これからも友達

 ――お風呂上がりの女の子!


 この一文を見て、通常、男子高校生の胸中に湧き起こるのは、言いようのないトキメキであろう。

 何しろ、お風呂上がりだ。


 百地はいつも通り、表情筋の死んだ顔をなさっているが、それでも哺乳類の宿命として、頬はわずかに上気している。

 それが、まだドライヤーをかけていないのか、はたまた自然乾燥派なのか……ともかく、しっとりと湿っている黒髪と合わさって、同級生に向ける言葉じゃないが、大変に……エロい!


 そして、それがパジャマ姿であれば、これはもうエロの化身! いっそ、裸でいるよりも煽情的!

 ……なのだが。

 そのパジャマ? が、問題だった。


 下はだぼっとした黒のスウェットに、上は同じく漆黒のジャンパーコート……。

 ハッキリいって、色んな意味で台無しである。

 いやまあ、同級生の女子に、そんな視線を向けるべきじゃないんだけど!


「………………」


 と、そんな俺の視線に気づいたのだろう。

 百地は、無言で何かを考えていたが……。


 ――くるり。


 ……と、どういうわけかその場で半回転してみせた。

 どういうこと? と、思って、すぐに彼女の真意へ気づく。

 くるっと回転することで、明らかになったその背中……。

 そこには、「LEVEL UP!」の文字と共に、キラキラと顔を輝かせる二次元ロリ美少女の顔がプリントされていたのだ。


 このキャラは、俺でも少し知っている。

 先生として、ドンパチする美少女たちを導くソシャゲ……。

 それに登場するゲーム好きな女の子であった。


 そうか、引退したとはいえ、かつて先生だったと言っていたもんな。

 あちらでの推しは、このキャラだったというわけである。


「………………」


 遠山の金さんよろしく背中を見せつけていた百地であったが、またもや、くるりと回転した。


「………………」


 回転して、正面から、俺のことを見据える。

 猛烈に無表情かつ、無感情な顔の彼女。

 しかし、この状況で、何を言うべきかすら分からぬ俺ではなかった。


「はは、似合ってるよ。

 何かの限定グッズ?」


「………………」


 百地が、こくりとうなずく。

 そして、とことこと部屋の中に入ってきて……。


 ――ポスン。


 ……と、俺の隣へ腰かけたのだ。

 椅子の上ではない……。

 ベッドへ座った、俺の隣にである。


 ――ぐ、ぐわあああああっ!?


 ――ベッドのスプリング越しに、体重が伝わってくるうううううっ!?


 ――しかも、なんか、すげえイイ匂いするうううううっ!?


 気を抜いたら、こう、「おっふ」とか、気持ちの悪い声を漏らしてしまいそうだ。


 ――何何何何何!?


 ――どういう状況なのこれ!?


 混乱する俺をよそに、隣の百地がスマホをいじる。

 あ、ラウンジのチャットを見ればいいのね? 了解。

 すでにオートプレイの終了しているスマホを操作し、ラウンジを覗いた。


『これを着ると、レベルアップした気分になれる』


「あっはっは、気合いが入るわけだ」


「………………」


 ゲーム内のチャットでならともかく、リアルの彼女は言葉もなく、表情もない少女だ。

 だが、なんとなくまんざらでもなさそうに感じるのは、きっと、気のせいじゃないだろう。

 と、百地がチャットを打ち込む。


『今日は、本当に色々とごめん。残したチャーハン食べてもらったり、家の人が睨んじゃったり』


「ははは……。

 まあ、怖くないと言えば嘘になるかな」


 更にいうと、こうしているところを君んちの人に見られたらと思うと、恐怖が倍増であった。

 君のお父さん、今のところは理性的に振る舞ってくれてるけど、内心でどう思ってるかは、まったく分からないからね!


『安心してほしい。皆、理由もなしに誰かを傷つける人たちじゃない』


「………………」


 そこまで言った百地が、じっと俺の顔を見つめる。

 そして、こう告げたのだ。


『理由があれば、なんでもする』


「安心する要素が激減したな」


『冗談』


 いやあ、百地さん。君んとこの家庭事情でそれは、きつめのブラックジョークっすよ。

 なんなら、ブラッドジョークであった。

 できることなら、ブラッド成分は俺以外に由来して頂きたい。


『でも、かえってほっとしたかもしれない』


 と、そこで百地が……ももちーPがそんなことを言った。


「ほっとした……?」


『ずっと、窮屈だった。誰にも何も言えない。好きなことも、家のことも』


「あー……」


 オタ趣味のことは、言うに及ばず。

 確かに、この家庭事情は、トップシークレット中のトップシークレットであろう。

 百地が、どうしてここまで他者と関わらない女の子に育ったのか……。

 全部とはいわないが、要因の一端であることは間違いあるまい。


『でも、マンダムPには趣味のことも、家のことも知ってもらえた。だから、すごく気が楽になった』


 言葉と共に押されたのは、野球好きアイドルが「すっげー最高!」と叫んでダブルピースしているスタンプだ。

 気が楽になった、か……。

 まあ、多分に不可抗力ではあるが……。

 いや、だからこそ、よかったのかもしれない。


 怒涛の勢いで、押し流されるまま、俺はなんとなく、百地家の家庭事情を受け入れていた。

 百地も、それを敏感に感じ取ってくれたのだろう。

 だから、直後に投じられたチャットは、その確認だ。


『ねえ、マンダムP』


『こんな家の子供だけど、これからも、友達でいてくれますか?』


「………………」


 チャットの入力を終えた百地が、隣から俺を見上げる。

 口元を、横持ちのスマホで隠しながら……。

 それに対する俺の返答は……そうだな……。

 先程から、見るばかりで入力することはなかったスマホを操った。

 そして、俺は、ぷっぷかしたアイドルが「はーい♪」と手を上げているスタンプで、返事したのである。


「………………」


 百地は、スマホの画面をじっと見つめ……。

 ブラジル育ちのアイドルが、「ダイスキッ☆」と言っているスタンプを押してきた。

 さらに、オフモードのアイドルが「おやすみ…」と言っているスタンプを押してくる。


「………………」


 無言、無表情、無感情……。

 こんな会話を経てもいつも通りな百地が、すっくりとベッドから立つ。

 そして、何事もなかったかのように部屋から出て行くのであった。


「ああ、おやすみ……」


 どうにかその言葉を出て行く背中にかけ、しばし、ぼうっとする。

 まあ、なんというか、だ。

 きっと、今の俺は、耳まで真っ赤になっているんだろうな……。

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