百地パパと…… 前編

 さすがは、これだけの大豪邸というべきだろう。

 百地邸のお風呂は、浴場というべき広さであった。

 何しろ、サウナまで存在するからな!


 ……背中にアレを背負っていると、照りを出すためのお手入れとしてサウナが必須。

 でも、昨今の風潮として、ヤの付く人たちは銭湯にもスパにも入れない。

 そこんところの事情は、深く考えないようにしよう。


 そんなこんなで、カラスが行水するかのごとく、サッと入浴を終える。

 ありがたいのは、どこかコンビニで購入したのだろう……新品のパンツとシャツを差し入れてくれたことだった。


 この、下にも置かないおもてなし……。

 ハッキリいって、ちょっとどころじゃなく怖いが、直接的に怖いことをされるよりはミリオン倍増しであろう。

 で、入浴を終え、学校指定のジャージに着替えた後は、先の客室で眠らせてもらえるのかと思ったが……。


「失礼。

 親父が、少し話したいことがあるとのことです」


 脱衣場――これも銭湯じみた広さだ――を出ると、待ち構えていたジャージのお兄さんに、そう告げられたのであった。


 ――ですよねー。


 半ば予想されていたイベントに、俺は顔を引きつらせつつうなずいたのである。




--




「どうかな? 我が家の風呂は?

 ゆっくりできたかね?」


 親父さんが待っていたのは、先の応接間ではなく、屋敷内に存在する和室である。

 そこで腰かけながら、座卓に用意された日本酒をちびちびとやっていた。

 なんというか、個人邸の和室でありながら、料亭のお座敷みたいな雰囲気だ。


「はい、おかげさまで。

 下着もありがとうございます」


「なに、大したことではないさ。

 立っていてもらうのも悪い。

 そこへ座るといい」


「はい」


 確かに、入り口に突っ立っているというのもなんである。

 言われるがまま、座卓を挟んだ向かい側へと座った。

 なんとなく――正座で。


「はっはっは……。

 そう、かしこまらんでもいい。

 いや、怖がらなくても、か……。

 まあ、おれを相手にして、カタギが怖がるな、というのも、無理はあるだろうが」


「ははは……」


 その言葉には、乾いた笑いしか出てこない。

 単なる事実だし。


「君が成人していれば、酒の一杯でも勧めるところだがね。

 ジュースでも飲むかい?

 それとも、風呂上がりだし牛乳がいいかな?」


「あ、それでは……ジュースでお願いします」


 こういう時、変に遠慮をしても、話が進まないものだ。


「おい、彼にジュースを」


 遠慮なくジュースをリクエストすると、親父さんがふすまの向こうへそう声をかけた。

 待つこと、一分少々……。

 ふすまがサッと開けられ、例によってジャージのお兄さんが、瓶ジュースとグラスを供し去っていく。

 まあ、そうだろうと思ってたけど、紙一枚隔てた向こう側には、若い人が控えているわけか。

 なんか、さらに息苦しさが増したな。

 と、そんな俺の思いを察してくれたのだろう。


「おい、後はもういいから、下がっていてくれ。

 ここからは、男同士の話なんでな」


 親父さんが、再びそう命じる。


「はっ!」


 向こう側から声がし、同時に、歩き去っていく足音も聞こえた。


「これで、正真正銘、二人っきりだ。

 ま、飲みたまえ」


 親父さん自らが、栓抜きで瓶ジュースの蓋を開け、こちらに注ぐ構えを見せる。


「ありがとうございます」


 俺はそれに抗わず、素直にグラスを差し出した。


 ――とく、とく、とく。


 ……と、ジュースの注がれる音が響く。

 なんか、サラリーマンみたいだな。アルコールはないけど。


「頂きます」


「ああ」


 俺はグラスを……。

 親父さんはおちょこを軽く掲げ、それぞれ、口をつける。

 チャーハンがミッチミチに詰まった胃袋でも、風呂上がりのジュースというのは、美味しく感じられるものだった。


「それで、だ……。

 明日も学校はあるし、もう遅い時間だ。

 単刀直入に、聞かせてもらおうじゃないか」


 おちょこを置いた親父さんが、おだやかな……あくまで、おだやかな声で話す。


「うちの娘とは、どのようにして知り合ったのかね?

 一体、どの程度まで進んでいるのかね?」


 声はおだやか……。

 だが、その目は笑っていない。

 どころか、刺すような殺気――ああ、殺気ってこういうのか――すら感じられる。

 これでも、抑えてくれているのだ。

 多分、この人が本気で睨んできたら、俺なんかは呼吸することすらおぼつかないだろう。


「実は……」


 ――嘘なんか言うんじゃねえぞ?


 暗にそう言っている視線を受けつつ、語り始めた。

 どのみち、事実は小説より奇なり。

 嘘やごまかしなんぞ、割って入る余地のない出会い方をしているのだ。




--




「――と、このようなわけでして」


 全てを語り終えて、ちらり、と……上目遣いに親父さんを見る。


「ふうむ……」


 親父さんは、瞑目しながら俺の話を聞いていたが……。


「ゲーム……スマホのゲームを通じて仲良くなった、か。

 いや、はや、おれの時代じゃ、考えられねえことだな」


 そこまで言うと、目を開いた親父さんが、にやりと笑ってみせた。


「だが、まあ……。

 今は、マッチングアプリとかいうので出会って、恋愛だの結婚だのもするって話じゃねえか。

 君と礼子の出会い方も、言ってしまえば似たようなもんか」


 ちびり、と、親父さんがおちょこの酒を舐める。


「それで、今日は、そのゲームに出てくる中華料理屋が美味そうだったから、二人で町中華を食べに出たと。

 わざわざ、吉祥寺まで?」


「それは、お嬢さんが……同じ学校の生徒と出くわしたりしたら、恥ずかしいからと」


「いかにも、礼子の言いそうなことだ」


 親父さんが、苦笑いを浮かべてみせた。


「と、いっても、おれにすら滅多には口を開いてくれない娘なんだが。

 会話は、もっぱらこいつを使ってだよ」


 たもとからスマホを取り出した親父さんが、軽くそれを振る。

 百地はチェインを入れていないので、おそらくはデフォルトのメッセージアプリを使用しているのだろう。


「こんなもんを使わなきゃ、親子で会話すらできねえというのは、悲しくもあり、申し訳なくもある。

 どう考えても、あんな押し黙った子に育っちまったのは、おれの家業が原因だからな」


 そう語る親父さんの表情は、しみじみとしたものだ。

 百地は、喋れないわけじゃない。

 喋らないだけだ。

 実際、授業中に指名された際は、きちんと返答している。


 だが、逆に言えば、必要がない場面では決して口を開かない。

 それが、例え、大好きなゲームの話だとしても……。

 過去にどんなことがあったかは、容易に推し量れることではないし、また、気軽に尋ねてよい話題なはずもなかった。


 だから、俺は何も言わず、ただ黙って親父さんの話を聞いていたわけだが……。

 ふと、彼がゆるんだ表情……そう、安心したような顔を俺に向ける。


「だが、そんな感情以上に大きかったのが……心配、だな。

 誰ともろくに話すこともできねえで、どんな大人になるのか……友達の一人もできねえで生きていくのか、心配で仕方なかった。

 が、安心したよ。

 あの子にも、友達ができた。

 それが、同級生の男子で、しかも、一人で外食するって話だったのに、二人で約束の時間より遅くまで出かけてたってのには、驚いたけどな」


「それは……申し訳ありません。

 つい、眠り込んでしまって」


 冷や汗をかきながら、謝った。

 そうか……いや、そうだろうとは思ってたけど、家には一人で外食すると伝えてたのか。

 あの百地が、一人で外食するというだけでも、この家にとっては大事件だったことだろう。

 それが、遅くになっても帰ってこなく、いざ、見つけたら俺という男子と一緒に寝こけていたのだ。

 これはもう、大、大、大事件である。


 色々と言いたいこともあるだろうが、それらを飲み込んでくれる親父さんの度量には、ただ感謝しか――。


「はっはっは。いや、いいんだ。

 しかし、そうなると気になってくるな。

 君と礼子が遊んでいるというゲームアプリ……。

 ひとつ、おれも遊んでみようかね」


「――ん?

 今、遊んでみたいって言いましたよね?」


 オイオイオイオイオイ。


 ――流れ変わったな!

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