第2話 交差


 夏季登校日の八月十五日の朝、晴れの予報を外して大雨が降った。久しぶりの雨に地や動植物は喜びの悲鳴をあげ、僕の心もいつも以上に踊りに踊った。

 高鳴る胸の鼓動を抑えられないまま、少し早めに僕は家を出た。傘をさし通学路を走ると、百メートル程先に、水色の彼女の傘が見えた。

「………………っ!! 朝根さん!」

 彼女だと確信すると、その瞬間に小走りだった脚は、全力疾走へと変わっていった。僕が走ると、ぴちゃぴちゃと地面の水溜まりが音を奏でる。はねた雨水が、ズボンを模様づけしていく。その度にまた速度は増す。

「朝根さん!!」

 僕は大声で彼女に声をかける。しかし、彼女は振り向きもしない。

 きっと雨音で聞こえなかっただけだ。そう思いながらようやく彼女の隣に追いついた僕だったが、彼女は僕に気づかない様子でただひたすらにぼーっと下を向いている。

 地面に叩きつけられる雨を観察しているのだろうか、何処か遠い目をした彼女。

 考え事をしているのだと思った僕はふと、傘から手を伸ばし、雨に触れた。


 雨は、その瞬間に僕の体を突き抜けていった。

 綺麗な雨粒の宝石が、僕の体を溶かしていく。


 この感覚は一体。


 僕が戸惑っていると、ぼーっと下を向いていた彼女が、突然立ち止まり、そして雨空を見上げて震えた声で言った。

納屋なやくんがいた世界は、綺麗だった」

 彼女の涙と声は雨と交ざり落ちて、地面に、地球に、そして僕の中へと流れていった。

 そして言葉もなく僕はあの日、海に魂を引き裂かれたことを思い出した。

「あ…………、僕……」

 僕はすり抜けていく雨の冷たさに、息が出来なかった。

「違う、違う……いやだ」

 彼女の肩に触れようとする僕の手は、やはり彼女を透過する。

 何故、魂が引き裂かれた日のことを今まで忘れていたんだろう。僕はもうこの世界にいない。例え肉体が火葬されて全てが微生物に分解されても、この気持ちが僕の中に残り続けることに、僕は絶望を味わった。


「納屋くんがいない世界なんて滅べばいい」


「ごめん朝根さん……僕、っ……」


 泣き声すら届いて欲しいと思ったのは、生まれて初めてだ。本当は雨の日よりも晴れの日よりも、どんな日でも彼女が教室に来るのを待っていたこと。ずっと好きだったこと、焦がれていたこと、伝える術はもう何も無い。


 予報では明日は晴れだから、君は学校に来ない。

 今日は雨だけど、僕はもうこの世界にいない。


 この気持ちは成仏出来ない。

 僕らの世界は永遠に交差しない。(続

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