第9話 洗礼の引き起こし
虹色自動車教習所、そこそこ利用者からの評判も良く駅前からも送迎のバスが多く出ており通うのにも困らないのと早めに入校手続きが出来たのも決め手となった。さらに嬉しい事に4月に入り教習所に通う生徒も一気に減り教習の予約が取れやすくなっている。
「うっわー懐かしい、昔行ってたとこより設備良いし。」
持参したヘルメット、バイクシューズと教習所で用意されているグローブ、プロテクター、ゼッケンを付けながら周りを見渡す。無料のお絞り置き場に菓子パンの入った自販機、バイクの雑誌を並べた棚に壁際には有名人が指導員とバイクと一緒に写った直筆サイン入りの写真が飾られている。
「やっぱり同い年は居ないかな。」
同年代を探してみるが2輪免許の生徒は当然4輪免許に比べて年齢層は高い、周りで雑談しているのも知り合いか同年代同士である。光太郎時代は年代も近い事もあってか、免許を取ったらどこへ行くなどの話でおっさん同士盛り上がったものだ。
『ゼッケン〇〇から〇〇までの方は準備をお願いします。』
受付からのアナウンスで待ってましたとばかりに急ぎ足でコース内へ降りる。
2輪教習場コース内─
鼻息が凄く荒いのが自分でも解る。約1年振りの本物のバイクを目の前にして運転したい衝動を理性がギリギリの所で抑えている。その挙動不審な俺を見て一緒に教習を受ける他生徒が少し引いている。
今日の教習は俺を含めて4人で同じ内容を共にする様だ。名前が解らないので略称でA、B、Cとしておく。
A…20代少しオタクっぽい若い眼鏡の体のがっしりした体育会系、俺の事をチラチラ見ている。
B…30代の少しふっくらしているがショートの良く似合うお姉さま。
C…50代の日本人体型のおっさんお腹が少しぽっこりハゲてるがえびす様みたいな顔。
そして担当する指導員なのだが筋肉質で硬い表情をした両津〇吉みたい人が出て来た。酷い例えようだがそのままなのだ。
「こんにちは、指導員を務めます
この時点で俺とCだけが笑いを我慢して少し噴き出す。もう片方はどうした。
片津はフランク気味な喋り方をしながら名簿で教習を受ける人員を確認していると、俺の名簿で手が止まる。そして俺に視線を送り笑顔で話し掛ける。
「ハルさんちゅーのかい?いんやー16歳の女の子が来るなんてすんごいね。」
「いえ、全然そんな事ないですよ。」
褒められてはいないのだが凄いと言われると単純感情構造なので嬉しい。一緒に受けるA、B、Cも少し驚いた様子だ。大学生にでも見られていたのだろう。
「女の子にゃー大変かもしれないけど引き起こし頑張ってみよか?」
片津がそう言うと事前に準備していた倒したバイクのもとに案内する。早速バイク乗り最初の洗礼であるバイクの引き起こしだ。これが出来ないとバイクに乗る資格は無いと言っても過言ではない。
「まーこうして…よいっしょと、カンタンでしょ?コツは足の使い方やね。もう一回やるからじっくり見てね。」
当たり前だが片津は何の問題も無くバイクを起こす。何度か起こし方をゆっくり行い説明をする、出来るだけの人間しか分からない説明でなく分かって貰おうとする丁寧さに結構好感が持てる。
「ほんじゃAさんからやってみよか。」
片津からのご指名でAが早速取り掛かる、時間は掛ったが腕の力で持っていった感が凄い。そして俺の方を向いて力あるアピールをしてくる。なんやねんこの眼鏡。
Bは長い時間を掛けてトライしていたが時間切れで片津が補助する。
Cはお腹のお肉が邪魔していたがなんとか持ち上がる。汗をかきながら顔が真っ赤である。
「じゃあ、最後はハルさんやってみよっか。」
片津がバイクをゆっくり倒すと、俺はバイクの側にしゃがみシートに胸を当てて両腕を広げ左手を左ハンドル、右手をサイドバーを掴んで持ち上げようとする。
「んっ…むぅ…。」
力を入れた瞬間にシートに押さえつけられたお胸が逃げ場を失ったように胸部プロテクターからお胸がこぼれそうになるが気付かないまま目をつぶって一気に持ち上げる。やっとバイクが真っすぐ立ちサイドスタンドを入れた瞬間にコース内から転倒音が連続して響き渡る。
『ガシャーン!…ゴン!!…ギャリギャリ!!』
俺のバイク引き起こしを注視していた教習中の生徒何人かが運転中コースを外れたりしてバイクを転倒させている様だ。何人かの指導員もこちらを注視していたが音に気付いてすぐに転倒者の所へ補助しにいく。
「あちゃー…大惨事だ、ちょっと転倒者起こしにいくからまっててね。」
片津はそう言うとコース内に行き転倒者のフォローを手際よく行い直ぐに戻ってきた。プロテクターのお陰で怪我をした生徒は居なかった。
「いんやー数台が同時に転倒するなんて珍しい事もあるもんだねぇ。」
片津が珍しそうに話をしているが俺と片津だけ転倒した原因に気付いていない。一緒に居たA、B、Cは原因が俺の胸だと気付いていたので俺の体を凝視していた。
(((末恐ろしいわがままボデー…。)))
その後、卒業するまで指導員の間で俺の二つ名が破壊神ハルと呼ばれていたのはまた別の話。
残りの時間でバイクについての基本的な操作方法、乗降の仕方を学んで1時限目が終了。楽しい時間というのはあっと言う間に過ぎ去るものだ。
教習所控室─
「ハルちゃんって言うのかな?ちょっといい?」
休憩時間を控室の椅子に座っておしぼりで顔を拭いて休んでいるとお姉さまのBが話し掛けて来た。その手には冷たい甘いコーヒー缶が握られていた。
「これ奢りだから飲んで、代わりにさバイクの引き起こし方のコツ教えてくれない?」
バイク引き起こしで失敗した事と、俺が苦も無く引き起こせた事を見て力だけでないと思ったのだろう、真剣な顔である。俺自身も引き起こし慣れしてる訳では無いが力を加える方向性と姿勢を身振り手振りで説明する。
そこに割って入る様にオタクっぽいAが横やりを入れてくる。
「バイクの引き起こしなんかは無料動画サイトに腐る程アップしてますよ。」
Aが自慢の眼鏡を指でクイッと上げながらドヤ顔…したり顔で言ってきた。
昨今あらゆる動画がアップされている世の中、誰でも出来るような説明はされているが自分が実践となると本質はガラリと変わる。
「君ね、見るのとやるのは別問題だよ。それに君の引き上げ方は腕の力に頼ってる部分が大きいからいつか腰を壊すよ、現にその腕、力入らないんじゃない?」
少し呆れた口調で俺がAに優しく諭すと図星を付かれたのかAの顔がビクッとする。
「むっ…。」(確かに今腕に力入らないんだよな。)
若い時は体を壊す事があまり無いため、壊すという恐怖を知らない。
特に腰などは一度壊すと二度と治らない可能性が高い、酷い場合だと人生に影響が出る事もある。引き続きAとBに説明を続ける。
「…バイクの重量は中型バイクで200kg、大型バイクで300 kg、ハーレーのツーリングシリーズに至っては400kg以上あるけど、そのどれにも女性ライダーはいるので引き起こしは必ず出来るようになりますよ。」
不安そうな顔をしていたBの表情が一気に明るくなり、Aも俺の話を食い入る様に聞いている。
「まずは引き上げやすい体勢、上半身だけに負担を掛けない自分だけのスタイルを確立させると自信に繋がりますし、冷静に対応出来ると思います。今は何度だって倒して良いんですからゆっくりやっていきましょう。ねぇ。」
AとBのすぐ後ろで聞き耳を立てながら必死にメモ帳にメモをしているCさんに気付いた俺が声を掛けて手招きする。
「…いやはやバレてましたかハハハ。ハルさんの話はためになる。」
その後は3人の質疑応答などで会話が弾み、遅れながらお互いの自己紹介を行っていった。
A…『
B…『
C…『
ここで一緒になったのも何かの縁と吉川さんに言われライン交換の流れとなった。
俺としては森だけとは交換したくなかったが泣きそうな顔をしてるので仕方なく教えてあげると飛び跳ねて喜んでいた。
「お、女の子のしかも美女の連絡先が初めて登録されたーーー!!」
控室中に響く声で叫ぶ森、俺と前田さん吉川さんが苦笑いしながら森の事を見つめる。
人の出会いは一期一会、連絡先を交換したがこれ以降連絡を取る事は無いかもしれない。けどバイクがきっかけの折角の縁は大事にしていきたいと思う。
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