第8話 高柳始の気持ち。

そんなにうまい話はない。

うまくいく話はない。


山奈円は専外寺から戻ると、すぐに高柳始の元に行き、高柳始と高尾一は白無垢と呼ばれる存在で、専外寺は昔からその白無垢を、可能な限り助ける存在だった事を伝えた時、高柳始は心から喜んだ。


だがそれは自身に対してではなく、高尾一が自分のようにならずに済む事、山田満と無事に結ばれる事に対して心から喜んだだけで、「始も専外寺に行けばマシになるんだ!高尾君の不幸が薄れるのを私は目の当たりにしたよ!あれは奇跡だよ!」と言った山奈円には、「ありがとう円。でも僕は行かないよ」と言った。


喧嘩口調になりながらも説得を試みる山奈円に、高柳始は「もう遅いから今日は帰りなよ。今度高尾君と山田さんを連れてきてくれたら、僕の考えを伝えるよ」と言って、その日の話は終わってしまった。


その週の山奈円は見ていられなかった。

最低限の仕事はしたが、プライベートな時間はため息混じりで、ずっと高柳始に何故断られたのかを考えている。

そんな顔だった。


週末、いつものようにケーキを買って、高柳家に向かった山奈円は、普段との違いを敏感に見つける。

妻・藍乃の声に感情があった。


そして高柳始の言葉は、嘘偽りのない今の高柳始の言葉だった。


高柳始自身、もしやり直せるのならと考えたし、自身ではないが投影できる存在をイメージした小説のプロットを書いて、選択と結末に悩んでしまったと言った。


「仮にこの壊れた身体で小説家の道が断たれたら、何をして家族を養えばいい?再び円の幸せを願うなら何を差し出せばいい?今のまま、小説を書き続け、年に数回円に会えていたらそれで十分なのではないか?」

「始!それはダメ!私はいいの!始にも人並みの幸せを…ううん。人並みの不幸だけに見舞われるようになって欲しいの!」


押し問答で先に進まない会話。


高柳始は話を少し逸らすように「chowderにブログ、どんどん増えていって怖いね」なんて言いながら資料を見て、山田満に「君の幸せを僕に見せてね」と言っている。


ここで高尾一が「高柳さん」と声をかけると、「まず一度、高柳さんが専外寺に行けるか、後は古くなって終わった願いを除去できるか、これはやってくれませんか?それは俺や満の為にもお願いしたいです」と言う。


それは山奈円にも高柳始にもわかる事だが、高尾一は利己的な考えはしない。

だが自分を前に出せば、高柳始は断ることはない。


高柳始は「そうだね。行く事ができるかだね?古い願いの除去も必要だね。それなら行ってみてもいいかもね」と言い、ようやく山奈円に笑顔が戻った。


ここで話が終わると思ったのだが、高尾一だけは違っていた。

高尾一が「高柳さん。山奈さんと満は帰るけど、もう少しだけ俺と話してくれませんか?」と言った。


それは突然で、山奈円も山田満も驚いたが、山田満はアドリブを効かせると「はじめ、夕飯までには帰ってきてよね?山奈さん、今日はお好み焼きにしましょう」と言って話をまとめる。


困惑する山奈円と高柳始は、顔を見合わせて穏やかな顔で頷き合うと、「高尾君、ご迷惑をかけるんじゃないよ」と言ってから、高柳始を見て「すまないね始」と言う。


高柳始も「まあ男同士の方が話しやすい事もあるからね。円はお母さん、僕はお父さんみたいなものさ」と言って微笑むと、山奈円は真っ赤になっていた。


見送る時になって、初めて妻の藍乃が現れると、山奈円と山田満を見送った。

そして門戸まで見送る高柳始を見送った高尾一と高柳藍乃だけになった玄関で、「あなたは残るの?」と声をかけられて、「はい。もっと高柳さんと話したくて、奥さんもご一緒してくれませんか?」と返すと、「あら、いいの?」と言われる。


「はい。是非」と言った高尾一の言葉に、嬉しそうに微笑んだ藍乃はキッチンに行ってしまうと、そこに高柳始が戻ってきて藍乃がいない事を悲しげな目で見てから高尾一を書斎に通す。


「何が聞きたいんだい?君の事だから円の事か僕の事だよね?」

穏やかな高柳始の声に、「まあそれもあります。俺は満を幸せにできるか考える必要があるので、先輩と話す事は大事な事なんです」と答える。


「そうだね。でも君に言ってあげられる事は殆どないよ。君はもう26歳になる。僕は26歳の時には結婚をしたからね。筋道はだいぶ外れているよ」

話す事はなくなったよという高柳始の顔。

案外高柳始は会話を繋ぐのが下手な男だと高尾一は思っていると、ノックと共に藍乃がお茶を新しく淹れてきて、「お待たせ」と高尾一に言った。

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