ベンチにて
散々、店を探して練り歩いたからだろうか……。
すでに、時刻は十九時になろうとしている。
空を見上げても、都内の宿命として、ほとんど星を見ることはできないが……。
しかし、それでも、今宵の三日月は美しいものであると思えた。
店に来た時と同様、百地と手をつなぎながらの帰り道なわけだが……。
なぜ、夜空が視界に入るほど上の方を向いているのかといえば、それには理由がある。
「……うっぷ」
単純な話だ。
物理的に食道を上の方へ向けておかなければ、戻してしまいそうだからであった。
――食った。
――とにかく、食った。
食い放題の店に行った時でも、ここまで食べたことはなかったと思う。
まして、相手はチャーハン。
いかに具材があるとはいえ、基本的には米だ。
胃袋の中へ、隙間なく米が押し込まれ……。
さながら、米びつのごとくなっていることが、感覚として理解できた。
これ多分、明日の夜になってもお腹空かないんじゃないかな?
ともかく、そのようなわけで……。
女の子と二人、手をつなぎながらの夜道というドキドキシチュエーションであるにも関わらず、俺は、死んだ目をやや上の方へ向けながら歩いていたのだが……。
――くいっくいっ。
……と、不意につないだ手が引かれる。
「……んあっ?」
おそらく、炭水化物の過剰摂取による血糖値の急激な上昇が原因だろう。
歩きながらも、半分、意識を低迷させていた俺は、その感触により現実へと舞い戻った。
「………………」
俺の手を握っていた人物……。
百地が、例によってなんの感情も感じさせない目で俺を見つめる。
しかし、今の俺は、彼女が単なるお人形さんでないことを知っていた。
人並みの感情を、当たり前に持ち合わせる少女であり……。
ただ単に、それを表に出すのが、猛烈に下手くそなだけなのだ。
「………………」
そんな彼女が、すっと夜道の脇……そこにあった公園を指し示す。
こういう場所って、一定範囲ごとに作らなきゃいけない条例でもあるのかな?
住宅街の中へひっそりと存在するそこは、コンビニくらいの広さであり、昨今の風潮もあってか遊具らしい遊具もなく、ただ、ベンチが置かれているだけの実に簡素な公園であった。
ハッキリいって、空き地に両足を突っ込んでいると思う。
そんな公園のベンチを指差した後、つないだ手を放した彼女は、横持ちスマホで何かを打ち込んだのだ。
『少し、休もう』
「あー……。
そうだな」
特に反論する理由はないので、うなずき、ベンチへと座る。
自然、百地はそんな俺の隣へと座った。
高校生の男女二人……。
夜の公園で、ベンチに並んで腰かける。
男性側が完全なグロッキーでなければ、実にストロベリったシチュエーションであろう。
もちろん、グロッキーな当の本人であるこの俺は、ほげーっと夜空を眺めるだけであった。
「あー……。
もう二度とチャーハン食いたくねえ……」
「………………」
俺の横顔を見ながら、何やら百地がスマホで打ち込む。
『あんな量のご飯、初めて見た。きっと、作中で登場する彼女が作ったチャーハンも、あのくらいボリュームがあるに違いない』
『そして、それを実際に食べる姿が見れるとは思えなかった。マンダムPのおかげ。今日はすごく、楽しい』
同時に押されたのは、アーティストアイドルが「マーベラスですっ!」とキメ顔をするスタンプだ。
「ははっ……俺もまさか、完食できるとは思えなかったよ。
つか、百地はめちゃくちゃ小食なんだな?
学校だと、昼に何食べてるの?」
『お弁当。いつも、家の人が作ってくれる』
「家の人……?」
思わずそう聞いてしまい、しまったと思う。
ニュアンス的に、家族ということはまずあるまい。
となると、ヘルパーさんか何かということになるが……。
なんとなく、センシティブな事柄であると思えたのだ。
「………………」
実際、百地の方でも、しまったと思ったのだろう。
光の国出身の巨人くらい無表情な彼女であるが、どう伝えたものか、考え込んでるのが伝わってくる。
そして、タタタッ……とスマホに打ち込み、こう説明してくれたのであった。
『お手伝いさん……みたいな? 住み込みで色々と家事をしてくれる人たち』
――たち!?
……と、言ってしまいそうになって、今度こそ、踏みとどまることへ成功する。
まあ、見るからに育ちの良さそうなお嬢さんだもんな。百地って。
同じ町中華でも、日本人経営と中国人経営では雰囲気が変わってくると、わざわざネットで事前に調べていた。
となると、実体験で町中華の店に行ったことはないし、わざわざ俺を誘ったことから、行くような機会もなかったに違いない。
町中華へ行くような機会はなく、家にはお手伝いさんがいっぱいいる、か……。
百地ってこう、とんでもないお金持ちのお嬢さんなのかもしれない。
そんなことを考えつつ、俺がどうにか絞り出せたのは、こんな言葉である。
「へえ、にぎやかなんだな?」
『ただ人が多いだけ。年も離れてるから、話も趣味も合わない』
趣味に関してはともかく、話に関しては、そもそも百地が話さないからじゃないかな?
その言葉も、ぐっと飲み込む。
学校とかではともかく、さすがの百地といえど、家では普通に会話するかもしれないからな。
そんな俺の気遣いへ、気付いているのか、いないのか……。
百地が、連続でチャットを打ち込み続ける。
『だから、マンダムPがフレンドになってくれて、こうして話を聞いてくれて、それで、一緒にオタ活もしてくれて……』
『私は、すごく嬉しい』
「……そか。
まあ、俺も楽しいよ。
でも、あのお店で大盛り頼むのだけは、二度とごめんだな」
『私もそう。まさか、小盛りがあんなに多いとは思わなかった』
「いや、小盛りは常識的なボリュームだったと思うよ?」
それから……。
食休みを兼ねて、俺は自分の言葉で、百地はチャットを使って、色々と下らない話をした。
多くは、当然ながらゲームに関する話だ。
例えば、俺がどうして担当アイドルを決めたのか、とか。
最初のガシャで引き当てて、それで惚れて担当になったと話すと、彼女は『そのくらいの決断力がほしい』と言ったものだ。
俺本人としては、あきれるほど単純な理由だと思ってるんだけどな。
そんな風にしていると……。
ふと、自分の肩へ重さがのしかかってくることに気づいた。
いや、重さと称するには、あまりに軽すぎるか。
「百地?」
気づけば、百地が俺の肩を枕にする形で、うとうととしていたのである。
命の次くらいには大事そうなスマホも手を離れ、膝の上へと落ちていた。
そういえば、昨夜は日付けが変わる時間までプレイしてたみたいだしな。
表情がないから分からないけど、眠さをこらえていたのかもしれない。
しかしながら、眠さをこらえていたのは、俺とて同じ……。
しかも、こちらは血糖値の急激な上昇によるそれという、抗いがたい眠気だ。
それも、ここまでは百地との会話によりしのいでいたが……。
それを失ったことで、猛烈に睡魔が襲ってくる。
あれだ。車の運転中、同乗者が眠ってしまうと運転者まで眠くなると聞くが、それに近い。
「……くあ」
会話相手という楔を失った俺は、気絶するように――というより、おそらくドカ食い気絶そのものだ――眠りへ落ちてしまったのであった。
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