第28話 僕らの3カ月間戦争

「ねえーハル、あなた一月前と最近と銀行からお金下した?」


5月の終わりも近いこの日、休日を家でゆっくり過ごしていた俺に話し掛けてくる母、俺の預金通帳は母に預けている。そして無駄遣いをしていないか定期的に監視をしている。


お金を下した事だが俺はしっかりと覚えている。なぜなら北海道へ行くためのフェリーを予約したからである。


現在、本州から北海道へ向かう客船は、津軽海峡フェリー、青函フェリー、シルバーフェリー、商船三井さんふらわあ、新日本海フェリー、太平洋フェリーである。


その中でも関東から出発する場合は新日本海フェリーと商船三井さんふらわあの2つに絞られる。


以前は2カ月前からの予約が可能であったが、最近になり3カ月前から予約が可能となった。つまり、8月のお盆シーズンの予約は5月に終わらせておかないと乗船できないのである。


それだけ北海道ツーリングは人気なのである。


「ママ、それ北海道に行く為のフェリー代金を支払った分ね。の。」


母の質問に答える俺、これが失敗の始まりだった。


「え?ハル、行きの分と帰りの分って1も北海道に行くつもりなの?」


「え?そうだけど…。」


もちろん、そのつもりだ。グラドルの仕事で大分資金も貯まり金銭面の心配は無くなった。後はどのように豪遊してやろうか悩んでいる位だ。


学生は社会人と違い7月末から8月いっぱいまで夏休みである。しかも資金も潤沢なら長い期間も滞在可能だ。


「…はーい、パパ呼んできてー家族会議始めますー。」


母がそう言うと俺に父を呼ぶ様に促す。書斎で動画編集に勤しんている父を呼び家族会議が開かれた。


「議題、ハルの北海道ツーリング期間について!」


母が議題を発表する。北海道ツーリングの許可は以前の家族会議で得ているはずだ、となれば期間も自由にして良いはずだが、父と母の顔が険しくなる。


「いくらなんでも1カ月は長すぎます。」


「ハルっ!そんなにパパとママと離れて寂しくないのかっ!!」


全然寂しくはない、母とは少し寂しいと思うけど父は別だ。しかしたかが1カ月…そんなに長くはないと思うのだが。


「高校1年生の女の子が1人で1カ月も旅するなんて聞いた事がありません!!」


あっ…そう言われて思い出した。


俺は今高校1年生の女子(45歳)であった…。もう感覚がおっさん時代の独身貴族のままですっかり忘れていた。…と言う事は今まで予約した件も無しという事になる。


「2週間!2週間だけなら北海道の滞在を認めます!!これが最大の譲歩です。」


母がきっぱりと条件を突き付ける。父はちょっと長いよと言う顔をしているが母には逆らえない。


「マ、ママ上…もう一声っ!後、プラス1週間欲しいナリ。」


コ○助の様におねだりで母と交渉する俺。だが母は腕を交差させて拒否のポーズを取る。


「絶対ダメです!何がナリですか!これで家族会議を終了します!」


余裕を持って予約したはずの北海道行きのフェリーの予約が無駄になってしまった。折角、豪勢に個室を取ったのにまた一から予約の取り直しである。


自室に戻りノートPCを開き泣く泣く取れた予約のキャンセル手続きを行う。予定を伝えてなかったのは迂闊であった。


虹色自動車教習所─


「…って言う事があってさ、本当に参ったよ。」


俺が一花の教習の休憩時間に愚痴をこぼす。


「1カ月も行こうとする方が普通におかしいんだけど…2週間でも多いくらいじゃん。」


意外と常識人な一花の反応にちょっと冷たいと思う俺。


「はー…また予約の取り直しだけどキャンセル待ちが一番嫌なんだよね。」


予約が埋まっているとキャンセル待ちで予約が出来るのだが出航間際になっても連絡が来ないとアウトという無慈悲な結果になる。


しかも3のだ。


なので俺はキャンセル待ちが物凄く嫌なのだ。


「ってかさ、私も行くから。」


「ん?どこへ行くの?」


一花がどこかへ行きたい様だが、トイレにでも行きたいのだろうか。


「…だーかーらー北海道ツーリング!!」


「はい?」


一花の急な発言に理解が追い付かない。思考が回り始めると常識という言葉が頭を巡る。これはおっさんとして止めなくてはならない。


「な、何を言ってるんだ!16歳の女の子が2週間も家を離れちゃ駄目だろ!!」


「ちょ…ハルあんたさっき両親が2週間だけ許可して貰ったって言ってたじゃん!!それにあんたも16歳でしょーがっ!」


ああ、父と母の気持ちはこんな感じだったのか。自分の発言の矛盾に今更ながら気付いた。男ならまだしも女の子を1カ月も北海道ツーリングは正気の沙汰ではない。


それに高校生とは言え芸能活動をしている社会人だ、自分で言うのも何だが会社で売れっ子の俺と一花が8月の半分を抜けてしまうのだ。その事も完全に失念していた。


「まっ、と言う事で予約や予定の一切合切を全部お任せするからね!」


「う、うーん…。」


俺に全てを丸投げする一花がそう言い残すと教習の時間になりコースへと下りて行く。こうなった責任を感じる。


まさかの一花の北海道ツーリング参加宣言を受けるとは思わなかった。スケジュールの件も含めてマネージャーの饗場あえばに相談してみる。


スマホを取出しマネージャーの饗場に連絡を取る。


『はい、饗場です。』


饗場に8月のスケジュールを確認して貰う。


『ハルさんの8月のスケジュールですが…8月の初めからお盆休み前は全部、完全復刻ドキッ水着だらけの…』


そこまで言いかけた饗場に被せるように。


「ほんっとうにすみません!そのお仕事お断りしておいてくださいっっ!!!」


おっさんの幼少時代にやってたバブリーな番組が復刻するようだが速攻でお断りを入れる。ポロリもあるよ!がサブタイトルだった気がする。


俺の体ならいいが、ハルの体を勝手にポロリする訳にはいかない。むしろポロリよりもボロンが正しい表現だ。…今の時代に放映が許されるかどうかは神のみぞ知る。


『でしたら今のところ予定は入っていませんけど。どこか出掛ける予定でも?』


電話で饗場に北海道ツーリングの話をする、俺の予定は饗場が責任者として管理しているが一花は佐竹が責任者となっている。予定を擦り合わせるとしたら佐竹とも話をしなくてはならない。


『私の方で佐竹に確認してみますが、一花さんは結構な予定が入っていたはずです。とりあえず聞いてみるだけ聞いてみます。』


「お願いします。」


電話を切るとすぐに予定の調整に入る。俺の予定は8月中は空いている、今年のお盆休みの期間は長くても8月11日~8月20日の間で行きのピークは8月11日の前後、帰りは8月20日の前後となる。


2週間の期間を上手く乗船のピークから外し、なおかつが出来る事の日程。


8月9日~8月23日を北海道ツーリングの日とするっ!デデンッ!


この日ならば予約キャンセル待ちも空く事が大いに期待できる。スマホの予定表に北海道ツーリングの行程を入力して忘れない様にしておく。


『プルル!プルル!…』


俺のスマホが鳴る、佐竹からの電話だ。


『もしもし、ハルさんですか。饗場から話は伺いました。』


佐竹から一花の8月の予定について聞いてみる。やはり予想通り、ほぼ仕事で埋まっているそうだ。


「8月9日から23日まで空ける事は出来ませんか?」


『うーん…難しいですね。ですが一花は言い出したら絶対に諦めませんからね。少し仕事内容を精査してみますが、場合によってはハルさんにもご協力をお願いするかもしれません。』


一度、8月中でないと外せない仕事かどうか確認をして貰う、俺が手伝って空くのなら少しは手伝ってやるさ。


佐竹が電話を切ると丁度、教習が終わった様だ。一花が階段を駆け上がってくる。


「あーバイク楽しすぎ!早く免許取りたいなあ。」


笑顔の一花を見たら、なんとか北海道ツーリングに連れていってやりたい気持ちが出てくる。仕方ない…一から計画の練り直しだ。


自宅─


一花を見送ると自宅へ戻って自室にあるノートPCを開く。


今回利用する予定のフェリー会社は『新日本海フェリー』だ。


航路は新潟から小樽、新潟から秋田を経由して苫小牧と2ルートある。ここは新潟から小樽ルートを選択する。単純に到着時間が早いからである。


次に部屋の等級だが、行きは特に気にしなくても良い。問題は帰りである。帰りは北海道ツーリングで全てを出し尽くした後だ。やはり個室であれば疲れの取れ具合も違うのだ。行きは良い良い帰りは豪勢に!が鉄則だ。


ということで行きはそこそこ良い所を、帰りはスイートを予約しておいた。金が有る者が北海道ツーリングでは優先されるのだ。フフフ。


ちなみに俺が乗る船は客室で一番等級が低い物でもいわゆるタコ部屋ではない。今は個別にベッドが分かれていてある程度はプライバシーが保たれるようになっている。


【予約キャンセル待ちを受け付けました。】


これで良し、後は空きが出る事を祈るだけである。


空きが出るとメールが返ってくる、注意すべき点は空きのメールが届いてから支払期日内に支払いを行わないと次のキャンセル待ちの人へと空きが行ってしまう事。


その為、メールが来るまで恋人からの連絡を待ち焦がれる乙女が如くチェックし続けなければならない。慣れれば結構楽しいのだが初心者は気が気ではないと思う。


後日、佐竹から連絡入り一花の8月の予定を空ける事が出来た。もちろん約定通り俺が手伝いをする事が前提で組まれている。


そこで一花と一緒に北海道に行くまでの行程を詰める為に学校の近くの駅前のスターバックスに集まる事にした。


駅前スターバックスコーヒー─


「…という事で予約はまだ未確定ですが大まかな予定が出来ました。一緒に確認していきましょう。」


「わかりましたハル先生。」


一花が俺の事を先生と呼ぶが少しむず痒い。芸歴では圧倒的に先輩なのもある。


「まず当日は関越自動車道の三芳PAで集合した後に新潟まで走ります。」


「ちょっと先生!質問あるんだけど。」


まだ始まってすぐなのだが、一花の質問が飛んでくる。


「新潟より大洗のフェリーの方が近いんじゃないの?」


実に初心者らしい質問だ、おっさんは語る事が好きなのでウキウキで答える。


「大洗は商船三井のフェリーが出ていますが関東圏から距離が近い分、予約競争が過酷です。さらに新日本海フェリーに比べて料金もシーズン中は割高なので資金もより多く必要になります。」


「へー…じゃあ青森まで走ってフェリーに乗るのはダメなの?」


もちろん青森まで自走でのフェリー乗船は有りであるが、言うは易く行うは難しなのだ。


「関東から青森までの距離は約700kmを超えるのでガソリン代、高速代、長距離走行による疲労、すべてが割に合っていません。何より疲労による事故の可能性もありお勧めはしません。」


「ふんふん…色々な行き方があると思ったけどどれもメリットとデメリットがあるんだね。」


特に学生の俺達なら何も問題は無いが社会人となると話は変わる。恐らくほとんどの社会人の北海道を目指すライダーは仕事が終わってすぐに出発をするはずである。


となると仕事の疲労も残っている、出航時間に合わせて無理な走行と焦りを生み居眠り運転などの事故を誘発する。連休初日に事故は悲惨の一言に尽きる。


「というかコレって高校生じゃ絶対無理だよね。よく行こうと思ったね。」


一花がフラペチーノを啜りながら割と当たり前の事を言ってくる。


「…まあもう半分意地かな。一花も一度行けばきっと気に入ると思うよ。」


俺もコーヒーを啜りながら答える。普通の高校1年生では稼げないお金を持っている俺達だから出来る事だ。とにかく北海道ツーリングにはお金が掛かる。


「あっ…行き方はいいんだけどさ、何泊もするんでしょ?着替えはどうするの?」


うーん…やっぱりそこに気が付くよね。おっさん時代には色々とが利くが年頃の女の子には厳しいかもしれない。


「…着替えは多くても4日分、3日分がお勧めかな。それ以外にもバイク用ジャケット、合羽、寒さ対策にインナーを上下1枚づつ。それがバイクに積載できる限界だと思う。」


それを聞いて放心状態になる一花。話の内容がよく受け入れられてない様だ。


「…ん?2週間行くんでしょ?3日分じゃ足りなくない?」


「だから3日毎にコインランドリーやホテルの洗濯機で洗濯をします。」


フラペチーノのストローを咥えたまま硬直する一花。すぐに我に返り勢い良く文句を言い始める。


「ちょっと!絶対嫌なんだけど!知らない人に見られるし!」


「大丈夫だってそんなに人居ないし、乾燥機もあるし。」


年頃の女の子には恥ずかしいかもしれない。俺がフォローをするが現実問題、乾燥機の後は畳む工程もある。よっぽどの変態さんでなければ凝視される事は無い。


「だってT○ックとか見られたくないし!!」


「ブッフォーーーーー!!」


コーヒーを吹き出す俺。なんで高校1年生がそんなの履いているんだと思ったがライダースーツやスパッツ系インナーなどの体にフィットする服には通気性は抜群である。


「…まあそんなの持ってないけど。」


「もってないんかーーい!!」


盛大にツッコミを入れる俺、コーヒーとドキドキした俺の純心を返して欲しい。


「…人や天候によっては2日間、同じ下着を付けてる人もいるから頑張れば洗う回数を少なくできるけど。」


俺が妥協案を提案すると一花が表情を強張せて嫌悪感を示す。


「うっそでしょ…北海道へ行くライダーって汚くない?」


「全員がそういう事をしてる訳じゃありません!」


全く、気持ちの良い人達に向かってなんて事を言うんだ。俺なんておっさん時代に3日間履きっぱなしの記録保持者だぞ。これを言ったら軽蔑されそうだから黙っておく。


ちなみにその下着の匂いを嗅いでフレーメン現象になっていたのも内緒だ。


「うーん…という事はさ。」


「うん?」


。」


「それを言っちゃーーーーおしめえよぉーーーー!」


寅さんの物まねをしてツッコむ俺。不便さも北海道ツーリングの醍醐味、雨風を凌げる車なんかの便利な物は年を取ってから使えばいいのだ。最近の偉い人にはそれがわからない。


「…あとさなんでお盆休みに行くの?混んでる時期を避けた方がいいんじゃない?」


「フフフ、良くぞ聞いてくれました。」


俺が一番こだわるこの期間、なんでわざわざ混んでいる時期に行くのか。通常であれば空いている時期に行くのがセオリーである。


「お盆休みに行く理由はまず一つ!ホクレンというガソリンスタンドでエリア毎に決まった色のフラッグが手に入ります!」


「フラッグって何?」


「北海道ツーリングを実感する為に絶対に必要なアイテムです。」


「北海道に行ってるのにそんなのが必要なんだ。」


通称ホクレンフラッグ、赤、青、黄、緑の4つのバージョンがある。道央、道南、道北、道東で色分けされている。これをバイクの荷物に掲げて走るのが醍醐味である。


俺ってこんなに北海道を周ってるんだぜー!というアピールも出来る優れものだ。

ただし、お盆休みを過ぎるとフラッグが売り切れる店舗も増えてくるのでこの時期を設定したのもある。


「それと最後の理由ですが、北海道を走るライダーがだからです。」


「意味分かんないんだけど…。」


言ってる事が矛盾して意味も分からないと思う、だがこれこそが一番大事なポイントだ。


「ライダー同士でがいっぱい出来ます。」


俺が目を輝かせながら椅子から立ち上がって拳を握りながら熱弁をする。


「ヤエーって何?」


「ライダー同士の挨拶です!対向車線から走ってくるライダーに向かって手でジェスチャーする事です。」


ヤエーと言われても若い子は分からないと思う。俺が物凄い笑顔で腕を上げてピースサインをして実演をする。一花がそれを冷静な目でじーっと見る。


このコミュニケーションこそが俺が一番大好きなのである。俺は楽しんでいるぜ!お前はどうなんだい!もちろん楽しんでるぜ!!という心のコミュニケーション。


しかも北海道ならばほぼ100%の確率で返事を返してくれる。中には車からヤエーをしてくれる人もいるので楽しくて仕方ないのだ。


「ねーそれってコッチでも出来なくね?」


頬杖をついて一花が無表情で俺に問いかけてくる。俺は静かに席に座りモジモジしながら人差し指同士をちょんちょんと突合せ赤面しながら恥ずかしそうに答える。


「…返事くれないと、恥ずかしいから。」


「ライダーは乙女かっ!!」


一花のキレのあるツッコミが入る。返事がないヤエー程、悲しい事は無いのだ。それは何歳と年を取っても変わらない。ライダーは皆、心は乙女なのである。


3日間下着を変えないが。


という事で無事に工程会議は終わり解散となる。あとはキャンセル待ちとの戦いである。早ければ数週間、遅ければ1、2カ月後となる。


長いキャンセル待ちとの3カ月間戦争である。

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