暗雲低迷
第8話 戦争の幕開け
「マルクスが殺られた」
豪華な装飾が施された、大きな机。
中央に置かれてあるフルーツのカゴから林檎を取り出して食べようとしていた男は、思わずそれを握り潰していた。
白色の果実が中から覗き、甘酸っぱい果汁が机を濡らす。
「ゲルシムが殺されたんだぞ! 貴様、どこまで盤面を見据えていた。よもや本当に如月が復活を遂げているなど」
「私、忠告したけどなぁ」
「あのようなふざけた戯言、誰が信じるか!」
「信じる信じないはそっちの問題でしょ。実際に私は如月先生の復活説について話したけど――もしかしてユーリッヒさん、頭悪い?」
「黙れよ怪異風情が。人間にもなれぬ半端者め」
ゲルシムが殺されたことに激昂する男。
対して、白銀色の髪に黒いロリータ服を着た少女が、口元を隠すように巻かれたバンダナの奥で、呆れたようにため息を吐く。
彼女は碧眼の奥にただならぬ感情をひた隠しながら――、
「人間になりたいなんて思ったことはないよ。あんな、化け物にはね――ユーリッヒさん」
◆◆◆
立川涼真は、瑠動の病室からゆっくりと出た。
森林での戦いから二日、未だ彼の意識は戻らない。
命に別状はなく、時間が経てば自然と意識は戻るらしいのでひとまず安心だが、それでもやはり、不安ではある。
「特に内川琴音、あの子は……」
ずっと病室で瑠動のことを見ている。
きっと彼女も不安で不安で仕方がないのだろう。
恐らく祓魔高の生徒の中で一番――。
と、その時。
廊下の奥から歩いてくる人影があった。
ここは祓魔高上層部の息がかかった――祓魔師を治療する病院だ。
つまり必然的に、この病院にいる者は全て祓魔高または『怪異殺し』の関係者。それを理解して、立川は正面から歩いてくる男性と目を合わせる。
「あの人は――」
やがて眼前まで近づいてきた彼は二十代後半ほどで、酷くやつれた顔をしていた。
「初めまして、常闇と申します。三年生担当の教師です。以後よろしく」
確か、『口裂け女』との戦いで負傷し、今まで療養していた先生だったか。そんなことを一ノ瀬から聞いたのを思い出す。
「二日前から入学しました――立川涼真、一年生です。よろしくお願いします」
「瑠動くんは?」
「まだ意識は戻ってないです。琴音さんがずっと傍にいてあげてて――」
「なるほど。では邪魔をしない方が良いでしょう」
「…………」
やつれた険しい顔。
感情に乏しいそれがどこか怖くて、思わず沈黙して姿勢を正してしまう。どこか気まずい空気が漂い、そして――
「怖がらなくてもいいです。きっと私は、如月先生よりかは優しいと思いますので」
「……そうなんですか?」
「彼は命に対する価値観が我々と少し違っている。だから、彼にその気が無くてもスパルタになってしまうんですね」
「それは――」
「テケテケは『クラスⅠ』。あの任務に『クラスⅢ』である瑠動くん達を派遣したのは如月先生の独断です」
薄々気づいてはいた。
あれが祓魔高による任務ではないことを。
つまりそれは――、
「瑠動さんたちを、殺すつもりだった……?」
「君には真実を知る権利がある。だからこうして説明した訳ですが、君は根本的な誤解をしています」
――と。
一拍置いて、常闇先生はこう続けた。
「彼はあれでも、教え子を心の底から愛していますよ」
「じゃあなんで……! あの任務のせいで瑠動さんはっ」
「彼曰く、『訓練』だと」
「訓練……?」
「如月先生は数日前、世界を揺るがす最大の怪異『口裂け女』と対峙し、相打ちで死んだはずでした。しかし用意した器へ魂を強引に縛り付けることで復活を遂げた」
「……その話は、先生から少し聞いたことがあります」
「問題は次です。死んだとされていた如月魁斗が実は生きているという噂が世界中へ広がってしまっている。それにより、彼の首を狙う悪い祓魔師が動き始めています」
「でも先生は最強なんじゃないんですか?」
「最強が故――彼に掛けられた懸賞金は現時点で一千万ドル」
懸賞金。
森林にて襲撃してきたゲルシムと名乗る男も、懸賞金がどうこうなどと言っていたか。
「祓魔師であれば、正規の手続きを踏まなくても不法入国なんていくらでも出来ます。懸賞金に目が眩んだ国内・外の祓魔師が一斉に如月の元へ攻め込んでくる」
「つまり、それって――」
「『戦争』ですよ。ただし、如月先生一人VS世界という、あまりにもふざけた構図の、です」
休む暇もなく。
そんなふうに告げられ、新たな戦いの幕開けに眉を下げる立川。
「立川くん、契約している守護霊はどんな感じですか」
「……なぜそれを」
「見れば分かります。私だって一時期は、『クラスⅠ』への昇級を検討されていた祓魔師ですから」
常闇先生のクラスはⅡ。
しかし昇級が検討されていたとなれば、かなり強いはずだ。
『クラスⅠ』は今のところ、世界で三人しかいない。
四人目になりうる素質のある祓魔師――並大抵の強さではなれない、圧倒的な実力。
立川の守護霊について見破ったのも、頷ける。
「この子も僕も、まだ戦えます」
「よろしい」
「――――?」
「これから始まるのは『戦争』。きっと多くの人が死にます」
死ぬ覚悟は出来ているか。
そう伝えようとしていると思った。
祓魔師となった立川に覚悟を決めさせようと。
しかしそれは違った。
常闇先生はゆっくりと息を吐き、静かに言ったのだ。
「逃げるも戦うも自由です。というか、上層部からの『契約』により、生徒を直接逃がすことは禁じられています。だから私ができるのは、あなたに『自由行動』という任務を任せることだけ。その結果としてあなたが姿をくらましたとしても、契約の範疇外です」
「先生、何を――」
「教師には、教え子を守る義務があります。しかしそれも、この祓魔高では通用しない。そもそも私は、生徒に任務を与えることには反対なのです」
「…………」
「――――だから、瑠動くんは」
握った拳が、震えていたことに気がついた。
感情に乏しいやつれた顔、しかしその裏に微かな――いや、壮絶な怒りが垣間見えて、息を呑む。
静かに怒りを抑える常闇先生に向かって、立川は言った。
「僕、戦います」
「死にますよ」
「生きて帰ってこれるかどうかなんて分かりません。でもここで逃げてしまったら、大勢の人を見捨てることになる。如月先生も」
「なるほど。守護霊と交わした契約はそれですか」
「契約がなくて僕がただの一般人だったとしても、同じ選択をします」
対して常闇先生はため息を吐き、
「説得しても無駄ですか」
「はい」
確固たる決意を露わに、立川が頷いた。
決して揺るがない。
しかし。
真っ直ぐな視線に貫かれた常闇先生は、険しい顔を更に皺を寄せて、勇敢な少年にこう言い放ったのだ。
「――ダメです」
「え、でもそれは上層部との契約で禁じられてるんじゃ」
「そんなのこの際どうでもいいです。違反による罰は課せられるでしょうが、今は緊急事態。祓魔高は人手不足故、すぐに処罰が下ることはないでしょう」
「……」
「私の誘導に従ってくれないのは残念です。こうして強引な手段を取らざるを得ない」
「でも、僕は戦えます。テケテケの結界だって破れたんですよ!?」
常闇先生はまたしても息を吐いた。
情熱の奥――冷血にして冷徹。
温かみのある冷たさでもって、告げる。
万感の想いを胸に――。
「教師は教え子を守る。祓魔高がどうあれ、私自身は――そう在ると決めましたから」
◆◆◆
――四月七日、二十時三十六分。
――渋谷にて、爆破テロが同時発生。
――その後、複数の怪異が無差別殺戮を開始。
――事件発生から五分後、死傷者数不明。
――――祓魔高上層部は、如月魁斗の派遣を決定。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます