第32話 寿命
俺はテスラの言葉に絶句した。
――犬の寿命、それは人間よりも短い。そしてテスラの身体となった犬は、俺が転生した時から老犬の年齢だった。
おそらくテスラはもう十五歳を超えている。
犬の寿命は確か十三年くらいなので、すでに死んでもおかしくはないのだ。
「て、テスラ、冗談はよせよ……お前はほら、魂が人間だからもっと生きれる……」
『君も考えれば分かるはずだ。肉体が死んだら終わりだよ。そして僕は実はもう死んでいる』
「……!? で、でも喋ってるじゃないか」
「魔法で死体に魂を固定しているだけだよ。死に際になってようやく魂を縛る方法が分かった」
……俺はテスラの寿命について、何故思い至らなかったのか。いや違う、きっとどこかで考えないようにしていたのだ。
「え、えっと。じゃあこの身体を返して……!?」
『それは不要だ。僕はここで死んで、その身体は本当の意味で君のものになる。それが僕が今まで悩んで決めた結論だ』
「……!? で、でもそんなことしたら……!」
テスラの考えがわからない。
死にそうだから身体を返せと言われるなら理解できるが、この身体を俺に渡して自分は死ぬ!? そんな馬鹿なことがあるか!?
『君はもう僕の身体で五年近く生きてきた。もう両親もアーガイも誰もが、君こそが僕であると思っているよ。そこで僕が成り代わったところで偽物にしかならない』
「そうは言っても死ぬんだぞ!?」
だがテスラは小さく首を振るだけだ。
『……最後だから本心を話そう。僕はね、実は君に身体を奪われたことに感謝しているんだ』
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僕は病気で死ぬ直前、どうしても死にたくないと願ってしまった。
結果として転生魔法を思いついてしまい、死が迫っていたのもあって発動してしまったのだ。
両親の死をなんとかしたい、周囲の親しい人が死なないようにしたい。そして自分が死にたくないと。
気が付くと僕は五歳の身体に戻って、ベッドで寝込んでいた。
「……なんてことをしてしまったんだ」
自分のしでかしてしまったことに、思わず頭が痛くなる。
過去に戻るということは、今後の自分の行動次第で未来が変わるということだ。
僕が自分が幸せになるように動けば、きっと両親や周囲の者は助かるだろう。だがその一方で、その余波で損をする者が必ず出てくるはずだ。
例えばしばらくすると川の氾濫が起きて、本来なら我が領地は大損害を受けるはずだ。もしそれを防げば両親も領民も幸せになれる。
だがその一方で川の氾濫を利用して、交易で儲けた商人もいたのだ。そんな彼らの利益を奪ってしまう。
これはあくまで自分が咄嗟に思いつく範囲のことだ。実際はもっと大勢の者に影響を与えてしまうだろう。
我が家が廃絶されることで新たに貴族になれる者がいた。うちの領地で疫病が流行したことで薬が生まれて、他の土地で助かったという話も聞いた。
どちらも僕が未来を変えれば起こりえないことだ。
つまり僕が今からやろうとすることは、自分の願望のために他に不幸を強いることになりえる。
だが僕は未来を絶対に変えたい。ここまで来て、他の者に気を使って両親たちを見殺しにするなんて耐えられ……っ!?
そう思った瞬間、僕の背中からなにかが叩きつけられた。
一瞬意識が飛んで、気が付くと僕は自分の姿を見ている。
「ワン! ワン!」
思わず声をあげるがまともに喋れない。まるで犬のように吠えることしかできなかった。
いやよく見ると自分の手は、毛むくじゃらで肉球が……!?
そんなことを考えているとミーナが部屋に入ってきた。そして彼女は僕と話し始めたのだ。
「なにを言ってるんだ? 俺はそんな名前じゃ……」
「なにを言ってるんですか? 寝ぼけてるんですか?」
そして僕の身体は目を見開いて、近くにあった大きな鏡を見たのだ。
明らかに現状に困惑している様子だ。これは……まさか、僕の転生魔法が他の魂も呼び寄せてしまったのか!?
その魂が僕の身体に入った結果、玉突きみたいに僕は追い出されたと!?
し、信じられない。だが実際に目の前に起きているのは事実だった。
もう一度転生魔法を使いたかったが、この犬の姿では魔力が足りない。仕方がないのでひとまず自分の身体を見張ることにした。
なにせ僕の身体はすさまじい才能を誇っている。もし今の持ち主が悪意ある者ならば、この領地を滅茶苦茶にすることも簡単なのだ。
…………いざとなれば、今のうちに不意打ちで殺すべきかもしれない。僕も自分の身体に戻る術を失うが、自分の身体が悪用されるよりはましだ。
だが僕の身体の持ち主は、特に悪いことをする雰囲気はなかった。
様子をずっと眺めていたがなんとなく悪い者には見えない。
……もしかしたら彼を利用して、僕の願いを叶えることができるかもしれない。
それに彼ならば僕とは違って、自らの意思で転生した者ではない。つまり彼が未来を変えたとしても、それを責められる理由はないはずだ。
僕が未来を変えるのはクズでしかないけどね。
これは賭けにはなるけど、彼にレイの望みを託してみることにした。
そうして時間は経ち、川の氾濫を防いだ後だ。
(まさか川の氾濫を完全に止めるなんて。正直、今の僕の魔力じゃ難しいと思っていたのに)
川の氾濫を完全に防ぐのは難しいと考えていた。
仮に僕が自分の身体をそのまま使っていても、完全に防ぐのは無理だった。川のため池を咄嗟に造るというのは思いつかなかったのだから。
だがそれよりもアーネベルベ令嬢の件で驚かされた。まさか彼女と和解する未来があるなんて、僕にはまったく想定していなかったのだから。
(信じられない。まさかあのワガママ令嬢と……これならレイディアス家の支援がもらえて、うちの領地は安定する……!)
レイは僕よりもよい未来を導いたのだ。
僕の望んだ以上の未来を叶えてくれた。ならもう、僕がここにいる必要はない。
そして両親も伯爵もアーネベルベ令嬢も、見ているのは僕ではなくてレイなのだ。
レイには僕のような自分の望みのために、過去を変えようとした罪もない。いやむしろこの罪のために、僕が犬の身体になったのではとも考えたことがある。
結局のところ、一言でまとめるならば。
――僕よりもレイの方が、テスラとして生きるにふさわしい。
好んで死にたいわけではない、だけど思ってしまったのだ。
『だから僕はここで死んで、これからは……いやこれからも君がテスラとして生きて行くんだ』
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