新イベント
――皇居。
かつては、江戸城として……。
明治になってからは、現在の呼び名で……。
首都の中心部において、五百年以上も人々を見守ってきたシンボルタワーならぬ、シンボルキャッスルである。
かつては、政治の中心であり、現在は特別史跡として保護されているこの建造物であるが、それらと同等に重要な役割も、同時に果たしていた。
すなわち……。
――ランニングのメッカ。
……である。
令和の世において……つーか、多分、昭和辺りから、ランニングといえば皇居、皇居といえばランニングだ。
現在、この地に集うのは復讐へ燃える
まあ、赤穂浪士が集ったのは、本所の方だけどな!
ともかく。
皇居周辺は、ほぼ二十四時間、多かれ少なかれ、ランナーが走っているものであり……。
休日の午後ともなれば、その密集度はかなりのものとなる。
それでいて、さしたる混乱も混雑もなく走れているのは、ひとえに、ランニングという同じ目的で集った者たちの民度によるところだろう。
歩行者や自転車がいたならば、邪魔にならぬようサッと道を開け……。
中には、警備のため立哨するお巡りさんへ、挨拶する者の姿もあった。
なんという――さわやかさ。
それは、人間という生き物に潜む余分が、汗として流されているからかもしれないし、あるいは、常に左手側へそびえる建築物の威厳と風格が、わずかに伝播した結果であるのかもしれない。
ともかく、この地においては、運動という行為が日常から切り離された現代人たちが、それを取り戻すべく手足を動かしていたのだが……。
そんな一団の中に、この俺、万田圭介の姿もあった。
ウェアは、学校指定のジャージ。
唯一、ランニンググッズと呼べるものは、腹に巻き付けたランニングポーチくらいなものである。
いかにも高そうで、それでいて機能性を感じるウェアで身を固めた他のランナーに比べると、浮いているという他ない。
だが、気にする必要はなかった。
運動という行為の前に、全ての人間は平等であり……。
やたらと金をかけずとも興じられるのが、ランニングというスポーツの良いところなのだから。
「はっ……はっ……はっ……」
息を切らしながら、走り続ける。
皇居ランのルートは色々とあるが、本日、走っているオーソドックスなこのルートは、一周辺りおよそ五キロといったところだ。
俺は、その半ばへと差しかかっていた。
「はっ……はっ……はっ……」
運動慣れしていない帰宅部の俺である。
すでに、足は悲鳴を上げつつあり、心肺機能も限界に達しつつあった。
そんな俺の原動力となっているのは、ポーチのボトルホルダー部へ差し込んだスポーツドリンクと、何より、耳に装着したワイヤレスイヤホンから流れる音楽だろう。
このイヤホンから流れる音楽……。
当然、いつものゲームアプリに関連する楽曲だ。
こまめに収集し、スマホへ落とし込んだ楽曲数は、実に三百曲以上。
その全てが、ゲーム内へ実装されているわけではない。
だが、多くは取り入れられ、素晴らしいMVと共に、俺たちプロデューサーを魅了させていた。
だが、こうしてフルで聞くというのはまた格別であるし、それを走りながら行っていると、不思議な高揚感と酩酊感がある。
俺の場合は、昔からこつこつとCDで集めてきたが、今はお得なサブスクプランもあった。
例えば百地のような新人プロデューサーにも、是非、フルで聞く楽しみを知ってもらいたいものだ。
そのような雑念が湧くのは、まだわずかに余裕のある証……。
だが、残り四分の一を切ってくると、さすがにそういった余分も消え失せてくる。
周囲には、他のランナーたちも存在するが……。
まるで、自分一人だけこの世に存在するような、不思議な感覚に支配されてしまう。
目に映るのも、桜田門ではなく、どこか幻想的な……果てない平原……。
……っ!
やっと見えた……。
スピードの向こう側……静かで、どこまでも綺麗な……。
俺が見たかったもの!
駆ける。
ただ、駆ける。
見たかったものを、見るために……!
--
「しゃあ! 体重戻ったあっ!」
神田に存在するランニングステーション……。
そこでシャワーを終え、体重計に乗った俺は、見たかったもの――元へ戻った体重の数値に、ガッツポーズを決めるのだった。
デカ盛りチャーハンに、百地家のデカ盛り朝食……。
まっこと、強敵でござったものだ。
--
運動というものの、副次効果だろうか。
五月も第三週を迎えたここのところ、俺は、学業においても絶好調であり、我ながら集中して授業に臨めている。
なんつーか、体のみならず、頭まで軽くなった気分なんだよな。全身を巡る血流にも、絶好調さを感じるというか。
太ってしまった体を戻すための、一時的な挑戦のつもりだったが……。
これだけ効果があるなら、週末の習慣とするのもよいかもしれない。
何しろ、金がかからないのが、ランニングというスポーツの長所だからな。
本日最後の授業を終えた俺は、そんなことを考えつつ、スマホを手にしていた。
縦持ちで立ち上げるのは、当然、いつものゲームアプリである。
下校時の電車内など、どこか目立たないところで立ち上げればいいものを、どうしていそいそと、かつ、コソコソと起動しているのか……。
その理由は、今がイベント予定日前日の十五時過ぎだからであった。
いつもと異なり、タイトル画面から、即、ゲームの舞台――劇場内へ移動することはない。
その間に、データのダウンロードが挟まれる。
そして、ダウンロードしたその内容――翌日以降のイベント告知こそ、俺が気になっていたものだったのだ。
――天体公演、最後の一曲、か。
くるべきものが、きた。
その事実に、感慨深いものを覚える。
――天体公演。
アイドルたちを、へびつかい座含む黄道星座に見立てて行ったイベント群の名称だ。
確か、最初に開催したのは、リリース一周年を迎えてほどなくの頃だったはず。
となると、足かけ五年近くもの間、合間、合間に他のイベントを挟んだりしながら、開催してきたわけであった。
近年、注目されているリバイバルブームから分かるように、実際の時間というものは、黄金の重みを持つもの……。
ほぼ五年間も付き合い続けてきたイベントシリーズだと思うと、そりゃあ、感慨にもふける。
何しろ、その間に俺自身は小学校と中学校を卒業し、こうして高校生になっているからな。
プレイ仕立ての頃は、ほとんどのキャラが年上だったのに、今じゃ半数近くが年下か同年代だよ。
閑話休題。
そのような記念すべきイベントであり、しかも、今回のイベントで追加される新曲もまた、記念すべきゲーム内三百曲目の楽曲。
報酬カードのアイドルも、人気上位に位置するキャラだ。
もしも……。
もしも、だ。
ランキングへ食い込み、上位ランカーにのみ得られる報酬を獲得しようとしたら、おそらくは、地獄を見ることだろう。
が、まあ……。
――興味ないね。
最終幻想をうたう国民的RPG七作目主人公のような感想を抱く。
担当アイドルならばともかく、今回はそうじゃない。
学業との両立もあることだし、俺は大人しく、ランキングと無関係な報酬衣装だけ頂いておくことにするよ。
と、思っていたその時のことである。
「………………」
不意に、横から視線を感じた。
見れば、俺とは違い、スマホを横持ちにした百地が、じっとこちらに視線を向けていたのである。
これは、あれだな。
百地というか、ももちーPの用事だ。
そう思い、ラウンジを覗いてみると……ビンゴ。
そこには、彼女からの新着チャットが表示されていたのだ。
『相談したいことがある』
このタイミングで相談というと、一つしか思い浮かばなかった。
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