第9話 ため池
調節池というものを聞いたことがある。
川が氾濫しそうなときなどに、一時的に川の水が流すための池だ。
本来なら事前に作っておくべきものだが、魔法ならばこの場での作成も可能なのではないだろうか。
俺は魔法の訓練で水を使って、庭に大きなクレーターを作ってしまった。だがあれは自分の魔力で水を作ったうえに、別に庭を破壊するつもりでやったのではない。
いまなら水は川のものを操ればいいし、地面に沼みたいな穴をあけるのも可能では?
テスラは俺のため池作成策を聞いて、しばらく黙り込んだ後。
『出来なくはない。少なくともこうなる前の僕なら確実にできる。いまの君ができるかはわからないけど……』
『ならやろう。気休めの土壁よりもこちらのほうがよさそうだ』
『そうだね。幸いにもここらには畑や家はないから、失敗してもそこまでひどいことにはならないだろう。土壁を作ってもたかが知れているし、君の案は成功した時のメリットが大きい』
テスラのお墨付きをもらえたので、さっそく川の水を操ることにする。
「テスラ、大丈夫か!? やはり川の流れに圧倒されてしまったか!?」
後ろからテスラの父の声が聞こえてくる。気が散るから返事はしないけど、馬の安全運転だけお願いしたい。
集中しようと魔力を練っていると、
『そうだ、まだ君の名前を聞いてなかったな。君には僕の身体に入る前の名前があるはずだ』
『……今更過ぎないか?』
そもそもこいつが脳内で「君」とでもいえば伝わるし、俺の名前なんてどうでもいいと思うのだが。
『ははは。それで名前は?』
『……神崎礼だ』
『ずいぶんと変わった名だね? どこまでが姓で、どこからが名だい?』
『神崎が姓、礼が名だ』
『そうか。ならレイ、思いっきりやってみるといい。なに、少しくらいなら僕も補助しよう。土を柔らかくしたりくらいはできる』
テスラはそんなことを言ってくるが、老犬の姿である。魔法使えるのだろうか……? まあいいか。
『それと君はアーガイに教えてもらった魔法を使うつもりかい? あれでは勢いよく流れる水を操るには力不足だから、上級の魔法を使いなよ。詠唱は教えるから』
頭の中に魔法の呪文が響く。これを唱えろということだろう。
前方のすさまじい勢いで流れる川をにらみながら、俺は少し深呼吸をする。
俺が失敗したら、たぶん川は氾濫して領民が苦しむ。日本にいたから水害のニュースはよく見ていたから失敗はしたくない。
「ぶっつけ本番か。もっと魔法の勉強時間を増やして、事前に上級魔法を使う練習してればよかった」
『ははは、僕の身体を使うんだ。上級くらい練習なしで完璧に使いこなしてもらわないと。それに君、かなり真面目に勉強してると思うよ? だから臆する必要はないよ』
テスラは先ほどまでより、俺に少し柔らかい声で話しかけてくる。
俺の緊張をほぐそうとしているのだろうか。実際俺の心臓はバクバク音を鳴らしているが、それとは別にかなりの高揚感があった。
「坊ちゃん! 魔法は撃てませんか!?」
「アーガイ! テスラに無理を言うな! くっ! 想定より川の勢いが強い……! このままでは下流はかなり広範囲に水が広がってしまう……!」
アーガイさんとテスラの父が、必死に叫びながら土壁を川に作ろうとしている。
だが土壁は作るそばから川の激流で崩壊して、ほぼ役に立てていない。
なにせここで川の洪水をなんとかすれば、俺は一躍ヒーローになれるのだ。そして失敗しても責められない状況で臆する必要なんてない。
無能だった俺が活躍するのに、これほどの舞台はそうはないぞ!
「テスラ、俺は別に臆していない。激流を呑むは我が意思、悉く水練を描け! ドミネーター・ストリーム!」
俺が魔法を唱えた瞬間だった。身体の魔法発生機関がフル稼働し始めて、それとともに川の流れがわずかに止まった。
「か、川が止まった!? そんな馬鹿な!?」
「ぼ、坊ちゃん!? 坊ちゃんがやってるんですかね!?」
『なにをしている! 止め続けられるわけがないだろう! 川の激流をむしろ利用して地面を掘れ!』
「わかってる……よっ!」
俺は両手を大きくはらって、川の水で川岸の地面をえぐる。
まるでドリルで掘るかのように、水流が地面を横に掘って水路を作っていく。
少しばかり川から離れた場所まで掘れたのを確認すると、俺は水流を空へと持ち上げた。
そして勢いのままに水流を地面へと突撃させる。そのあまりの衝撃で大地が揺れた後、まるで枯れた沼のような大穴が生まれていた。
そして水流が作った水路によって、川の水の一部が大穴へと流れていく。
「な、なんと……」
「嘘だろ、おい……」
テスラの父とアーガイさんが唖然としている中、俺はすさまじい達成感に包まれていた。
右の腎臓あたりがすさまじく熱い。かなり無理して魔力を発生させてしまった……たぶん明日は動けないだろう。
これで川の氾濫もなんとか防げ……。
『レイ、もうひとつくらいため池を作るべきだ。これでは氾濫を防ぎきれるか怪しい』
『……マジで? もう限界なんだけど……』
『大丈夫だ。今日は毒を飲んでないから、まだもう一回くらいなら魔力発生機関も持つ! 一度くらい過剰に動いても死にはしない! さあやるんだ!』
『アッハイ』
そうして俺は魔法を使って先ほどより少し上流に、もうひとつため池と水路を作った。
川の流れはだいぶマシになっているので、しばらくは氾濫しないはずだ。このまま雨が降り続けたら数日しかもたないだろうが、その時はまた同じように作ればいい。
「か、神の子だ……天は私に神の子をもたらしたのだ……テスラ、よくやったぞ! お前は私の誇りだ!」
「すみません旦那様。俺、今日で坊ちゃんの魔法教師辞めていいですかね……?」
心地よい賞賛を聞きながら、テスラの父が馬を駆けさせ始めた。
そして俺は帰宅してから三日三晩、魔力発生機関の暴走で寝込んだ。
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