第28話 憧憬


 私は目の前の惨状を見て唖然としていた。


 ようやく身体の麻痺がマシになっていて、ふらふらと立ち上がる。


「し、信じられない……水魔法を自由自在に操るばかりか、大量の人間を飲み込みながら魔法を持続させるなんて」


 まず水に竜を象らせる時点で簡単ではない。


 そして水流は普通ならば敵に向けて攻撃するのに使うが、自分を守るために維持するなんてしない。


 いや正確に言うならできない。


 誰だってやれるならするが、無理だからできないのだ。水を空中で固定させるのは極めて難しい。


 水を発射して叩きつけるなら、単純に勢いよく発射すればいいだけだ。だが宙に浮かせておくとなると、落ちるはずのものを一定の力で常に上げておかねばならない。


 私も無理だ。だが目の前の天才少年は、敵を前にしながら簡単にやり遂げた。


 テスラ・ベルアインを守る水龍は、人を大量に飲み込んだまま動き続ける。


 そのあまりに恐ろしい姿に盗賊たちは全員逃げ出してしまった。私は誰一人として倒せなかったのに。


 そんなテスラ・ベルアインは私のほうをちらりと見た後、少し気恥ずかしそうに視線をそらす。


「えっと。よかったら俺の上着を」


 そう言われて私は自分の無残な姿に意識が向いた。


 盗賊にびりびりに破られたドレスは、私の胸元や腹部すら隠せていない。下着姿と表現しても過言ではなかった。


「……っ!」


 急いで彼の上着をひったくって自分の身体を隠す。


 最悪だ、よりにもよってこいつに見られてしまった。


 テスラ・ベルアイン、ことあるごとに私の上を行く存在。すごく憎い存在で敵、だけど……私は助けられた。


 すべてを失いかけた私を、彼はその寸前で救ってくれたのだ。


 声が震える、だけど言わなければならない。そうでなければ私は本当に救いようがなくなる……。

 

「…………ごめんなさい」

「えっ?」

「ごめんなさい……私のせいで、みんな死にそうに……。貴方がいなかったら死んでたっ……」


 涙がポロポロと目からあふれてくる。こんなみじめな姿を見せたくないのに、でも止まらない。


 ようやくわかった。私はなんて馬鹿だったのかを。


「ごめんなさい……自分の我儘でみんなを危険にさらして……ごめんなさいっ……」


 自分の小さなプライドのせいで、どれだけの人に迷惑をかけてしまったのか……考えるだけでも怖い。


 もう前を見る余裕もなくてひたすら泣いていると、頭になにかが当たった。


 見上げるとテスラ・ベルアインが私の頭に手を置いている。


「別に俺には謝らなくていいよ」


 そんなことはないはずだ。


 むしろ私がもっとも謝るべき相手がテスラだろう。自分の勝手な嫉妬でどれだけひどい言葉や態度をとり続けたのか。


 もし私が彼の立場ならば見捨てていたかもしれない。それくらいひどい態度だった自覚はある。


「でも……私は貴方にずっと、酷いことを……なのに危険を冒してまで」

「違う。俺は別に危険を冒してはない」

「……えっ?」

「俺は千年に一度の天才だ。あんな雑魚を相手にしたところで、万が一すらあり得ないからな。そして君は俺の婚約者だ、なら守るのは当然のことだろう?」


 テスラは笑っていた。


 すごく傲岸不遜な言葉だが、彼に関してはすべてが事実だ。


 天才の名を冠するに相応しい少年。私のような多少魔法が優れている程度ではなく、真の意味の天から与えられた才を持つ者。


 羨ましいと思う。だけどその心を抑えようと試みる。


 さきほどこの嫉妬で痛い目を見たばかりだ。それにしても……。


「……そっか。私は貴方の婚約者なんだ」


 思わずそんな言葉が口から漏れる。

 

 私はずっと認めないようにしていた。テスラは敵であって乗り越える壁だった。


 だから彼が私の婚約者だなんて実感は皆無だ。


「認めないって言われたけど、親が決めたから取り消しは難しいぞ。それであとは大丈夫か? 俺は倒れている魔法使いたちを介抱したいんだ」


 そう言われていまの状況に気づく。


 周囲は死屍累々だった。倒れた大量の盗賊たち……はどうでもいいが、お父様を含めて魔法使いたちがみんな地面に寝ている。


 五人の兵士たちが魔法使いの面倒を見ているが、流石に手が足りていないようだ。


「……わかった。手伝うわ」

「いいのか? あれだけキツイ目にあったんだ。別に休んでいてもいいぞ?」

「これだけ迷惑をかけて、怪我もしてないのに休みますなんて言えないわ」

「確かにな。じゃあ手伝ってくれ」


 テスラと一緒に倒れた兵士たちを介抱していく。


 本当によかったことに死傷者は誰もいなかった。薬で麻痺させられただけなのが幸いしたようだ。


 ……お父様は落馬の際に腕の骨が折れてしまっていたが。


 しばらくするとそんなお父様は一番に目を覚ました。


「む……アーネベルベ……アーネベルベか!? 無事、痛っ!?」


 お父様は私を見て飛び起きようとするが、顔をしかめてしまった。折れた腕の骨が痛むのだろう。


「大丈夫よ。テスラに助けてもらったの」

「なんと……魔法使いは次々と倒れていったのに、彼だけは無事だったのか」

「うん、すごかったよ。私では絶対に勝てないと思った」

「……ッ。アーネベルベ、それは……」


 お父様は私のほうを見てくる。その目はすごく心配してくれている。


 幼い頃、五歳の天才だった時と同じ目だった。


 そうか、私はずっと勘違いしていたんだ。天才じゃない自分に価値はなく、お父様に失望されて見捨てられたのだと。


 本当は、自分を危険にさらしてまで助けに来て、くれたのに……っ。


「ごめんなさい……お父様、ごめんなさい……! どんな罰でも受けます……」

「ふ。なら今後はもう少しお淑やかになりなさい。もうこんな危ないことはしないようにな」

「……っ。ごめんなさいっ、ごめんなさい……っ!」


 今までのすべてを洗い流すかのように涙が出続け、それをお父様は笑って見届けてくれたのだった。


 

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