お泊まり

 電話越しに交わした母との会話は、まあ、割愛させてもらっていいだろう。

 クラスメイトの女の子と放課後に出かけて、道中寝落ちしてしまい、帰るのが遅くなった……。

 これを説明した時の反応など、こっぱずかしいだけである。

 ただ、俺からスマホを受け取った親父さんの言葉遣いは、驚くほどおだやかなものであった。


「――電話を代わらせて頂きました。百地と申します。

 ……ええ、ええ、そうなのです。

 いえいえ、そこはどうか、気を揉まないで下さい。

 話を聞いた限りだと、どうも、礼子――娘の方から、ご子息をお誘いしたそうでして。

 ……はっはっは、そう言って頂けると」


 ……どう言って頂けたんだろう?

 不安である。

 ひたすら、不安である。

 親父さんがヤクザの組長であることは、一切伝えてないし。


「それで、ですね。

 今からご子息をお送りしてもよいのですが、いかにも時間が遅い。

 もし、よろしければ、彼には今日、うちへ泊まってもらおうと思うのですが?

 ……ええ、ご心配はもっともです。

 ですが、うちは少々特殊でして。

 家族以外にも、そう……使用人のような人間が、何人も常駐しているのですよ。

 ですから、そのような心配はないかと。いかがかな?」


 うーん、こうして電話越しに話していると、普通のおじさんという感じだ。

 多分、スマホの向こう側にいる母は、なんらかのお金持ちか何かだと、勘違いしているに違いない。

 や、お金持ちなのは間違いないんだけど。


「ええ……それでは。

 悪かったね。携帯、貸してもらって」


「いいえ」


 通話を終えた親父さんから、自分のスマホを受け取る。


「聞いていたと思うが、今日はもう遅い。

 客室があるから、そこに泊まっていきなさい。

 お母上の了承は頂いている」


「……ありがとうございます」


 素直にそう言って、頭を下げた。

 いや、本音を言うと、車とか出してくれなくていいんで、さっさと帰らせてほしいのだが。

 同級生女子のご自宅に、一泊させてもらう。

 普通に考えれば、ドキドキなイベントである。

 そこに、「※ただしヤクザ組長のご自宅でもある」と付け加えれば、ドキドキは百倍だ。


「着替えは……誰か若い者のジャージを貸そうか?

 制服がしわになってはいけない」


「あ、それでしたら、学校で使うジャージを持ってますので……」


 今日は、バスケの授業があったため、ジャージをリュックに入れてある。

 当然、体育館で使ったから汚れてはいないし、順番待ちの時間もあったから、大して汗はかいてない。

 問題はないだろう。


「なら、決まりだな。

 ――おい、彼を客室へご案内しろ」


 ジャージ姿のお兄さんが、俺を案内すべく前に出た。

 彼に連れられ、俺は退出したわけだが……。


「………………」


 この間、我らが百地お嬢さんが、俺の隣で沈黙と無表情を貫き続けていたことには、触れておこう。




--




「浴室が空いたらご案内しますので、どうか、それまでおくつろぎ下さい」


「ありがとうございます」


 俺を客室へ案内したお兄さんが、そう言って退出する。

 こうして、俺は一人、百地邸の客室へ取り残されたわけであるが……。


「……すげえ部屋」


 それ以外の、感想が湧かない。

 いや、さすがにゴージャスな調度とかは存在しない。

 ただ、壁紙からベッドのシーツに至るまで、全てが落ち着いた色合いと模様であり……。

 ついでに、テレビや小型の冷蔵庫に加え、電気ケトルまで備わっている。

 さすがに、浴室はないが、知らない人に写真を見せたら、ビジネスホテルの一室としか思わないだろう。


「はあ……緊張した。

 つーか、寿命が縮まった」


 鞄とリュックを床に置かせてもらい、ベッドに腰かけた。

 果たして、浴室が空くまでどのくらいの時間がかかるか……。

 それは分からないが、少しだけ、気を抜かせてもらおう。

 幸い、ヤキを入れられたりとかいう結末は、回避できたようだし。


「……軽くスタミナ消化するか」


 このような時でも、そのことが頭をよぎるのは、ソシャゲ中毒者の悲しいさがか。

 スマホを取り出し、いつも通りにアプリを立ち上げる。

 今日はまだ、一日一回、必ずクリアしなければならない音ゲープレイを達成していなかった。


 それに、ストーリーイベントこそ開催されていないが、今はちょっとした周回イベントが催されている。

 これは、一日に二、三回音ゲーをプレイすれば達成できるもので、報酬として得られるジュエル――ガシャを引くのに使うアイテムだ――は、俺みたいな微課金プレイヤーには、生命線と呼べるものだ。

 これを、おろそかにするわけにはいかない。


 しかし、しかしである。

 普通は、こう思うであろう。


 ――ヤクザの屋敷で、ゲームなんぞしている場合か。


 ……と。

 確かに、通常ならばあり得ない選択肢であった。

 もし、仮にさっきのお兄さんが俺を呼びに来たとして、スマホへイヤホンを接続してテーブルに置き、高速で指をドタタタさせている姿を見せたら、大変に気まずい沈黙が流れることだろう。


 でも、このゲームなら大丈夫!

 なんと、このゲームは、音ゲーをオートプレイにお任せすることが可能だし、それでミッションも達成できてしまうのだ!

 最低でも、一度はその楽曲をクリアする必要があるし、オートプレイには、ランダム入手のアイテムも必要だけどな。


 無論、俺は全楽曲を一度と言わず、難易度ごとにクリアしている――クリアすると報酬が得られる――し、オート用のアイテムもたんまり溜め込んでいた。

 また、月々千円ほどのサブスクプランへ加入することによって、オート用のアイテムは一日に二つ、必ず支給される。当然、こちらも登録済みだ。


 まったくもって、時間がない現代人にうってつけのゲームだ。ソシャゲというものは、こうでなければいけないよ。


 と、いうわけで、音量をゼロにしたスマホでオートプレイを選択し、ライブ開始する。

 画面内には、高速で流れ落ちるノーツの裏で、アイドルたちの披露する魅力的なダンスが映されていた。


「ふぅー……。

 落ち着く」


 音を聞けていないし、ノーツに邪魔をされてはいるが、アイドルたちのMVを見ると心が癒される。

 それは、こんなドラゴンエンジンで構成されたような屋敷においても、同じ……。

 ヤクザさんたちに囲まれ、縮まった寿命が回復していくかのようだ。


 ――コン、コン。


 ……と、そうしていると、客室のドアが叩かれる。


「あ、はい、どうぞ」


 さっきのお兄さんか、もしくは、別の人が呼びに来たのだろう。

 そう思って返事したのだが、ドアを開いて入ってきたのは、全く別の人物だったのである。


「百地……」


「………………」


 濡れた黒髪から考えて、間違いない。

 風呂上がりの百地が、そこに立っていた。

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