ゆっくり休んでね♪
「お嬢。
万田さんが、いらしましたよ」
「………………」
インテリで知られる村田さんのひと言で……。
ようやくにも、百地が顔を上げる。
が、その動きは、いかにも緩慢であり……。
どことなく焦点の定まっていない瞳と合わせて、まるで夢遊病患者のようだ。
明らかに、起きていていい状態じゃない。
「………………」
と、スマホのライブが終了したのは、その時であった。
百地が素早くスマホを拾い上げ、全力で指を連打し始める。
音から察するに、イベントのお仕事を回そうとしているようだ。
「……む」
と、そこで、そのスマホが普段、彼女の使っているそれでないことに気づく。
見た感じ、それはちょいと古めの機種であり……。
よくよく見れば、ベッドの脇でいつものスマホを充電しているのが確認できた。
こいつ、さては以前使っていた端末も引っ張り出して、バッテリー切れ対策をしてやがるな。
だが、今、休むべきなのは、スマホではなく持ち主の方だ。
俺は、イベランするマシーンと化した百地の方へ一歩、踏み出し……。
――あ。
――すごいイイ匂い。
速攻で雑念に支配された。
だって、だって! 小生、女の子の部屋に入るなんて初めてだし!
こう、フワーッとしているっていうんですかあ?
まるで、満開のお花畑に踏み入ったかのようである。
ついでに、主の状況が切迫し過ぎて目に入らなかった部屋のインテリアにも、気づいた。
いや、これをインテリアと呼ぶのは、少し違うな。
カレンダーやら、アクリルスタンドやら、フィギュアやら……。
室内に飾られているのはオタグッズの数々であり、これは、彼女が歩んできたソシャゲの歴史そのものであるといえる。
そういえば、今、彼女が着ているのも、いつぞやのジャンパーコードだし。
そうか……。
なんとなく、察しはついていたが、彼女は周囲を染め上げることで、二次元に寄せるタイプのオタクだ。
が、感心している場合ではない。
2.5次元と化した部屋の中で、ロメロ映画のゾンビみたくなってる三次元人な彼女に、歩み寄る。
「百地……。
俺の声が、聞こえているか?
百地……」
「………………」
至近距離から話しかけることで、やっと注意を引けたのだろう。
無言でお仕事連打していた彼女が、ようやく顔を上げた。
「………………」
と、同時に周囲を見回す。
やはり、インテリで知られる村田さんの声にも、俺たちがドアを開けたことにも、気づいていなかったらしい。
「百地、ストップだ。
ドクターストップ。俺はお医者さんじゃないけどな」
手でストップのサインを作りながら言うと、百地が、いつもの高速スマホタイピングを見せる。
ラウンジのチャットに、表示されたのは……。
『マンダムP。ストリウムブラスターなんか撃ってどうしたの?』
「……ボケる余裕はあるようで何よりだ。
だが、俺は別にここへバディゴーしに来たわけじゃない」
アクセサリーの販促をしなきゃいけない都合上、素で撃つといまいち必殺技感がない光線技の名前を出され、脱力した。
ともあれ、話を逸らそうとしても無駄だ。
ゲームっていうのは、こんな風に家の人へ心配をかけてまでやるもんじゃない。
「今言った通り、イベランもテスト勉強も、ひとまず中止だ。
素人目に見ても、そんなことしていていい状態じゃない。
お医者には行ったのか? 熱は何度ある?」
「………………」
俺の言葉に、無言かつ無表情のまま顔を背ける百地礼子さんだ。
「医者は、かかりつけに来てもらいました。
熱は、八度三分です」
代わりに答えてくれたのがインテリで知られる村田さんで、俺はそれに溜め息をこぼす。
「八度三分か……。
平熱がどのくらいかは知らないけど、元気一杯に振る舞える熱じゃないだろう?
ゲームはともかく、その状態でテスト勉強なんかしても無駄だ。
というか、テストそのものに出れなくなっちまうだろう?」
「万田さん……。
同じことは、自分たちも何度となく訴えました。
こうして、普段は出入りを禁じられているお嬢の部屋へ入らせてもらってまで……。
ですが、何を言っても無視されるばかりでして……」
「………………」
インテリで知られる村田さんの言葉をよそに、百地が何かスマホへ打ち込む。
ラウンジのチャットを見ると、
『今、走るのをやめたら、きっと2500位以内に入れなくなる』
『勝ち抜くためには、まずスタートダッシュで引き離し、中盤に加速してさらに引き離し、ラストスパートでダメ押しするしかない』
親子揃ってうみみ走法に目覚めるとは……さすがだ。
まあ、こいつの場合は、ネットか何かでアイドルについて調べていたら、たまたま目に入ったのかもしれないが。
とはいえ、感心しているわけにもいくまい。
「そうだな……。
今回は、とりわけランカーの争いが熾烈だ。
一日か、二日……。
風邪を治すために寝込んでいたら、遅れを取り戻すのは至難の業だろう」
百地の言葉に、うなずく。
この言葉を残したアイドルにちなみ、うみみ走法と呼ばれる先程の理論……ネタではあるが、ネタではない。
イベントの形式にもいくつかあるが、つまるところ、最初から最後まで、どれだけ継続して走り続けられるかが肝となるのである。
「自分らの時と、お嬢の対応が違う……」
インテリで知られる村田さんが、背後で何かつぶやいているが、それは無視して言葉を続けた。
「だから、ハッキリと告げるよ。
今回のイベントは、諦めな。
それが、百地のためだ」
「………………」
百地が、真っ赤になった顔で俺のことを見上げる。
こんな時にいうことではないが、ただでさえ完璧に整った顔立ちの美少女が、病気で弱り、薄く汗をかいた姿でこちらを見上げるというのは、ちょっとイケナイ気分にさせられた。
――トタタタ。
と、百地がスマホに文字を打ち込む。
『もう、なけなしのジュエルを大分注ぎ込んだ』
続いて表示されたのは、プロデューサーになったりアイドルを継続したりと忙しい彼女が、飛んでいくお札を見ながら「ピンチ…」と涙を流すスタンプである。
「うん、うん。
一度ジュエルを投じちゃうと、引き下がれない気持ちになっちゃうよな?
でも、それはギャンブルで引き際を見誤る人間の思考だ。
スッたものはしょうがないと、割り切っていかないとな」
「………………」
それでも諦めがつかないのか、百地がまた何かを打ち込む。
『それに、初めて参加するイベントだから、がんばりたい』
続けて押されたのは、熱血眼鏡アイドルが「もっとやれるよ!」とガッツポーズするスタンプ……。
「もう、十分にがんばっただろう?
初めてのイベントだからこそ、ゲームのせいで体調を崩して、学生生活に悪影響を及ぼしたなんて悪い思い出、作ってほしくないな」
「………………」
また何か、彼女が悪あがきしようとしたが……。
「百地」
それを制して、先にスタンプを押してやった。
お茶と焼き肉が大好きで、犬を苦手とするアイドルが「ゆっくり休んでね♪」と、湯呑みを差し出すスタンプだ。
「………………」
百地は、少しの間それを見つめていたが……。
不意に、彼女の体から力が抜け、ベッドの上へと横たわる。
「お嬢……!」
心配するインテリで知られる村田さんを制するため、自分の口に人差し指を当てた。
「緊張の糸が切れたんでしょう。
多分、説得はできたと思います」
俺はそう言うと、三人のアイドルが眠る姿と共に、「Dreaming…」と表示されているスタンプを押したのである。
「おやすみ、百地……」
同時に、ある決意も抱きながら……。
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