第10話 教師失格

 渋谷駅――。


 如月がユーリッヒと邂逅を果たした直後。

 つまり十八時四十九分。

 残虐に引き裂かれ、殺し尽くされた一般人の死体が転がる中、常闇は前方――数メートル先に佇む人影、その後ろ姿を睨みつけていた。


「一応聞きましょう、逃げ遅れた一般人ですか」


「もう酷いなぁ。常闇先生、忘れちゃったの?」


 艶々の、透き通るような真っ白な髪。

 数々の死体が横たわる悲惨な光景にはまるで相応しくない、黒のゴスロリ姿の少女。

 バンダナを首に巻いて口元を隠しているのが特徴的だ。


 ――歳は十代半ば、高校生ほどか。


「あなたは――いやまさか」


。ユーリッヒの奴、さては横取りしやがったな〜? ……まあ良いや、祓魔高の戦力を削るっていう目的には逸脱してない訳だし。滞りない滞りない!」


 明るく振る舞う少女。

 ――祓魔高の戦力を削る、そのセリフは敵以外の何者でもない。

 しかし、常闇は。


 彼女を眼前にして、一歩を踏み出すことが出来なかった。

 本来であればすぐさまに攻勢へ転じ、先制攻撃を放つべきだというのに。


「あれ、先生? 話聞いてる? 無視しないでよ〜!」


 無邪気に笑ってみせるこの少女は。

 確かに見覚えのある――いや、決して忘れてはならないの一人であり。


「あなたは、し――」


 刹那。


?」


 数メートルも開いていた距離が一気に縮まる。

 一瞬にして顔を間近まで持ってきた少女は、気を抜けば鼻に息がかかってしまうほど至近距離で常闇の顔を覗き込み、底の掴めない瞳で睨んだのだ。


 微笑を浮かべた穏やかな表情、しかしその瞳に宿るは。


 ――壮絶な憎悪、そして殺意だった。


「先生?」


 間近に迫る少女の顔に縛り付けられ。

 直後、鋭い感触があった。

 明確に、あってはならない感覚を覚え。


「――ごぼ」


 そう、驚愕で塞がらない口から。

 粘ついた血が吐き出されたのだ。


「――クソ」


 ふと我に返り、少女へ反撃するため懐へ手を伸ばす。

 いつも携帯している霊具――切れ味のあるナイフを取り出そうとして、やはり止まってしまう。


「もしかして先生、?」


 命の危険。

 これ以上取り合うことの危険性を加味し、常闇は腹の近くで握られた少女の包丁を横からの打撃で弾き飛ばす。


 一瞬の隙を作り、後ろへと飛んだ。

 改めて距離を取ってから、己の腹へ手を当てる。


「――浅くないな」


 完全なる不意打ち。

 その傷は決して浅いものではなく。


「しかし、臓器は無事だ。これならまだ戦える」


 致命傷を免れたのは唯一の救いか。

 とはいえ、ズキズキと視界を明滅させる痛みは未だ続いているし、血液はこの間にも流れ続けている。


 ――私がすべきは、今ここで彼女を倒すこと。


 分かっている。分かっているのだ。

 でも、だけど。

 眼前の少女は。


「久しぶりに会ったのに、つれないなぁ」


 そんなふうにおどけてみせる少女のことを、常闇は知っている。

 数年前、担任をしたことがある少女。

 しかし彼女は■■■はずなのだが。


「じゃあ、いくよ」


 再び少女の体が跳ねる。

 その速さから瞬間移動のように見えるが、風が生じているためそれは違うと踏んだ。


 つまり、速いだけ。


 一度は見失ったそのスピード。

 しかし二度目になって、常闇は明確に順応した。


「――」


 咄嗟に屈む。

 頭上スレスレを刃が通り抜け、髪の毛が少しだけ切られる感覚があった。数ミリズレていれば死んでいたであろう一撃を躱し、少女の足をすくう。


「――きゃ!」


 体勢を崩した少女は地面へ転倒。

 この瞬間――たった数秒の隙を好機として。



 ――常闇は、何も出来なかった。



 盛大に地面へ転がった、隙だらけの少女へ。

 冷血にして冷徹の教師は、しかし距離を取ることしか出来なかったのだ。


「教え子を守るのが、教師の仕事……」


 ――私がやるべきは、生徒を守り抜くこと。


 誓ったはずだ。

 そうだ。

 如月とは別の生き方を歩むと決断した、六年前。


 血川結衣との一件。あの日から、毎晩夢に出てくる悲惨な光景を現実にしないため。


 常闇は教え子を守ると誓った。

 なのに、どうして。



 少女は歪んだ笑みを浮かべ、包丁を拾い直す。

 再び両者の駆け引きはリセットされ、間合いの測り合いとなった。


 ――私がすべきは、彼女を倒すこと。


 そんな思考が脳をよぎる。

 しかし考える間もなく。


 少女が攻勢に出た。


「――獄式」


 たった一言で。

 常闇の動きが封じられる。

 動けないのではなく、常闇自身が動くのを躊躇したのだ。



 初めての感覚。


「『クラスⅠ』のみが使える『獄式』――


 『クラスⅠ』への昇級が検討されていた常闇恭二だが、なぜ昇級を却下されたのか。

 その理由はまさしく一つ。


 ――『獄式』が使えなかったから。


 つまりそれが、クラスⅠとⅡを隔てる圧倒的な壁。

 それを悠々と発動させてみせた少女に。

 常闇は恐怖と同時、そこに至った教え子を誇りに思ってしまった。こんな状況なのに、なぜか心が燃えるような気分になり――。


「ここまでの戦いはあくまで『獄式の発動条件』を満たすためのブラフですか。――圧巻です、


「えへへ、成長したでしょ」


「ええ。これ以上ないほどに。――自慢の教え子です」


「なんか嬉しいな。常闇先生が私を褒めてくれたこと、あんまりなかったから。――でももう遅いよ。もっと早くそれが聞きたかった」


「……」


「私ね、先生を尊敬してたんだよ。すごい立派でさ」


 二十秒経過。

 如月の場合だと一分が経てば強制契約は解除され、体に自由が戻る。


 血川がどうなのかは分からないが、解除方法が同じだという線に賭けるしかない。

 となればあと四十秒稼ぐ必要がある。


 ――と、

 打算なしに、冷血にして冷徹の教師は、少女と真っ向から向き合っている。


 そして口にする。

 この六年間、今までずっと心に詰まっていたものを吐き出すように。


「私はそこまで、大した人間ではありません」


 少女の眉がピクリと動く。

 その変化に気付かぬまま、常闇はこう続けた。


「すみませんでした。あなたを守れなかったことも、教師として至らなかったことも」


 心からの謝罪。

 至らぬ自分は教師失格だと、何度も己を卑下した。

 六年間も頭を抱え、懊悩の果てに迷い続けた。


 そんな『人間』が紡ぐ言葉を。

 果たして。


 ――血川結衣は、ゆっくりと前へ出ることで意志を示した。


 言葉は返さない。

 言葉は要らない。


 今ここで最後の一撃を『教師』へ放つため、少女の体が瞬間的に跳ねる。


 刹那。

 本当に、時の狭間であった。

 『それ』がやってきたのは――――。

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