佐藤飯店

 松重豊は、偉大だ。

 どれだけ、望む店が見つからなかろうと……。

 不屈の精神で練り歩き、必ずや、美味しいお店を探り当てるのだから。


 いや、あれはドラマなので、当然、事前に店は見繕ってあるわけだが……。

 それもそうだろう。

 なんの前情報もなしに、それっぽいお店を探すことの、なんと大変なことだろうか……!

 しかも、今回は、いい感じにひなびていて、かつ、日本人経営の中華料理屋という縛り条件まで付与されている。


 ここは吉祥寺。

 食べるための店ならば、いくらでもあった。

 それこそ、かのドラマが原作としている漫画に登場する回転寿司店なども……。

 だが、俺と百地が探しているような中華料理屋……。

 これが、探せど探せど見つからない。


 中華料理屋はあったのだが、いずれも、中国人経営によるお店だったのだ。

 あるいは、定食などもやっているラーメン屋か。

 なんかすごく美味しそうな雰囲気を漂わせているし、もうそれらのお店で妥協していいんじゃないかという思いは、俺たちの中にあった。

 だが……。


「もう、こうなったら意地だ。

 絶対に、目当てとしているような店を探してやろう!」


「………………」


 俺の言葉に、手をつないだまま……それでいて、ポーカーフェイスも維持したままな百地が、こくりとうなずく。

 もはや、俺たちの胃袋は、いい感じにひなびていてかつ、日本人経営の中華料理屋向けにセットされている。

 こうなってしまうと、中途半端なところで妥協してしまったら、かえって後悔を残すことになるだろう。


 ――どこだ。


 ――俺たちの食欲とオタ欲を満たしてくれる店は、どこにあるのだ。


 彼女と手をつないだまま、吉祥寺の街をさまよい歩く。

 ……なんか、生まれる前に発売したレトロゲーで、こういうのがあったな。女の子と手をつないで、冒険ってやつ。

 ハードはプレステ2で、作家の宮部みゆきも絶賛していたとかいうタイトルだ。

 プレステ2ならうちにもあるし、今度、フリマアプリで探して購入してみようか?


 ……などという、雑念が混じった頭で、店という店を探し歩く。

 しかしながら、それがかえってよかったのかもしれない。

 俺と同様、ソシャゲをたしなむものならば、実感としてとらえていることがあるだろう。


 ――欲望。


 ――これは、センサーによって感知される。


 ……と。

 いや、何者がどういう理由で感知するんだよ、と、つっこんではいけない。

 俗に物欲センサーと呼ばれる現象であるが、これは間違いなく存在した。


 特に、ガシャのピックアップを狙う時などは……。

 第二の髪色を解放できるガシャにおいて、いまだ全敗中であり、なんの根拠もない勘だが、その連敗記録は九月下旬になっても続くと確信しているこの俺が、断言する。


 欲望は、察知され、何か大いなる意思の力により、阻まれるのだ。

 きっと、織田さんちの信長君も、欲望が強すぎて察知され、本能寺でキャンプファイヤーする羽目となったに違いない。


 翻って、今の俺はどうか?

 さっきまで中華料理屋を探し血走っていた目が、ふと思い出したレトロゲーの存在により、欲望を忘れ、澄み切っているではないか。


 いつの間にだろう。

 象徴的なアーケード街はとっくに離れ、お高そうな邸宅や、タワマンなどが立ち並ぶ住宅街へと入り込んでいた。

 そこで、俺は……俺たちは、ついに見つけたのだ。


 ――佐藤飯店。


 ゲーム内に登場するアイドルの実家とは、実に一文字違いな店名である。

 その名から考えて、日本人経営の店だろう。

 それにしても、外観から漂うこの風格たるや……。


 何十年もこの地へ根付くことによって、こう「なってしまった」という味わい深いくたびれ具合なのだ。

 しかも、しかもである。

 店の内部からは、酒でも飲んでいるのだろう客たちが騒ぐ声と、中華鍋を振ることによって生まれる独特の金属音が鳴り響いていた。


 ――ここだ。


 ――ここしかない。


 物欲センサーの魔の手を逃れ、ついに、俺たちは約束された地へと辿り着くことができたのである。


「百地。

 ここがいいと思うけど、どうだ?」


 もうすっかりつなぎ慣れた手の先を見て、問いかけた。


「………………」


 百地は、長々と歩き回った疲労の感じられぬ無感動な表情であったが……。

 ふと、つないでいた手を放し、横持ちスマホで何か入力する。

 こっちもラウンジのチャットを開くと、テスト用紙を手にした小学生アイドル二人が、「100点!!」と喜ぶスタンプを押されていた。


「よし!」


 ぐっと拳を握り、ガラスの引き戸を開く。

 すりガラスが張られた引き戸を動かす感覚は、少しばかり独特で……それが、食事への期待感を不思議と高める。


「すいません。

 二人、大丈夫ですか?」


「はいよ。

 空いてる席にどうぞ」


 恰幅の良い中年女性が、そう言って狭い店内の隅にあるテーブル席を指し示す。


「じゃあ、百地」


「………………」


 俺が奥側へ。

 百地が入り口を背にする形で、テーブル席を挟んで座る。

 それにしても、このテーブルも椅子も味わい深い。

 パイプと天板……あるいは、パイプとクッションによって構成されたこれらは、どう言い繕っても、おしゃれではない。

 が、実用性一辺倒……あるいは、安さ一辺倒のこれらが、今の俺には、玉座のごとく思えた。


「はい。

 注文が決まったら、呼んでね」


 おしぼりと共に置いてくれたこのコップも――パーフェクト。

 一見では、ガラス製のようにも見えるプラスチックのそれは、ややオレンジがかっており……。

 こういう店でお水を飲むなら、これしかないと思える。


 全てが――マリアージュ。

 日本の町中華、かくあるべし、という店なのであった。


「さっそくだけど、注文選ぼうぜ」


 言いながら、テーブルの端――卓上調味料などと共に置かれたメニューを手に取る。

 このくたっとなったメニューの触感も、またよい。

 幾人もの手に握られてきたそれを、百地側に向けて広げた。

 と、またもや百地がチャット。


『見づらくない?』


「このくらい、なんてことないさ」


 メニューの文字を目で眺めながら、答える。

 この程度、逆さ文字と呼ぶのすらおこがましいだろう。

 それに、実のところ、何を食べるかはもう決めてしまっているのだ。


 中華料理屋において、必ず存在するメニュー……。

 そのクオリティによって、店のランクそのものも決まると言って過言ではない料理……。


「俺は、チャーハンにするよ。

 百地はどうする?」


「………………」


 空腹を感じさせぬ無表情さでメニューを眺めた百地は、言葉でなく、チャットで返事をしてきた。


『私も、チャーハンにする。小盛りで』


『マンダムP。申し訳ないけど、注文をお願いしてもいい?』


 同時に、おにぎり好きアイドルが「あはっ☆」と笑いかけるスタンプを押される。

 まあ、百地が注文するところとか、ちょっと想像できないもんな。

 昨日は、どこかのファストフードにでも入っているんじゃないかと考えたが、この分じゃそれはないだろう。


「すいません」


 さっきのおばちゃんに、手を上げて注文の意を示す。


「チャーハン二つ下さい。

 小盛り一つと、大盛り一つで」


 その、瞬間……。

 ぴくりと、おばちゃんの眉が動いたのはなぜなのだろうか?


「はいよ。

 ちょっと待っててね」


 何か、得体の知れぬ雰囲気と共に、おばちゃんがカウンターの向こうにいる店主へ注文を告げ……。

 俺と百地は、のん気にチャーハンを待ち受けたのであった。

 たった今、地獄のゴングが鳴ったとも気づかずに……。

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