってみたのさ。

 アナザー衣装で踊るアイドルの姿を見てみたくなって……。

 あとは、君の驚く顔が見てみたくなったからかな。まあ、いつも通りだったけど。

 ともかく……そのために、ポイントのログが見えないよう、スタンプを連打したりしたのさ」


 その言葉で、全てがつながる。

 週初めから、妙に疲れていた様子であったこと……。

 そして、今日はすっかり元気になっていたこと……。


 疲れていたのは、テスト勉強と並行してイベントを走っていたからであり、回復したのは、昨日の二十一時をもってイベントが終了したからなのだ。

 その理由は、きっと……。


「それで、どうだろう?

 さっそく、アナザー衣装で踊ってるところを見てみないか?

 君と俺と……二人で!」


「………………」


 返事など、決まっている。


「よっしゃ!

 じゃあ、今から2Mでクリアするから、ちょっと待っててくれ」


 うなずくと、あらためて楽曲欄に追加されたイベントの曲を彼が叩き始めた。

 時間にして、二分ほどでそれは終わり、彼がワイヤレスイヤホンの片割れを差し出してくる。


「ほら、こっち付けるといい。

 どうせなら、音もあった方がいいだろ?

 半分こだけどな」


「………………」


 もちろん、自分とて、音を聞きながら鑑賞したい。

 また、他人が使用しているイヤホンを借りることに、抵抗があるわけでもない。

 ただ、彼が差し出したイヤホンは、右耳用だったのだ。


 なんとなく……。

 本当にただ、なんとなくだが……。

 どうせならば、左耳用のイヤホンを借りたかったのである。


「………………」


 だから、無言で差し出されなかった方のイヤホンを見つめた。

 そして、ありがたいことに、自分の意思は通じたのである。


「ん?

 こっちの方がいいのか?」


「………………」


 こくりと、うなずく。


「ほい」


 なんてこともないように、彼は左耳用のイヤホンを差し出してきて……。

 それを受け取り、早着するのが、ひどくこそばゆく感じられた。


「アイドルと衣装もよし。

 それじゃ、流すぜ……」


 本来、このユニットは月と太陽を表した衣装に身を包み、歌とダンスを披露するわけだが……。

 アナザー衣装へ変更したにより、上位報酬のアイドルが、漆黒の太陽と称すべきシックな衣装となる。

 二人、ベンチに並んで、彼のイヤホンを分け合い、彼のスマートフォンでこれを鑑賞するのは、とても心地よい時間だった。

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