第38話 変態整備士(褒め言葉)

梅雨明けの宣言はまだされていないが今日の陽気は一際暑さを感じさせる。


こう暑いとバイクに乗るのも億劫になってしまうが俺は所用でバイクを運転中である。涼しさを取るために夏用のメッシュのジャケットを着ているがそれでも暑い。


信号機で停車している時はエンジンの熱でさらに体温が上昇していく。


こんな時期は短パンに半袖Tシャツ1枚で乗り回して行きたい欲求に駆られてしまうが安全面を考えてもそれは中々出来ない。というか足がエンジンの熱で火傷する。


特にバイクに乗車経験がある人は解ると思うのだが、バイクシートは通気性は皆無である。よって非常に蒸れるのだがおっさんライダーは特に気にしない。


もちろん俺もお尻の割れ目に沿ってスキニージーンズが汗での様になっている事に気付いていない。


「あっちいー…早く信号変われ!」


容赦なく照り付ける太陽の光を浴び続ける暑さの運転で少し苛ついてしまう。


最近は大河ドラマやバラエティ番組などの出演でCM以上の人気が出てしまっている。SNSのフォロワー数も最早人気お笑い芸人に引けを取らないくらいの数になっている。


俺の思惑とは違う力が働いている様な気がするが仕事は真面目に取組む姿勢の結果なのだ。今や変装セット無しでは外を歩けない位の知名度がある。


その分の反動が一部あるのだが…。


しばらくして目的地へと到着する。



ホン〇ドリー〇〇〇店─


「ふうー…やっと到着した。」


今回の目的は俺は愛車Rebel 250 S Editionをホン〇ドリー〇へと持ち込む事だ。北海道ツーリング前の事前の点検の為である。


駐車場にバイクを駐車させると冷房の効いた店内へと入っていく。開店したばかりなのか客は俺1人である。店内に入ると激渋なCB1100がお出迎えしてくれるだけで外で感じた暑さが吹き飛ぶ。


「お久しぶりですーハルさん。おしぼりをどうぞ。」


「こんにちは、お久しぶりです。」


受け取ったおしぼりで汗で濡れた顔を拭く…このルーティーン久しぶりである。


この気さくに話し掛ける女性は受付を担当している人だ、バイク購入時や初回点検なども同性という事もあり説明などをして貰った縁があるが女性ながら中々詳しい人だ。


「今回は2度目の点検でのご予約でしたね。」


「はい、北海道に行く前に点検をしようと思いまして。」


「ええー!北海道ですかー!高校生なのに凄いですね。」


北海道へ行く事を伝えると嬉しそうに笑顔で凄いと言ってくれる。普通の高校生は夏休みにバイクツーリングで北海道に行かないだろう。


他愛の無い会話をしつつもメンテナンスノートを取出しおしぼりと一緒に受付の女性に手渡す。


女性がメンテナンスノートを捲って確認していると俺のスキニージーンズに汗の後が残っているのに気付く。


「あの…ハルさん、お尻凄い事になってますよ…。」


「えっ!うそっ!」


お尻に手を添えるとしっとり汗の湿り気を感じる。


「うわあ…最悪だ。お漏らしみたいになってる…。」


「天気も良いですし、外に座って乾かしたらどうです?その間に点検の準備勧めておきますよ。」


受付の女性が乾かす事を勧めるので俺もそうする事にする。これを人に見られると流石に恥ずかしい。店内の自販機で冷たい水を購入すると外に設置されているベンチへと腰を掛ける。


「いやー…今日は特別暑い…。」


外に出るとむわっとした暑さを肌で感じる、梅雨明け前独特の蒸し暑さだ。水を飲みながら両足をパタパタさせてジーンズの汗を乾かしていると受付の女性がやってくる。


「ではハルさん点検の準備が出来ましたので時間ですが…2時間程お待ち頂けますか?」


「はい。」


少し時間が掛かるようだが初回点検に比べて長い様な気がする。まだ新車なのでそこまで掛かるとは思えないがこちらは素人、プロの仕事に口出す事も無い。


「それではお願いします。」


「はい、お預かりさせて頂きます。」


「少し離れますが時間になったら戻りますね。」


「ごゆっくりどうぞ。」


2時間も店内に居ると仕事がしにくいだろうと思いジーンズの汗も乾いたので、愛車のバイクを整備士に預けると俺は少し離れたコンビニへと向かって歩いて行く。


今回なぜ北海道へ行く前に点検へ出したのかと言うと一つの問題が出る。


北海道ツーリングの一番の主役は誰か?


そう問われたらもちろんバイクである。もしそのバイクが途中で動かなくなったとしたら?


意外と思うが北海道ツーリング中にバイクが故障する事が多い。原因としてはメンテナンス不足や普段と違う長距離の走行による摩耗、劣化などがある。


俺の様な新車であればほぼ問題は無い。だが長年乗っているバイクは要注意だ。長年乗っていると目に見えない部分が壊れてくる。


事前にメンテナンスをする人が大半だとは思うがそれでも、現地でトドメの一撃が入る時がある。だからこそ長旅する前は念には念を入れて必ずメンテナンスをする事にしているのだ。


俺がおっさんの時の経験談だが、北海道行きのフェリーに乗る1週間前にバッテリー故障が起きて自走が出来ず保険のレッカーサービスを利用して乗船1日前に交換して貰った経験がある。


この時の俺の焦りと言ったら三方ヶ原の戦いで武田軍に追われる家康状態だった。


メンテナンスと言えば最近のB〇Gモーターズによるニュースが話題となり車両の整備士、会社などに対して不信感を抱く人が居るかもしれない。


だがアレは極わずかの人々であり、一生懸命に真面目に取り組む人が大多数である事を忘れてはならない。


その人達のお陰で俺達一般ライダーはバイクを楽しめている。


ちなみに同居人の一花の愛車Ninja ZX-25R SEはライダーズマンション1階のレッドヴァイカントで点検を受けている…凄く近くて羨ましい。


「暑い中点検もやってもらってる訳だし菓子折りでも差し入れしよっかな…。」


これからも俺のバイクの面倒を見てもらう事と北海道をより安全に快適に走る為のメンテナンスを快く引き受けてくれている整備士スタッフ達のお礼も兼ねている。


本音を言うとB〇Gモーターズによる風評被害も多少は受けている真剣に取り組む整備士達を少しでも元気付けたいという気持ちが強かったのも要因だ。


ちょうどコンビニ近くに老舗の和菓子屋があったのでお饅頭や最中、水羊羹などを購入して、コンビニで人数分の冷たいお茶をを買い込み、ホン〇ドリー〇の整備場へと向かう。


「んっ?」


整備場が見えてくると何か様子がおかしい事に気付く。遠目に見ると俺のバイクのシートに顔を埋めている整備士が居る。この異常な状況に俺は建物の陰に隠れて様子を伺う。


「…。」


無言で俺のバイクシートにうず埋めて微動だにしない。これも新しい点検の一種なのだろうか。しばらく経つと顔を埋めた整備士が顔を上げる。


「…ハルちゃん臭、異常なしっ!」


(はっ?)


いや普通に考えて点検にハルちゃん臭の発言は必要ないはずだ。何か良く分からない状況だ。困惑していると違う整備士がやってくる。


「コラッ!お前!またそんな事やっているのかっ!」


先輩らしき整備士が整備場へ入って来るとバイクシートの匂いを嗅ぐ若い整備士に注意をしている。やはり間違った点検方法だったのだろうか。


「…ハルちゃん臭の点検は俺が先にやるって言っただろ!!」


(うんっ??)


そういうと先輩らしき整備士はバイクシートの匂いを嗅ぎ始める。その表情は真剣そのものでワインのテイスティングをするソムリエの様に一切の匂いを逃さないというプロの顔だ。


「先輩…ハルちゃんバイクって良い匂いしますよね。」


「ああ、いつもおっさん臭いバイクばかりだから余計に脳内にキマってくる…。」


俺のバイクの匂いの話題で盛り上がっているが俺の匂いでキメるのは止めて頂きたい。俺はそんなに良い匂いがするのか…。


「こんな暑い日のシートってお尻が蒸れるんですよね、これがまた芳醇な香りを醸し出すんですよ!」


「そうそう、お尻の割れ目に沿って汗ばむんだよな!さっきのハルちゃんのお尻…もう最高だ!」


2人の会話を聞いていると分かっていたが点検では無い様子だ。いや普通に見れば解るのだが信じたくない気持ちというのが強ければ強い程、現実逃避をするのが人間である。


「「はあーハルちゃんのお尻の香り!」」


2人のうっとりした表情を見ていたが流石のおっさんの俺が見ても少しキモい。ただまだ舐めまわしていないだけありがたい。何がありがたいかは分からないが。


「何をやっているんですか!二人共!お客様のバイクですよ!」


受付を担当していた女性が整備場に入って来て整備士の二人に注意をする。同じ女性として相当に気持ちが悪いだろうが心を鬼にして怒ってくれる事を祈っていると。


「ハルちゃんのジーンズが汗で湿ってた情報は私があげたんですよ…つまり私に優先権がある訳ですよーーーー!くんかくんか!」


(うっそだろ!ユーもかよっ!!)


救世主かと思ったら元凶だった件について。受付の女性も俺のシートに顔を近付けて3人仲良く俺のバイクのシートを嗅ぎ続けている。何なのこの状況は…。


名誉の為にこの整備士2人と受付嬢はとても優秀である事を言っておく。


バイクの購入時には受付の女性から得意気に整備士の2人は社内の2輪整備士の資格HMSEホン〇モーターサイクルエンジニアの1級と2級の資格持ちである事を伝えられている。


受付嬢に至ってはバイクの知識もさることながら他のお客の評判も抜群に高いし、地域でもトップの売り上げをあげている、つまりこの3人に悪い所は無いのである。


その分、俺はどうやってこの気持ちに整理を付ければ良いのか分からない。おっさんのお尻の匂いを嗅ぐこの3人に対してだ。


「ハルちゃんやっぱいいよねー犬の里親の件で凄いファンになっちゃった。」


「俺は1日署長の啖呵切りが好きかなー本気度合いが良いし。」


「大河ドラマも出演するって言ってたし最初の頃に比べて出世したよなあ。」


どうやら3人は俺のなファンだった様だ。TVでの俺の活躍を見てくれている。


3人が俺のバイクを囲い各々の俺に対する思いを話し合っているが否定的ではなく好意的に見られているという事は頑張った甲斐があったというものだ。


3人の変態行為をホン〇本社に電話を入れるのは止めておくことにする。


「いいですか!私が折角2時間も時間を稼いだんですから1時間はテイスティングしていいですけど残りは死ぬ気でお願いしますよ!」


「「りょっ!」」


衝撃の事実を受付の女性から告げられ2人の整備士が軽く返事をする。うーん…そういう時間割なのか、どおりで長いと思った。


あれテイスティングだったんだ…やっぱりホン〇本社に電話してやろうか。


その後はしばらく俺のバイクを俺に見立ててテイスティング点検を続ける整備士2人。


しばらくすると違う客が来たので慌てて変態整備士が全員整備場から出ていくと俺はその隙を見て店内へと入っていく。


「あ、あの良かったこれ、休憩時間にでも食べて下さい…。」


苦虫を嚙み潰したような笑顔で俺はお饅頭と最中、お茶を差し出すと受付嬢が満面の笑みで受け取る。


「はははは早かったですね!あ、ありがとうございます、皆凄く喜びますよ。」


予定より早く戻ってきた俺に少し動揺する受付の女性。心なしか冷や汗が凄い。


そう言うと受付の女性は整備士やスタッフ達に差し入れが入った事を伝えて行く。すると先ほど俺のバイクのシートをテイスティングしていた変態整備士がやって来る。


「ハルさん差し入れありがとうございます!しっかりと整備するんで北海道楽しんで来て下さい!」


太陽の様に眩しい笑顔でポーズを決める整備士、先ほどの場面が無ければ超絶有能整備士に見えるのだが俺には変態の称号が輝いて見える。


だが彼らは優秀なのは事実だ。靴下にゴルフボールを入れてバイクのタンクを殴られる位ならシートの匂いを嗅がれるくらい些細な事である。


実際にゴルフボールアタックをやられたらそいつをバイクの後ろにロープで括り付けてマッドマックスみたくしてやるが。


不安ながらも彼らを信じて行こうと思う…メンテナンスの部分だけは。



整備も終わりバイクを受け取ると今回の点検で気になった点と変更点などが伝えられる。バイクのフロントブレーキハンドルに遊びが無かったので遊びを入れた調整を行った様だ。


「…と言う事で北海道楽しんできて下さいね。」


「はい、ありがとうございました。」


受付の女性から暖かく見送られながら俺はホン〇ドリー〇〇〇店を後にする。


これでようやく北海道へ行く準備が整った。少し見たくなかったものも見てしまったが以前言った通り、俺は北海道へ行く為ならなんだってする。


例えそれが3人の顔の温もりが残るバイクシートに跨ってもだ。


「…。」


帰り道、二りんかん某埼玉店に向いメッシュシートを購入した。もう二度と汗でお尻を濡らさない為である。俺は反省したら強いのだ。


念のために言っておくがこれはフィクションである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る