第5話 帰る場所
統括付属 対怪異祓魔高等学校――二年生。
転校生の立川涼真の方が強い、その前提をもってして。
「結界で俺を閉じ込めた。……確実に倒せる戦力から削っていくつもりやな」
事実、瑠動はこの怪異『テケテケ』に勝てる算段はない。
瑠動のクラスはⅢだが、Ⅱとは決定的な壁がある。ましてや相手は『クラスⅠ』相当。圧倒的な実力差――それを覆せるとは到底思えないし、思う訳がない。
「…………」
ゆっくりと息を吸って、吐く。
目の前に佇む下半身のない女を見つめて、その瞳は揺るぎもしなかった。
「死ぬ覚悟は済ませた」
しかしそれは、諦めではない。
抗わずに死ぬなんて御免だ。
「だから、存分に抗ってやる。覚悟はしても命を捨てる気はない!」
言って、瑠動は拳を構える。
「
それが合図となり、眼前の『テケテケ』が跳ねるように動き出す。
しかし瑠動はニヤリと笑って、拳を振り抜いた。
素早く動く『テケテケ』に打撃が追いつく訳もなく空振り。重心が傾き、体勢が崩れた。そこへナイフのように鋭い腕が振るわれる。
――直撃だった。
腸を切り裂く一撃。
体を真っ二つに両断し、即死へ導く斬撃。
それを食らって、なお。
「油断せんことや。まだ死んであらへん」
居合抜きのように刃腕を振るい、完全に油断して背中を見せるテケテケ。その背後から今度こそ全力の打撃をぶち込んだ。
右拳を振り抜き、次は左。
滅多にない格上への攻撃チャンスを、逃さない。
次々に放たれる打撃は魔力で強化されており、殴る度に血が噴き出している。致命傷ではなくとも、ほんの少しぐらいダメージを負わせることは出来たはずだ。
「俺がまだ生きてること、そんなにおかしいんか?」
目を見開くテケテケ。
背後から打撃を繰り出し続ける瑠動へ、振り向きざまに刃腕が襲った。
――刃は頭に直撃。
頭蓋に穴を開け、脳を引っ掻き回す斬撃。
いや、そうはならなかった。
本来ならば死んでしまう一撃を受けているにも関わらず、瑠動はまだ生きている。
「――」
頭に直撃した刃は、まるで鋼を切るみたいに弾かれた。
絶対に鳴らないはずの金属質な音が聞こえて、テケテケが仰け反る。
「もういっちょ」
懐から取り出したのは、大工が使用するような金槌だ。
ただし霊力が込められており、威力は絶大。
「――霊具」
それは、霊力が込められた武器を指す。
霊力を扱えない弱い祓魔師でも、格上の『怪異』と戦えるように作られた、対抗策。
本来であれば埋まらないはずの実力差を、覆す。
如月が込めた霊力によって。
「こっからや」
一撃一撃が、重くなる。
ただの金槌でさえかなりの威力なのに、そこへ霊力が込められているとなると、それはまさしく――、
――『クラスⅠ』に匹敵する強さかもしれない。
「案外、行けるかもしれんなぁ!」
連撃。
次々とテケテケを襲う金槌は、留まることを知らない。
右から、左から、下から。
間隙のない攻撃だが、しかし。
『■■■■■■』
「チッッ」
直撃の瞬間。
金槌が押し返され、瑠動は舌を打つ。
「直撃の瞬間に霊力を強化して押し返した……そんなこともできるんやな」
金槌に込められた霊力は、祓魔師や怪異が扱う霊力よりどうしても強さや量は劣ってしまう。それを利用して、金槌が直撃する部位にテケテケの全霊力を固めたのだろう。
力比べになれば負けてしまう。
あくまでも『霊具』は対抗策でしかない。
「――あ」
次の瞬間には、瑠動の腹に切り傷が刻まれた。
瑠動の魔術は『致命傷を無効化する』というもの。
つまり、致命傷になり得ない些細な攻撃は無効化されない。
事実、腹に刻まれた傷は大したものではなかった。
血が出て白いシャツが滲むが、まだ戦える。
――戦えてしまう。
もし瑠動の体が限りなく貧弱であれば、この一撃さえも無効化されていたかもしれなかったが、しかし耐えてしまった。
「クソ」
後ろに跳んで距離を取ってから、腹を抑える。
一撃だけなら大丈夫だが、これが何度も続くとまずい。
耐えたといっても、血液は刻一刻と失われていくのだ。
大量出血で死ぬ訳にはいかない。
「これぐらい無効化してほしいもんやな。ほんま、融通の効かん魔術やで」
しかし、これが『クラスⅢ』の限界。
テケテケはすぐに魔術を看破し、有効打を放ってきた。
霊具による小細工なんかでは埋められないほどの差が、両者にはある。
それはまさしく、死へのカウントダウンのように牙を剥き――。
◆◆◆
瑠動淳也は最初、己の人生に生きる価値を見出せなかった。だから祓魔高に入れば、何か変わると思った。何の面白味も生きがいもない日々が、どうにか活き活きとしたものに変わってくれると。
それは半ば、願望のようなものだった。
いや、幻想だった。
そんなことはありえないなどと心の底で思いつつも、祓魔高に入学し、そして――。
「あの……よ、よろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
入学初日。
式を終えて教室に入った瑠動は、隣に座る女の子に声をかけられた。
長い前髪で顔を隠した、内気そうな子だ。
新たな学校生活――勇気を出して話しかけてくれたことに内心で感謝しつつ、なるべく優しい表情で答える。
「俺は瑠動淳也。君の名前は?」
「――えっと、私の、名前は……」
「ええよ、ゆっくりで。焦らんといて」
「………………琴音」
「よろしくな、琴音」
◆◆◆
死へのカウントダウン。
更に二の腕、右胸を切られた瑠動のシャツは血まみれになっていた。
「ここで死ぬ訳にはいかない。俺は、帰るんや!」
どこに帰る――祓魔高ではない。
初恋の人。
初めて生きる意味をくれた、琴音の元へ。
「ああああッッ!!」
大量の出血によって明滅する意識を奮い立たせる。
ここで倒れてしまえば魔術は解除。
あっという間にトドメを刺されてしまう。
――負けて、たまるか。
やっと、胸を張って生きたいと思えるようになったのに。
金槌を振りかぶり、テケテケの脳天へ落とす。
しかし金槌は宙を舞ったまま、手応えはなかった。
「――!!」
太ももに浅い斬撃。
またしても血が漏れて、顔を歪める。
少しずつ、意識が薄れていくようだった。
塵も積もれば山となるとは、この事なのだろう。
ふらつく足を無理にでも地面に縫い付けようとして、ふと体の力が抜ける。
「あ…………」
死へのカウントダウン。
人生の終焉は、刻一刻と秒読みを始めている。
「死ぬなッッ!!!!」
しかしそのカウントダウンは、唐突に終わりを迎える。
辺りを囲む円形の『結界』。
それが、ガラスの割れるような音を立てて崩れたからだ。
一対一の戦場に入り込んでくるのは、一人の男。
それは如月に変わる『最強候補』。
「あ、なん……で」
乱入してきた転校生を見届け、そして。
瑠動の意識は、ついに暗雲の果てに去った――。
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