百地邸へようこそ

 ヤクザ屋さんというと、なんとなく高級な外車とかを乗り回している印象があるが、公園のすぐ近くに路駐されていたのは、なんの変哲もないハイエースであった。

 そう……ハイエースだ。

 黒塗りで、積載量も抜群! 様々な用途で活躍してくれる憎いやつである。

 おまけに、乗り込むように促されたこの車は、窓ガラスにきつめのスモークがされていて、容易には外から内部をうかがえないようになっていた。


 やったね! 万田君! 中で何されても外からは分からないよ!


「………………」


「いえ、お嬢は助手席に……」


 唯一、救いといえるのは、俺が乗せられそうになった後部座席へ、先んじて百地お嬢さんが乗り込んでくれたことだろう。


「どうする?」


「いや……」


 ヤクザ屋のおじさんたちは、どうしたものかと悩んでいたようであったが……。


「まあ、お嬢がそうしたいと言うなら……」


 最終的には、何も言っていない百地お嬢さんの意を汲み、助手席と後部座席へ分散して乗り込む形となった。

 運転するヤクザさんと、助手席へ乗り込むヤクザさん。そして、百地とで俺を挟み込む形で、後部座席に乗り込むヤクザさんという形である。


 ちなみにだが、この間、俺は一切の言葉を発していない。

 なんか余計なこと言ったら、ヤキ入れられそうな予感がある。ここは一つ、百地お嬢さんを見習って無言の人となるのだ。


「おい、スマホとかいじるんじゃねえぞ」


「ひゃ、ひゃい!」


 そんな予兆は見せていないが、念のためということだろう。

 乗り込んだ車が走り出すと同時、隣のヤクザさんから釘を刺され、上ずった声で返事する。


「………………」


 同時に、百地お嬢さんも、取り出していたスマホをサッとしまっていた。


「いえ、お嬢は別にいいのです。

 むしろ、親父に早く無事を伝えてください。

 いつもみたいに、メッセージで」


 あ、ご家族に対しても肉声では話さないんですね?

 ともかく、うなずいた百地お嬢さんが、何やらスマホで打ち込み始める。

 結構な長文を打ち込んでいるようだから、親父さんに細かい事情を伝えてくれていると信じたい。


 そのことを願いながら車に揺られること、およそ四十分といったところだろうか。

 道行きから考えて、おそらくは市ヶ谷の住宅街……。

 そこに、百地お嬢さんの家は存在した。


 いや、はや……。

 良い土地には、良い建物が建つものである。

 どどーんと白塗りの塀に遮られた敷地内には、近代的な……豪邸と呼ぶしかない建物がそびえており……。

 オートで開かれた門から車庫へと入ると、イメージした通りのお高そうな外車が三台ばかり駐車していた。


「降りろ」


 隣のヤクザさんにうながされ、車から降りる。

 外からは、塀に遮られて上階部分しか見えなかったが……。

 こうして、内側から全容を見てみると、ますますもって立派な建物だ。

 窓の数から察するに、部屋数も相当なものであり、その気になれば、二十人くらいは暮らせるんじゃないかと思える。

 暮らすというか、常駐させてるんだろうけど。


 お庭も大変に立派で、おそらくは、若い衆が整えているのだろう。

 小さいながらも枯山水かれさんすいが存在しており、こんな状況でもなければ、その美しさで俺の心をなだめてくれそうであった。


「親父、お嬢と……お嬢をかどわかした野郎を連れてきました」


 インターホンを鳴らしながら、リーダー格のヤクザ屋さんがそう告げる。

 一体、俺はこの屋敷内でどんな目に遭わされるのか……。


「………………」


 隣に立つ百地お嬢さんは、黙して何も語らなかった。




--




 結論から言おう。

 ジュースとお菓子でもてなされたのである。


 案内された場所は、拷問室でも窓のない部屋でもない。

 屋敷内に存在する応接間であった。

 さすが、これだけの屋敷に存在するそれというべきだろう。

 ソファから何から、どれも高級品であることが一目で分かる。

 ついでに、ジュースと一緒に出されたクッキーも、そこらの缶カラに入ったそれではなく、ゴディバだ。


 もし、あの特盛りチャーハンが胃を占有していなかったら……。

 給仕をしてくれたのが、ジャージ姿のいかついお兄さんでなかったら……。

 百地お嬢さんと隣同士で座る俺の対面に、「私が組長です」と言わんばかりの強面こわもてなおじさんが座っていなければ……。

 喜んで、手を出していたかもしれない。


 推定百地お嬢さんのお父君であらせられるおじさんが、ゆっくりと口を開く。

 このおじさん……江戸時代の家老みたいな和装束に身を包んでおり、一挙一投足に、威厳というものが滲み出していた。


「娘から話は聞いている……。

 マンダムP君、というんだったね?」


 口からこぼれ出したのは、大変に間抜けな言葉であったが。


「いえ、万田です。

 万田圭介」


「え、そうなの?」


 俺の言葉を受けて、おじさんが意外そうな顔で百地お嬢さんを見やる。


「………………」


 彼女は、いつも通りの無表情であったが、「いっけね」と言わんばかりに口元へ手を当てていた。


「いや、そうなのか……。

 おれも、メッセージを読んだ時は、あまりに変わった名前だと思ったが……。

 でも、今の子って、ありえないくらいキラキラした名前とか、変な名前を付けられることもあるし……」


 あいにくだが、うちの両親にそんなおかしな趣味はない。

 堂々と胸を張って名乗れる名前にしてくれて、ありがとうなのだ。

 ぶつぶつと言っていたおじさんが、あらためてこちらを見やる。


「では、あらためて。

 万田君……」


 そして、頭を下げながらこう言ったのだ。


「うちの者たちが、ずいぶんと怖がらせてしまったね。

 この通りだ。どうか、許してほしい」


 これに狼狽したのは、黙って応接間の隅に立っていたおじさんたちである。


「親父!」


「そんな小僧に、頭を下げないで下さい!」


「男が下がります!」


「――黙りやがれっ!」


 さすがの胆力、というべきだろう。

 俺を連れてきたおじさんたちに、親父――多分、組長さん――が一括する。

 そうすると、途端に彼らは、借りてきた猫のようになった。


「それをすると、かえってこちらの万田君を怖がらせちまうから、やらねえがな……。

 本来なら、てめえらの顔面が腫れ上がるまで殴りつけてやるところだ!

 黙って聞いてやがれ!」


 と、そこで親父さんがハッとなる。


「………………」


 無言で自分を見つめる百地お嬢さんの視線と、ビビッて身をすくませる俺に気づいたからだ。


「……いかん、いかん。

 こういうのも、かえって怖がらせてしまうね。

 ともかく、事情は礼子から聞いている。

 まずは、君のご両親に説明をしたいから、家まで電話をかけてくれるかい?」


 応接間の時計――これも高そうだ――を見れば、時刻は二十一時。

 確かに、俺の両親も、そろそろ飲み会から帰宅していそうな時間である。


「分かりました」


 百地お嬢さんの下の名前って、礼子っていうのか……。

 そんな場違いなことを考えつつ、俺は自宅の置き電話につないだのであった。

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