第51話 8月14日②…お前もヒグマになればいいんだよ。

天に続く道を後にしてオホーツク海へ向かって真っすぐに坂道を下って行くと再び国道334号へと合流する。そこから道なりに知床、羅臼方面へと進んで行く。


広大なオホーツク海を眺めなら緩やかなカーブが続く道を走って行くと30分程でオシンコシンの滝へと到着するが今回は寄らずに通過する。


オシンコシンの滝と言えば道東を代表する滝だ。近くに寄ると落差のある高さから落ちた水が岩に叩きつけられ飛沫が辺りに飛び散り夏は涼めて気持ちの良い名所だ。


過去に住み着いた名物の猫も居たのだがおっさんの時に来た以前に亡くなっている。


その代わりにその猫を模した像が設置されている…皆に愛されていたのだとその像を見て思ったものだ。


オシンコシンの滝を通過すると時間もお昼時になり昼食を取るために目的地へ向かう途中にある道の駅うとろ・シリエトクへと皆で入って行く。



道の駅うとろ・シリエトク─


昼食を取り終えると食後の休憩にここまでに起きた出来事について前田夫婦にも説明を始める。


「あの有名な迷惑系配信者ね…。体躯も大きいからハルちゃんのパパが心配になるるのも分かるかな。」


一度ネットニュースにも載り一躍有名人となったいずなまりゅーを前田は知っていた。前田の話だとすでに何人かの有名人はその犠牲になっている。


そんな活動が出来るのもそれを面白がって見る視聴者が後を絶たないからだ。


さらに最近では同じような事を真似する配信者も出ていてなんとも言えない状況になっている。


「次に迷惑系なんたらが現れた時は大丈夫だよ、さっきも言ったけど助さんは俺が知ってる最強の男だし。」


慶次郎が食後のコーヒーを飲みながら鳥居に視線をやると褒められ慣れていないのか鳥居は照れる仕草をする。


「でもハルちゃんと出会ってからちょっとしか経ってないけどさ、ハルちゃんビッグになったよねー。お陰でウチのチャンネル登録者数もうなぎ上りで大助かりだよ。」


「…俺の柔道の臨時講師の収入じゃあ厳しかったからな。ハルちゃんに足を向けて寝れないよ。本当に。」


前田夫婦が俺とのマスツーリング配信がきっかけで大手のバイク配信者の仲間入りを果たしていた。その後も定期的に動画を配信して前田の明るいキャラクターが根強いファンを作っている。


その結果、生活を助けるレベルでの収入が出来た様だ。だが俺が出た動画は一回だけなのだからそこまで感謝されるとこそばゆい。


「私が出たのはあの回だけですし、今の人気は前田さんの努力の賜物ですよ。」


「見てよ!TVのCMに大河ドラマ出演予定でビッグになったのにこんな謙虚なアイドル居る?やっぱりハルちゃんは私達の救世主だよ!」


「…やっぱ俺は死ぬまでハルちゃんのファンで居る。」


人前でべた褒めをされると凄く恥ずかしい、俺も鳥居と同様に少し頬を赤くして俯いてしまう。前田夫婦から大絶賛をされる俺を見ていた饗庭あえばが体を震わせて立ち上がる。


「あなた方はハルさんを良く理解していらっしゃる。胸もビッグでまさに現世に現れた救世主アイドルですからね!」


「饗庭ちゃんだっけ?ハルちゃんのマネージャーを務めるだけあってわかってるね!」


(胸もビッグは余計だろう…。)


饗庭と前田がガッチリと握手をして謎の意気投合をしている。前田が饗庭の本性を知ったらきっとドン引きするだろうと冷ややかな視線で見守る。


「プハー美味しかったー。ハルそろそろ出発しようか。」


「…マイペースな奴め。」


前田夫妻の話を全く聞いていない一花が食後のデザートのコケモモソフトを食べ終えると皆で道の駅を出発する。目的地まで後少しだ。



国道334号を走行中─


国道334号を羅臼方面へと知床の街を走り始めるとすぐに森に囲まれた知床峠の道へと入る。急カーブと急坂が続きそれを抜けると案内板が見えてくる。


『知床五湖』今回の目的地である。


知床五湖へ向かう道、道道93号へ左折して進んで行くのだが気になる看板が道の脇に設置されている。


『ここはヒグマの生息地、近づかない、食べ物を与えない。』


知床と言えばヒグマの生息地として北海道でも有名な場所だ。知床半島は人が立ち入れない自然地区でもあり本来の自然のままの光景が残されている。


そしてシーズン中という事もあり知床五湖へ続く道道93号が大渋滞をしている。


「ハルさん…車はダメみたいなので先に行って下さい。」


痛車を運転する饗庭からバイク用インカムで連絡が入る。このシーズンは観光客に観光バスと多くの人が訪れる場所となり知床五湖の入り口まで車の長蛇の列が出来てしまっている。


「分かりました。バイクは先に入れると思うので先行しますね。」


そう連絡すると止まって動かない車の横を慎重にバイクで走って行き知床五湖へと入って行く。



知床五湖フィールドハウス─


敷地内に入ると駐車場には車が満車の状態だが、その横にあるバイク専用駐車場は余裕がある位に空いている。そこにバイクを駐車するとフィールドハウスへと入って行く。


「…はい、私達で先に入ってますから高架木道で合流しましょう。」


スマホで饗場と連絡を取り高架木道で落ち合う約束を取り付ける。思った以上に車が進まないみたいで今だに別れた場所から数メートルしか進んでいない。


「饗場さんには悪いけど、先に皆で地上遊歩道に行こうか。」


知床五湖には無料で利用できる高架木道と有料の地上遊歩道がある。有料の地上遊歩道は専門ガイドによるレクチャーを受けた後に入る事が出来る。


「あ、あのさハル、ここってヒグマの生息地なんだけど…。」


「大丈夫、大丈夫、活動期は7月までだから出て来ないって。」


「…本当かな。」


一花がヒグマの生息地と聞いて怯えているがヒグマが活発になる7月から大分過ぎている。それに俺にはおっさん時代の経験からヒグマ対策はバッチリ準備をしている。


「それでは地上遊歩道のレクチャーを開始しますので予約された方はこちらへどうぞ。」


係員からレクチャーの開始のアナウンスを聞くと俺と一花と鳥居、前田夫婦と一緒に奥の広間へと案内される。


座席に座るとウエスタンハットに立派な口髭を蓄えたカウボーイみたいな格好をした男が現れる。


「フィーーー!ヒグマの事なら俺に聞け!俺がレクチャーを務める『須田野 繁正すたの はんせい』だ。」


「うっわ…サンライズが似合いそう…。」


レクチャー指導員の須田野が意味も無く手に持っている救助用ロープを振り回しながらなぜか小指だけを立てて拳を天に突き上げて自己紹介を行う。


「お前らカバンの中身を全部出してみろ…今すぐにだ!」


須田野がロープをテーブルに叩きつけて指示を出す。皆それに従って全員がカバンの中身を出して行く。それを某映画の軍隊の教官の様に調べて行く須田野。


「ん?何だこれは!ガムに飴玉に…都コンブだ?」


「あははっ、私の大好物で常備してるんです。」


前田のバッグから取り出されたお菓子を掴み体を震わせる須田野だが明るく笑顔で自分の持ち物を説明する前田に一喝する。


「いいか!ヒグマは匂いに敏感だ!人間を恐れてはいるが食いモンがあると分かったら恐れなくなる!ヒグマとダンスっちまいたくない奴は食いモンは全部置いてけ!」


「ぶっ!…ダンスっちまうって。」


いちいち言う事が面白い須田野につい噴き出してしまう。だが他の利用客は食べ物が無いか必死に探してはテーブルの上に置いて行く。


その後も地上遊歩道での説明を続けるが一般常識的な事が多い、もちろん食べ物を持ち込み禁止なのだから中で調理も出来ない。


ここまで注意しないと調理をやる奴が居る事に驚く。


「…という事でレクチャーは以上だ。ここの扉から地上遊歩道が始まる…ようこそ地獄…いやヒグマの巣窟へ。」


須田野が不敵な笑みを浮かべると外へ続く扉を開ける。レクチャーを受けた全員が外で出るのを確認すると須田野が扉を閉めて鍵を掛ける。


「なんで鍵を掛ける…。」


俺がツッコミを入れる間も無く扉を閉められる。これがさらに全員の不安を煽って行くが他のグループは渋々と出発をして行き俺達だけが取り残される。


「ちょ、ちょっとヒグマは出るかもって説明しておいて何の装備も無いの?」


「まあ…知人から噂は聞いてましたが、こりゃ参りましたね。」


一花と鳥居が困惑しているがその反応も当たり前でレクチャーで散々ヒグマが出るかもしれませんという説明をして、その対策は音を出すのが効果的と言いつつも熊除けベルなどを貸してはくれないのだ。


なので手を叩いたり、声を出したりして進む人達が多い。


「まっ、こんな事は想定してたので!はいっ!熊除けスプレーに熊除けベルね!」


俺は事前に用意していた熊除けグッズをリュックから取り出すと一花と鳥居、前田夫婦の全員が俺の側に寄ってくる。


「さっすがハルちゃん!ビッグな子は用意からして違うね!」


「さすがに重量級の俺でもヒグマは無理だから助かる…。」


前田夫婦が明るく褒めてはくれるがヒグマの生息地の脅しが効いていて顔が若干強張っている、模範囚らしい事が出来て俺は満足だ。


「ハルちゃん、確か稚内で野生の鹿に囲われてましたけど…流石にヒグマは来ませんよね…。」


「あっ…。」


鳥居が稚内での出来事を思い出して話すと一花が思い出した様な声を出す。


「ハ、ハル…ごめん!離れて歩いてくれる?ヒグマが出たら助けるから!」


一花が俺から熊除けグッズを取り上げると俺から距離を取る。それに合わせて前田夫婦、鳥居もすり足で少しづつ距離を取って行く。


いくらヒグマが恐ろしいからとは言え、この仕打ちは俺にとって想定外であった。


「なろう系の世界を救った勇者が世界を破壊したくなる気持ちが痛いほど解るわ…。」


皆を救おうと用意した伝説の武器(熊除けスプレー)を奪われ強固な結界(熊除けベル)を解除されすっぴん装備で放り出される勇者(模範囚)の図が出来上がる。


「頑張れハル!模範囚の良いとこ見せてね!」


「ぐぬぬ…許すまじ脱獄囚…。」


一花の応援にイラッとするが地上遊歩道のスタート地点で揉めていても仕方が無いので俺が前方を単独、後方を他全員がグループになるという有り得ない体制で知床五湖巡りが始まる。


地上遊歩道は小大のループに別れていて今回は大ループ約3kmの自然の道を歩いて行く。五湖というくらいなので5つの湖があるのだが大ループのコースは全ての湖を見る事が出来る。


「ほら、皆これ見て!ヒグマの爪の跡がある。木の上まで続いてるから登って逃げても無駄だね…フフフ。」


「ハルちゃん…本当に悪いと思ってるのでちょくちょく脅しを入れるのは止めませんか?」


気分的に闇落ちした俺がヒグマの痕跡を見つけては後方に居る一花達を脅すがそれを制止する鳥居。そんなやり取りをしつつも五湖と四湖を見終えて三湖へと進んで行く。


大自然の中、人の手が入っていない北海道の雄大さを感じながら森の中を歩いて行くと闇落ちした心も少しづつ洗われる気持ちになる。


「ヒグマ以外にもエゾシカやキタキツネ、エゾリスも居るって聞いてたけど全然居ないよね…。」


「ハルちゃんに寄ってくる気配もないですね…。」


普段なら稚内の様に動物の方から寄ってくるのだが森に入ってからそれが一切ないのを不思議に思う一花と鳥居。


「ねえ、それって近くにヒグマが居るからじゃないの?」


「念の為、ハルちゃんに声掛けておく。」


前田が少し不安になり慶次郎が離れた俺に大きい声で注意を促してくる。


「ハルちゃん!大丈夫かーい?」


慶次郎の声に反応して後ろを振り返って手を振る。


「大丈夫だって!今のとこ動物も寄って来ないし快適に…。」


『ドンッ!』


後ろ向きになりながら歩いていたので人にぶつかってしまった様だ。急いで振り返って頭を下げる。


「すみません、ちょっと前を見てなくて…。ん?なんか…獣臭い。」


下げた頭をゆっくりと上に上げていくと毛むくじゃらな体が見えてくる。頭を上まで上げ切ると俺と同じくらいの背のヒグマが直立不動でコチラを見つめている。


「あ…。」


俺の頭の中に走馬灯が流れて行く…入院した所から中学校卒業、高校入学にオーディション…一瞬の出来事の様に流れて行くとすぐに須田野の言葉を思い出す。


『ヒグマに遭遇した時はどうすればいいって?お前もヒグマになればいいんだよ。』


意味の解らない助言を思い出すとヒグマと同じ様に直立不動になって立ち尽くす。もちろん何の解決策にもなっていない。


『チリチリチリチリチリーン!!』


後方に居た一花達がベルを必死に鳴らすが俺の前に居るヒグマは逃げようとしない。するとヒグマが俺の頬をペロっと舐めてくる。


(くっさ…というか鼻息荒いし顔でっか…。)


零距離でヒグマを観察して生きている人間は俺だけだと思う。そう思うくらいの至近距離だ。動けずにいると足元から子熊が2匹俺の足から肩に登ると親熊と同じ様に顔を舐め始める。


「ハルちゃん…やっぱり持ってるわ…色々と。」


前田がカメラで映像を取りながら小声で言う。取れ高レベルで言ったら大気圏突破レベルであろう。


親熊と子熊に舐められる様子は傍から見ればほのぼのした光景に移るだろうが俺は迫力のあるリアルなヒグマに全身を震わせ今にもおしっこを漏らしそうな位に恐怖している。


(ど、どうにかしてくれ誰か…。)


そう思った時、遠くから聞いた事のある声が聞こえてくる。


「グラビアアイドルの結城ハルはどこだーーーーーー!!」


大きい声と凄い足音を立ててどんどんとコチラに近付いている事が分かる。ちなみにヒグマはちょうど高い茂みに隠れる状態で後方以外からは見難い状況となっている。


その声は後方では無く前方から聞こえてくるので恐らく順路を守らず逆走してきたのだろう。


この声に驚いた子熊達が茂みの中に逃げて行き親のヒグマは警戒して舐めるのを止めて俺から少し離れて茂みに隠れる。


「アッーーー!見っけたぞ!警察の取り調べきつかったけど、おっぱいチャレンジでチャラにしてやるよ!」


泣きっ面に蜂とはこの事だろう。迷惑系配信者のいずなまりゅーがカメラを片手に俺の前方に現れる。本当に空気の読めない登場の仕方である。


俺が視線を動かして近くにヒグマが居る合図を送るが勘違いしたいずなまりゅーは別の意味で受け取ってしまう。


「へへっ俺の登場が嬉しいのか?声を出さずに待ってくれるなんて可愛いとこあるじゃんか。」


どんどんと俺に近寄るいずなまりゅーだが俺が微動だにしない理由をすぐ側まで近寄って初めて理解する。隠れていたヒグマが待ち伏せした様にゆっくり出てくる。


「ひゅっ…。」


いずなまりゅーがヒグマの姿に気付くと変な声を出して硬直する。恐らく生配信しているのだろうかカメラをコチラに向け続けている。


親のヒグマはいずなまりゅーへとゆっくり歩みを進める…がある程度寄った所で苦しそうな鳴き声を出して森の中へ走り去っていった。


「た、助かったー…。」


俺がその場でへたり込むと後方に居た一花達が急いで駆け寄ってくる。


「ハル大丈夫?怪我はない?…てかなんか臭くない?」


「そりゃ…あの男のズボンを見れば…。」


鳥居が指を差す方向を見るといずなまりゅーのズボンが股間の辺りから湿っている。鼻を突きさすアンモニアの匂いが辺りに充満している。


「へ…へっ、ヒ、ヒグマも大した事ないぜ。」


全身をガタガタ震わせながら失禁しながらも強がる所がさらに滑稽である。とは言え俺の窮地を救ってくれた恩人でもある事には変わり無い。


「いや、助かったよ!えっと…失禁くん!」


「ししししし失禁してねーわ!」


俺が失禁した事を言うが生配信なので虚勢を張るいずなまりゅーだが、この手を使わない手はないので俺が皆にヒグマ対策である作戦を伝える。


俺のヒグマを寄せ付ける力をプラスパワーとしていずなまりゅーの悪臭がヒグマを寄せ付けないマイナスパワー。


この二人が居ればヒグマが寄って来ても寄って来れない。しかも非常事態にはいずなまりゅーを肉壁にして逃げるという隙の無い作戦だ。


唯一の欠点は俺がアンモニア臭を我慢しなければならない事だが命には代えられない。


緊急処置として地上遊歩道を出るまで俺といずなまりゅーが先頭に立ち後方に一花達のグループという形で散策が再開される。


「いやー肉壁マイナスパワーくん!知床の大自然の中歩くの楽しいね!」


「だ、誰が肉壁マイナスパワーだ!」


いずなまりゅーが近くにヒグマが居る事ですっかり怯え迷惑を掛ける余裕もなく道中は俺の弄り役になってくれるので楽しくて仕方が無い。


その後はヒグマと遭遇する事も無く大自然を満喫すると饗庭と合流するため、高架木道へと入って行く。


「ハルさん…その男に何かされましたか?」


地上遊歩道から階段を上ると高架木道で待ち合わせをしていたヒグマと同等に恐ろしい饗庭が拳を鳴らしながらいずなまりゅーに迫る。


誤解を解く為に俺が先ほどのヒグマとの状況を説明すると疑わしい表情をするが股間の湿り具合を見て納得した。


安全地帯の高架木道に到着して皆がすっかり緊張の解けた中で俺がいずなまりゅーの前に立つ。


「いずなまりゅーさん…助けて貰ってありがとうございます。」


「へっ?あ…えっと…。」


俺がいずなまりゅーに頭を下げてしっかりとお礼を言う。今までお礼を言われた事がほとんど無かったいずなまりゅーが動揺している。


「どんなクソ野郎でも命を助けて貰ったお礼は言わないと筋が通らないでしょ。」


「ク、クソ野郎って…。」


「あとさ…ヒグマの件で一度死んだと思って生き方変えてみない?」


人が変わると良く言うがきっかけは自身が死にかける事、これが大いに影響する。


「…そう簡単には変えれねえよ…今日は興ざめしたから帰るわ。」


顔を俺から背けて静かな声でそう言い放ついずなまりゅー。


カメラの生配信を切ると高架木道の出口に向かって歩き始める。人から迷惑だと虐げられた言葉を掛けられ続けたその背中は体の大きさに反して小さく見えてしまう。


最初から人に迷惑を掛ける生き方をする人間は居ない。迷惑を掛けるだけでお金を簡単に稼ぐ方法があるのが一番悪いのだと俺は思っている。


「でも本当にヒグマが出た時はびっくりしたよ。」


「ねえ!私もびっくりしたけどハルちゃんって本当に誰からも好かれるんだね。」


「…もうヒグマに好かれるのは遠慮するかな。」


一花と前田が初めてリアルなヒグマを実際目の当たりにして少し興奮気味だ。俺はというと、もうヒグマに出会うのも舐められるも御免である。


野生のヒグマを堪能できた知床五湖での観光も終わり今日のキャンプ地へと向かって出発する。



知床横断道路と知床峠─


国道334号に再び合流すると知床峠に向かって坂道を登って行く。天気が晴れて霧がない状態だと素晴らしい知床の自然の景色が広がる。


ただ運が悪いと霧がかかって何も見えない事もある。知床峠に到着すると眼前に羅臼岳が堂々とした佇まいで知床峠を訪れる人々を歓迎してくれる。


知床峠にある駐車場で知床峠の石碑があるので全員で集まり記念撮影を行う。


記念撮影を終えると知床峠を後にして羅臼方面へと下り始めるのだが事前に皆に注意を促す。


「ここから道の勾配が厳しいのと鹿が多いから皆注意してね、分かってると思うけど餌はあげないように!」


「はーい!模範囚殿の言う事は守ります!」


脱獄囚の一花がビシッと敬礼して俺に応えてくる。


急な勾配とカーブを織り交ぜた道を下り終えると羅臼の町へと出る。そこから国道335号に合流して標津町まで南下を始める。



しべつ「海の公園」オートキャンプ場─


長い道のりを進むと標津町の町に入り、海岸線にあるキャンプ場へと受付を行う。時間も16時頃と少し遅めになってしまったが手頃な場所にテントを設営していく。


テントの設営を終えると買い出しついでにヒグマの涎の汚れを取るため日帰り温泉へと向かう。


『標津川温泉ぽるけの館』


「っはあーーー!気持ちいいねー!」


「っかあああああー!今日は良く走った!」


前田と俺が温泉に浸かると心地よさの余りいつものおっさん臭い声を上げる。


「でも、ハルちゃんのお陰で今日1日で取れ高マックスの映像が撮れたよ。これでまたチャンネル登録者が増えてウハウハかも。」


「それなら良かった私の体を張った命懸けの映像なんで存分に活かして下さいね。」


現金な発言をする前田だが、この屈託のない物言う性格がファンを作っているのだと思う。


「ところで饗庭さん…そろそろ離れてもらっても…。」


「ヒグマに汚されたハルさんのボデーと心は私が癒す!」


「闇落ちしかけたけど汚されてないから…。」


知床五湖の地上遊歩道で起こった出来事を標津町に向かいながら詳細に説明したら饗庭がこの調子で俺を気遣ってくれている。


そのお陰で前田が居ても自分の欲求を満たす饗庭。相変わらず俺の背中にびったりとくっついてくる、それを見た前田が少し引いている。


「あー…饗庭ちゃんってそういう子なのね…。」


一目で饗庭を瞬時に理解する前田、そういう子と意気投合して熱い握手をしていたのを忘れている様子だ。


しばらく温泉で過ごすと買い出しを行いキャンプ場へと戻る。


今回のキャンプは人数も多いのでBBQコンロを借りて買ってきたお肉、魚介類を一気に焼いて行く。今日の出来事で話も盛り上がり夜が更けて行く。


食事を終えると洗い物を済ませてそれぞれのテントへと戻って行くのだが、戻ろうとした俺に慶次郎が小さい声で声を掛ける。


「ハルちゃん…映像のお礼も兼ねて助さんの事だけど話があるからちょっとテントに来ない?」


「うっ…き、聞きたいかも…。」


鳥居の素性が前田夫婦の登場で少しづつ判明してきたのだがまだまだ謎が多い。もう少し知りたいと思っていた所だ。


人の過去に触れない…分かっている事だが本人に知られないし公表する訳では無いので問題は無い…と思う。


頭の中で天使と悪魔が戦っているが、間もなく悪魔が勝ったので前田夫婦のテントへとステップを踏みながら向かって行く。


本日の走行距離161km…網走監獄から始まり天に続く道に知床五湖、そしてヒグマとの遭遇…本当に天に行ってしまうかと思ったが今日も楽しい北海道ツーリングを過ごせた。

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