第019話 真面目眼鏡青年、自分に正直になる
冒険者ギルドの職員エリアに一人の青年職員がいた。
歳の頃が20代前半。眼鏡を掛けていていかにも真面目そうな見た目をしている。
頭からつま先まできちんと整えられていて、制服のベストやシャツ、そして、スラックスに皺がなく、その身だしなみには一部の隙も無い。
「おはようございます」
「おはよう」
「おはようございます」
青年は始業時間の15分前に出勤し、同僚にきちんと頭を下げて挨拶をして自分の席に着く。
見た目だけでなく、行動も真面目で実直な男だった。
そして、青年は始業時間とともにいつものように事務の仕事を開始した。
「こことここ、間違っています。これを見て修正してください」
「これとこれは、要項を達してないので受理できません」
「これはプライベートの食事ですよね? 経費では落ちません」
きちんとしたルールに則って提出された書類の確認を行い、駄目な部分があれば、理由を指摘したり、資料をわざわざ探してきたりして、持ってきた人に戻す。
「あの人いっつも文句ばかり言ってくるのよねぇ……」
「真面目過ぎて融通が利かないわ」
「ああいう人間にはなりたくないわ」
職務に忠実なだけなのに、周りの同僚たちからはあまりの真面目さに煙たがられている上に、わざと聞こえるように悪口を言われていた。
本来青年のように生きるのが正しいことだ。
しかし、時として正しさは息が詰まらせる。真面目な人物が近くにいると、不真面目な自分が劣っているような気がして、似たような人たちと結託して真面目な人物にたいして攻撃的になるのはよくあることだ。
なぜ仕事しているだけなのに、嫌われなければいけないんだろう……。
「はぁ……」
青年は仕事をしながら暗い溜息を吐く。
青年の身だしなみや真面目な行動は、実は彼の心を守る鎧のようなものであった。
真面目に生きていれば嫌われない。
そう思っていたのに、彼は真面目過ぎて融通の利かない性格のせいか、皆に毛嫌いされるようになってしまった。
そして、青年はこれ以外の生き方を知らないし、変われるようなきっかけもない。
「なぁ、今日、飲み会があるんだが、行かないか?」
「いえ、自分は用があるので。それでは」
「そうか。それじゃあ、また今度な」
気遣ってくれる先輩もいるが、自分が行くことで空気を悪くするのも嫌なので、誘いを断り、定時とともに1人で家に帰る。
楽しそうにしている同僚たちを羨ましく思いながら。
眼鏡青年は鬱屈した日常を送っていた。
しかし、ある時、きっかけは唐突に訪れる。
自分よりも頭一つ飛びぬけた大男がビラを配っていた。しかも見た目に似合わず、ヒラヒラのまるで女の子が着るような白いエプロンを身に付けながら。
青年はその姿にまるで雷を撃たれたような衝撃を受けた。
なぜなら自分とは真逆の生き方に見えたからだ。
「カフェをやっている。ぜひ来てくれ」
「あ、ありがとうございます……」
青年はその大男からビラを受け取った。
ビラにはその大男が経営しているであろうカフェの内容が記載されていた。
もふもふと触れ合えるという触れ込みらしい。
男はそれでビラを渡し終え、非常に可愛らしい女の子を抱きかかえて去っていく。
「もふもふカフェ……」
青年はその背中を見つめながらポツリと呟いた。
それから青年はもふもふカフェのことが頭から離れなかったが、最初の一歩が踏み出せないまま、一週間が過ぎた。
その一週間もずっと悪口を言われる日々。
もしかしたらそんな日々が変わるかもしれないという希望が、青年を一歩踏み出させた。
彼はその日、定時で上がった後、そそくさと街門を出て郊外へと走った。
そして、目当ての店を見つけた。
「ここがもふもふカフェ……」
彼は呼吸を落ちつけると、ゆっくりドアを開けた。
――チリンチリンッ
ドアについていたベルが小気味のいい音を鳴らす。
「いらっしゃいませ」
「まだやっていますか?」
看板は「OPEN」となっていたものの、時間も時間なので念のため確認した。
「ああ。好きな席に座ってくれ」
どうやら間に合ったようなのでホッとする。
そして、端のテーブルに腰を下ろした。
「メニュー、です」
小さな女の子がお盆にメニューと水を乗せて持ってくる。
「ありがとうございます」
一生懸命仕事をしている姿で微笑ましい気持ちになった。
青年はメニューを開くなり目を見開く。
なぜなら、それぞれのメニューがどういうものか分かるように可愛らしいイラストが載せられていたから。それだけで凄く分かりやすい。
それが新鮮で驚いてしまった。
「これは……コホンッ」
取り乱したのを取り繕うように咳ばらいをする。
「決まったか?」
「ハムとキュウリのサンドイッチとアイスコーヒーを1つずつ」
「分かった」
しばらく経って注文を取りに来た店主に注文内容を伝え、店内を見回す。
店内にはもふもふカフェの名の通り、何匹かのもふもふとした可愛らしいモンスターが滞在していた。
「キュッ?」
その内の一匹。白いウサギのモンスターと目が合う。
円らな瞳が可愛らしい。
触りたい……。
いやいや、何を考えているんだ。危うくもふもふの虜にされてしまうところだった。
青年は頭を振って雑念を追い払う。
白いもふもふの誘惑に耐えながら待つこと数分。サンドイッチとアイスコーヒーが運ばれてきた。
「美味しい……」
口に入れた瞬間、そのおいしさに鬱屈した気持ちが解けていくようだ。
気づけば食事のマナーなどかなぐり捨てて頬張り、すぐに食べ切ってしまった。
それほどの美味しかった。コーヒーのブレンドも絶妙で、この辺りに住む人間が好む味わいとなっている。
「キュウ」
「ど、どうしたのかな? 餌が欲しいのかな?」
コーヒーの味わいに浸っていると、先程目が合った白いウサギが近づいてきた。
青年はどうしたらいいか分からなかったが、店主が答えをくれた。
「構ってほしいだけだ。もしよかったら撫でてやってくれ。優しく扱ってくれれば、抱き上げても構わない」
それはまるで悪魔のようなささやきだった。
自分はそれに手を出してしまったら、もう元には戻れない。
「いや、それは遠慮しておきます」
そう直感した青年は誘惑を振り払うように断った。
「キュルンッ」
しかし、その決意をあざ笑うかのように白うさぎが寝転がってあざといポーズで青年を見つめる。
「うっ」
それだけで青年の決意は揺らぎそうになるが、元々の生真面目さが功を奏して、どうにか耐えることができた。
「キュルルンッ?」
しかし、白うさぎは青年の膝の上に乗ってきた。
今度は直接的な接触によって青年の心に揺さぶりをかける。
「ぐぅっ」
その余りの誘惑の強さに思わず手が伸びそうになる。
……駄目だ駄目だ。
しかし、二十年以上の生きざまがそれを拒絶する。
青年は唇を噛んでその誘惑に耐え抜いた。
しかし、それもここまでだった。
「キュウンッ」
スノーが青年の体に頭を擦りつけたのだ。
「うわぁああああああっ!!」
その余りの可愛らしさに青年の理性は決壊した。
「我慢はよくない。俺ももう止めた。自分に正直になっていいんだ」
店主が青年の肩に手を置いて優しい顔をする。
そこで青年はもっと我儘に生きてもいいんだと肯定された気持ちになった。
「はぁ……はぁ……そうですか。分かりました。自分に正直になります」
青年は気持ちに正直になって白うさぎの頭を撫でる。
「ほわぁ……」
そこで青年はこれまで味わったことのない至福の感触を得た。
それはまさに天にも昇るような幸せだった。
青年は気持ちの赴くままその感触を味わい続けた。
「ごちそうさまでした。また来ます」
「ああ。待っている」
そして、帰る頃にはまるで憑きものが落ちた様に、青年の顔は穏やかな表情へと変わっていた。
「よし、毎日通うぞ!!」
店を出た後、青年は決意した。
そして、その日から真面目眼鏡青年は変わった。行動が溌剌として、笑顔が増えて、伝え方が柔らかくなり、周りからの評判が良くなった。
「どうだ? 今日は飲みに行かないか?」
青年を気にかけている先輩が今日も誘う。
「せっかく誘っていただいたのにすみません。私はこの後行くところがあるので!! それでは!!」
しかし、青年は頬を緩ませながらも、申し訳なさそうに断って走り去った。
「ふっ、あいつ変わったな……」
にこやかに笑うようになった青年の背を見送って、先輩は嬉しそうに小さく笑った。
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